3時10分、決断のとき (2007) 

文字数 893文字

【西部劇よ、永遠なれ】 2009/11/22



今年いちばん楽しませてもらった本シネマが2007年の作品とは・・。
一体この2年間本作はどこで熟成されようとしたのだろうか?
日本公開も単館興行だったため観逃してしまった。
それもこれも、「西部劇」だから? 
西部劇は当たらない、ヒットしない?
誰がそんなことを決めたのか。
もはや馬もいないし、馬に乗れる役者もいない?
・・・馬鹿らしい言い訳だ。

ラッセル・クロウとクリスチャンベールの競演を観たくはないのかい?
リメイクされるほど緻密に織り上げられたストーリー展開に興味が湧かないのかい?
好き嫌いはあろうけど、ガンプレイのカタルシスで心に巣食う鬱積を晴らせないかい?
独り口に出てくるのは恨み言ばかりだ。

ラッセル・クロウは儲け役、いかにも勝手気ままな無法者を再現していた。
クリスチャン・ベールはもっと儲け役、男らしく父親らしく生きようとする
ダメ西部男の屈折が見事だった。
エキセントリックであればあるほど、彼ら名優が燃えるところを確認できる楽しみ。
ダメ男の命を賭した最後の願いを聞きうける無法者、二人が交わす微笑みが印象的だった。

かっての単純な勧善懲悪パータンは痕跡もなく、
先の読めない筋書きに、僕は一瞬も気を抜けなかった。
こんな緊張させられっぱなしの西部劇も珍しい。
息抜きが一切ないスピーディな進み方は現在に甦った西部劇だ。
ラストの集団ガンプレイの構成はいまだ経験したことのない混沌、
しかし実に新鮮だった。

無法者の早撃ち、駅馬車強盗、アパッチの襲撃、護衛たちの次々の抹殺、 
とっておきの、列車に護送するまでのラストの長い銃撃戦、
昔ながらの西部劇ファンも充分に満足させるガンプレイの数々だった。

そして、まさにクールな幕切れ、
無法者は必ず戻ってくるだろうと僕は願ってしまう。
彼は無法者ではなくヒーロー、主人公だから。

老婆心:
僕のシネマイニシエーションは間違いなく「西部劇」だった。
男の世界にどっぷり浸り、ガンプレイで無法者を懲らしめるヒーローたち。
確かにジェンダーの現代には流行らないのかもしれない。
シネマは娯楽と割り切って楽しめる無責任さはもう遠い昔なのかな。

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