ドクター・スリープ (2019)

文字数 972文字

【キューブリックの偉大さを思い知る】 2019/11/29



1981年1月「シャイニング」を観た。
その後全く見直していないまま続編である本シネマに38年ぶりに会うことになった。
シャイニングの正当な続きであって、完結編だという。
その前に前作を観直した方がいいのではという気持ちにはならない。
そのくらいに前作の恐怖は忘れがたく、
僕の心のなかの「恐怖」の定番記号になっていた。

前作の感想のなかでこう記している:
『キューブリックが観客に提示した恐怖は、そこいらにある感覚的、物理的、そしてテクニカルな恐怖などではない。』
『人間が感じるであろう、恐怖の根源を映像の結集として漂わせることに終始する。』
『頭脳ではなく体の芯で感じる説明のできない恐怖・・・言ってみれば人類誕生以来我々が業として有してきた恐怖が呼び起こされたようで、一瞬気が遠くなるような感情になる。』
『何事も本質に迫ることは、恐怖といえるが、恐怖の本質に到達するのを一体どう表現すれば・・・??』

どう見ても38年前に「シャイニング」にノックアウトされていたようだった。

同じキングの原作である「ドクター・スリープ」の映像化である本作はどうだったか?
やっと本題に入る。
今シネマはシャイニングの原作も含めたシャイニング族のその後の物語を忠実に追っていく展開になっている。
ストーリーテラーシネマであり、前作の一種抽象的な映像展開とは大きく異なっていた。
今作でも監督・脚本・編集は一人。

前作のキューブリックに代わったのはマイク・フラナガン、
彼の作品は初めてだがフィルモグラフィーを拝見する限りでは、
ホラー専門(?)の映画人のようだ。
シャイニング族の善玉・悪玉闘争に注力し、残酷な殺戮シーン、消滅シーンもVFXの力で
おどろおどろしく彩られる。
前作の歴史的恐怖シーンの数々の再利用がなければ、類型的ホラーシネマと言われても
仕方がなかったろう。

実際に、前作のシーンがカットインされるたびに僕の心臓はビクンと飛び跳ねる、
まるで何かのトラウマのように。
ローアングル、ワイドショット、迷路・・・などなどのテクニック・アイデアのあれこれは
すべてはキューブリックに捧げられたものだった。

いかにキューブリックの才能が異様に抜きんでていたかを、
今更ながら思い知ることになった。

その意味だけでも、本シネマの意義は大きかった。
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