神様のくれた赤ん坊 (1979)

文字数 1,126文字

【大きな忘れ物をひとつ取り戻した】 1980/3/8



和田誠の「お楽しみはこれからだ」の候補になりそうな台詞が印象的で効果的だった。
・・・・・「私たち、ひょっとしたら同じこと考えてるんじゃないかしら」・・・・・・
男女の会話である;
最初は女(桃井かおり)がタレントとしてはじめてもらった台詞。
二度目は、旅の途中で喧嘩した二人だが、仲直りを願う男(渡瀬恒彦)が
自分の欲望を女にそれとなく伝える台詞。
そして三度目は、ラストシーンで女が確信を込めて男に訴える台詞で、
かつそのまま作品のテーマを表現する。
突然舞い込んだ男の子(赤ん坊ではない)を連れて旅をするうちに,
この男女に生じてくる真の愛情と人間の根源的な優しさに目覚めさせたものこそ、
この男の子であり、それは神様からもらったものだとようやく二人は気づく。
そして、無責任にも子供を預けてきた自分たちを恥じて、
やはり連れ戻すべきだと思い至ったときの言葉が、
この「・・・ひょっとしたら同じこと・・・・」なのである。

喜劇の巨匠、前田陽一らしい笑いのなかに痛烈な訴えかけを感じられて満足した。
同棲中の男女が子供を連れて、
その子の父親候補者に会うため旅をするのが話の大筋だが、
もうひとつ女のルーツを訪ねるという伏線がある。
女の母親が女郎であったことが少なからず女のアイデンティティに影響している。
ルージュをべったりと塗り、タバコをくわえて「遊んでいかない?」
とポーズする女から、母への哀しい想いが伝わってくる。
幼いころ育った土地の風景を求める女、
幼いころの不幸やそれでも優しかった母を想いおこす女と、
今父親探しをする男の子が、ここにおいて同一線上に結ばれてくる。

「この子が大きくなったら、この旅行をどう思い出すんだろう?」と呟く女。
母の秘密を知り、記憶のなかの風景に再会した女としては、
この旅の意味を男の子に伝えておきたいと思ったのかも知れない。

神様のくれた赤ん坊を置いていくことなどできるはずはなかった。
4人の父親候補に面会していくくだりは手慣れたもので、
おおいに笑わっていられるのも、
もうひとつのルーツ問題がしっかりと胸の中に迫ってくるからであろう。
喜劇とはこうでなければ・・・というお手本みたいな作品だった。

何も「寅さん」だけが面白いとは限らない・・・・・
桃井がマドンナ役の寅さんシリーズとぶつかって、
公開が1年間延期されたいわくつき作品だが、
桃井かおりはこちらのほうが良い、最高の出来かもしれない。
延期された本当の理由が想像できる、
併映になったらどちらが添え物かわからなくなっていただろうから。
桃井も渡瀬も生き生きとしている、間違いなく前田監督の手腕だろう。

何か大きな忘れ物をひとつ取り戻したような気分になった。



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