女の叫び (1979)

文字数 798文字

【女の情熱、男の恐怖】 1979/12/26



ジュールス・ダッシン監督の作品は1967年「夏の夜の10時30分」以来。
《夏の夜・・・》はそれほどの感銘もうけなかったが、今回メルクーリとエレン・バーンスティンの競演というだけでも大変興味深いものだった。

ストーリーの骨子は単純でわかりやすいように思った。
「メディア」を演じる大女優と、メディアを現代に甦らせたような子殺しの女を対比させ、愛と憎しみを表現する・・・・のようなものだろうな・・・・と。
いや、ダッシンのメッセージはかなり難解なのである。

観客は「メディア」の役作りに苦心するマヤ(メルクーリ)に、影響を与える子殺しの母親ブレンダ(バーンスティン)の構図にとらわれるのだが、そう単純ではない。
マヤがブレンダに会っていく過程で、マヤの演じる「メディア」が変化し、遂にはマヤ自身の生き方も大きく転換する。
マヤが告白する・・・・これからは女性としての自由な生き方を誇りとしていく・・・と。
ブレンダは夫に裏切られた絶望からの子殺しだったが、自分が生き抜くことで復讐できると決意する。

「メディア」の舞台シーンに挿入されるブレンダの子殺しのシーンは、メディアを介したマヤとブレンダの一体化の証なのだろう。
後半、子殺しという点で、二人とも共通であることが明らかになってくる。
母親の子殺しを社会的スキャンダルとして受け止めることなく、
女性が最愛の子供を犠牲にしてまで主張する生き方、守る人生があると理解するべきなのだろう。
「メディア」の真の叫びが聞こえてくるようだ。

翻って、男性は「メディア」をどのくらいの深さで理解できるのだろうか?おおいに疑問である。そこに、計り知れない、また表現しがたい女性への恐怖を僕は感じるのである。

メルクーリは貫禄、余裕の演技、これは想像通りだった。
今回はバーンスティンの「輝き」を特筆したい。彼女自身の「メディア」を創りあげていた。

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