フェリーニの道化師 (1970)

文字数 1,043文字

【笑えなかった】 1981/1/29



某協会映画鑑賞会の企画を頼まれて、選んだのがこのシネマ。
といっても、自信を持っての推薦ではなく(だいいち観てもいない)、限られたイタリア映画ジャンルからの苦肉の選択だった。

名作といわれているイタリア映画は数多いし、フェリーニ、パゾリーニ、アントニオーニたちはなぜか、日本では人気が高い・・・が、いかんせん新作が輸入、公開されない。
フェリーニにしても本作が3年前に公開されて以来、後が続かない状態だ。
専門家、評論家の賛辞を信じたとはいえ、「みずてん」の決断だったが予想外に面白かった、一安心した。

本シネマは、ドキュメンタリー形式で、全体の通しての「骨」らしきものはないが、そのぶんフェリーニの自由な感性を愛でることができる。
フェリーニに関して言えば、ドラマに観る想いより断然こちらドキュメントのほうが好きになった。
正直なところ、フェリーニは特別に好みの映像作家ではないし、系統だてて彼の作品を論ずる蓄えもない。しかし、この《道化師》を知るだけで、じゅうぶんに彼の才能を感じることができた。

フェリーニ作品の原点のひとつといわれる「サーカス」、なかでも彼が特に愛情を注いでいた「道化師」にインタビューして歩く彼の姿は、やさしさに満ちている。
自らの映画作法の原点を辿る大胆な試みだが、決して自己の思いだけにのめりこむことなく、観客をも魅了する内容に仕上がっている。

当然ながら、ドキュメントとはいえフェリーニなりの計算された仕掛けがあることはある。
といって、ドキュメント作品が本質的に内包する問題提起の意図はどうやら見えてこない。
そこにあるのは、消えていく《道化師》たちに最後の花を咲かせようとする、フェリーニの悲しみだった。
おそらく、フェリーニでなければ表現し得なかったであろう。

スペイン、フランスにおける老道化師とのインタビューの後、無人の観客席に囲まれて道化師総出演のフィナーレが用意される。
「老クラウンの死」をテーマに道化特有のドタバタで茶化していく。

僕は笑うことができない。
老道化師が、どんなにがんばっても、面白いギャグが飛び出してきても、
僕は笑えなかった。
悪ふざけが出れば出るほど、大げさな道具が壊れるほどに、気分は沈んでくる。
道化師が画面に溢れながら、気分はたまらなく悲しい。
ここに至って、僕はフェリーニの精神に同化してしまう。

プライベートフィルムには違いないが、作者の心奥深くまで観客が引きずりこまれる、とんでもないプライベートフィルムだった。

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