インデペンデンス・デイ:リサージェンス (2016)

文字数 729文字

【あの エメリッヒの「地球的心」は何処に?】 2016/7/9



1996年から20年後の続編となったが、シネマも前作から20年後の設定になっている。
俳優の中でも20年後の今作でも前作と同じ役柄を演じる強運な方々もいた、つまりは高齢者が幅を利かしていたことになる。
制作面での20年間は、SFXをその代表とする驚異のテクニカル進歩は迫力ある映像となっていたが、なにをいまさらの感もある。
御大エメリッヒ監督の20年後はというと、相変わらずの「地球的心」の意気に長けてはいたが、空回りしていた。

おそらくは、前作では手掛けた脚本、製作からはずれたことがその原因ではないか?
前作も唯我独尊のアメリカ主義が鼻についたが、それでも人類存亡の危機を実感したものだ。
エメリッヒの「地球的心」は、元大統領に 「この20年間人類は争いをやめ、一丸となって防衛に協力してきた」と喋らせるのにとどまっていた。
中国女性パイロット、アフリカ部族長のエイリアン必殺技、スクールバスパニックは、取って付けたようなグローバルエピソードでしかなかった。
ユーモアは必要だが、薄っぺらい笑いは、本作のテーマには似合わない。

まして、宇宙の計り知れない叡智に人類が遭遇するというエッセンスは、もはや「地球的心」の限界を暗示するものでもあった。
モノリスやスフィアのコンセプトを頂戴したような設定も「地球的心」の放棄としか思えない。

そして、
現実の地球では、経済、思想、安全保障において先の見えない混沌領域に突入してきている。
かくして、エメリッヒの「地球的心」は本シネマでは地球への愛情、警告を表現することすら怠っている。
エンターテイメントの薄皮の下に息づいていたエメリッヒの想いは何処に散ってしまったのだろうか?
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み