ダークナイト ライジング (2012)

文字数 1,232文字

【不親切、強欲、強引】 2012/7/29



予想しなかった不満噴出を心の中で抑えられたのは、【シネマらしいワンシーン】だった。
ウェイン(バットマン)と執事アルフレッドの愛情ゆえの行き違いは
過去各作品の中で必ず繰り返されている、
執事曰く「ご主人様がお幸せになるのが私めの喜び(・・バットマン遊びはやめてほしい)」。

今作では2作目の「妻の死」を巡って二人は決定的な別れに至ることになる。 
このとき執事がご主人ファミリーをフィレンツェのカフェで見たかったのに叶わなかった・・・
という愚痴にオーバーラップして、
幸せそうなご主人家族のフィレンツェシーンが執事の白日夢のようにサイレントで流れる。

その執事の涙にカットが戻る・・・「もしそうなっても私は気づかない振りをして立ち去るつもりだった」と執事が執拗に続ける。
執事(マイケル・ケイン)とご主人(クリスチャン・ベール)が
お互いに理解できない関係に陥ってしまったと思わせる・・二人の静かな演技。

そして、
バットマンが自らの命と引き換えにゴッサムシティと市民を救った物語のエピローグパートのシーン。
ご主人の葬儀を終えた執事が、なじみのフィレンツェのカフェに座ると、
その先のテーブルにはご主人と恋人(アン・ハサウェイ)が座っている。
「私は生きている、しかしバットマンとして生きている」とのメッセージが心優しく執事に伝わると、
執事は気づかない振りをしてカフェを立ち去る。
どちらかというと、マイケル・ケインの優勢勝ちに思える二人の絡みだったが、
僕はこの優れた演技シーンを恐らくずっと記憶にとどめていくだろう。

ところで予想しなかった不満を列挙しておく:
【不親切】
シリーズ過去2作を覚えていないと今回はかなり戸惑う、それも結構細かい点まで。
でもね、シリーズだからいちいちクドイ総集編をやるのもおかしい
・・・不親切ではなくてクールなのだ。
【強欲】
これはキャスティングのことだ、過去の2作もそうだったが役者の質とボリュームが贅沢を超えて強欲だ。
今作も新しくアン・ハサウェイ、マリオン・コティヤールそしてノーラン組きっての曲者ジョセフ・ゴードン・レビットを招聘した。
それでいて、存在そのものが演技とも言うべき、マイケル・ケイン、モーガン・フリーマンはしっかり確保している。
でもね、華麗なる適材適所を実行できる強欲はシネマファンにはありがたい。
【強引】
何が強引かといって、3作を通じてバットマンの心の悩み「正義の在り方」を執拗に繰り返した。
コミックから純文学を創出するが如くの強引さは、長尺で見せられる観客にとっていかがだったのだろうか?
でもバットマンを刷り込まれていないアジアのジャパン人の僕としては、重厚なシネマに進化しているとしか感じられない。
強引というよりゴーイングマイウェイかもしれない・・・納得。

再度、ところで、
「キャット・ウーマン」も「ロビン」も揃い踏みしたようだ。
4作目が楽しみなんだけど、番宣にある「最終章」って、あれはいったい何?

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