不完全なふたり (2005)

文字数 962文字

【知的エクササイズも面白い】 2008/2/20



「配偶者がいないと自分は不完全な人間だと考える」男たち、女たち。
逆に、
「配偶者がいる恩恵を享受しても自分の自由や自分を犠牲にするつもりのない」男たち、女たち。
この面白い表現は、
たまたま本シネマを観た夜、手にしたロバート・B・パーカーの小説で見つけたもの。
ジェッシー・ストーンの言葉を借りてパーカーが開陳する夫婦愛のあり方に
指摘されるまでもなく、
結婚とは複雑怪奇、厄介なものだとは、35年選手の僕がよっくわかっている。

本シネマは、この正解のない命題に真正面から取り組んでいる。
15年という、それなりの結婚生活実績がある主人公夫婦、
今に至って男の俗物性を論う女、究極の非難に男は離婚を決意する・・・のが物語の骨子だ。
この二人の言動、諍いひとつひとつが心に痛い、
わかっているよ・・・・って声をかけてあげたい。
シネマ自体は現実感を再現するという点ではあまり経験のないぐらい執拗だ。
カメラの視点は第三者、それも人格のない意図の見えない視点が、ず~っと動かない。
視野の中を男と女が出はいりし、しゃべり、沈黙していた。
音はといえば、最小限に抑えられたピアノソロ以外は飾られてすらいないリアルサウンドのみ。
なんと、シネマのモンタージュがない。
これには最初戸惑ったものの、いつか自分の頭のなかでイマージュを構成し始めていた。
そのイマージュとは冒頭に述べた「配偶者・・・」論ふたつに横たわる葛藤。

主人公たちの懼れはこのふたつの考えを行き来する。
どちらの考え方も間違っていないと思う。
愛するものとの安定した生活、
そこから沸き起こる刺激渇望、
自由尊重とは言い訳に過ぎないのか?

しかしだ、
こんな相反する考えが、ひとつ屋根に同居するのが夫婦なのだろう。
妥協、譲り合い、相互尊敬・・・つまり互いに頼りあわずには結局生きてゆけない。
夫婦が戦友や同士に例えられるのは、二人が最小の同盟単位だから。

ひとりで生きるには寂しすぎるし、
群れて流されるのはお洒落ではないとすれば、
二人で協力するしかない。

この卑近でいて実は高尚であるテーマは、
本体であるシネマを置き去りにして強く羽ばたいていた。
たまにはこんな知的エクササイズも面白い。

名誉の為に付け加えれば、
男と女を演じた役者たちは、しっかりとシネマを創ってくれていた。

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