エイリアン (1979)

文字数 924文字

【SFの使命はこうでなくっちゃ】 1979/8/13



僕はSFファンでもある。
ただしSFマニアといった懲りようではなく、
SFの持つ、あのSENCE OF WONDERが好きでたまらない部類である。
それはある種の知的リクリエーションであり、リフレッシュである。
そう言った意味から、
このシネマは実にSFの原型ともいうべき数々の楽しさを僕に提供してくれた。

まず、大きなテーマである「異星生物とのコンタクト」が嬉しいじゃないか!
だが「未知との遭遇」のように人類のことをスミからスミまで知っているような知的生物は
なんとも気味が悪いうえに、センスオブワンダーが欠けていた。
かのシネマは、明らかに友好的接触に名を借りた、地球侵略を描いていた(へそ曲がり?)。
僕はSFの本流とは思えない「未知・・・」をひとり腹立たしく思っていたものだ。

そうなのだ、いみじくも本シネマ内で
「この生物は生存のために後悔したり良心の呵責を感じたりしない完全生物である」
と定義されているとおり、
人類が遭遇するエイリアンは、こうであるのがSFの基本。
何も彼(彼女)が悪だというわけではなく、
異星人たるや、そのくらい不可解なものでなければならないということなのだ。
次に、
宇宙船「ノストロモス号」の内部が細やかに描写され、
SFファンへの行き届いたサービスになっている。
キューブリック「2001年・・・」でも驚いたが、あれから10年、
科学技術の進歩は確実にシネマ製作、美術、小道具にまで波及してきているのが実感できる。

また、「スターウォーズ」に見る荒唐無稽のスペースオペラとは一味異なる、
「現実感あふれたウソ」の未来世界が本シネマのベースになっているのが
よくわかる工夫がされている。
その典型が、地球に鉱物資源を運ぶ貨物宇宙船という設定そのものである。
大方の興味は、このエイリアンの恐怖にあるようだし、
期待通りお化けエイリアンとの戦いに僕らは息を呑むことになる。

実は、宇宙船のなかの追跡スト-リーはオーソドックスで古典的ですらあるが、
SFシネマと調和し、違和感を感じさせない。
本来SFの使命が、
特殊な状況下で現実問題を料理することであることを思い起こすまでもなく、 
本シネマはあまりにもSFであった。

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