パリ、恋人たちの2日間 (2007)

文字数 819文字

【子は親を超えられない】 2008/10/24



ジュリー・デルピーのフィルムと銘打つだけあってスバリ女性のためのシネマ、
ワンウーマンシネマ。
いまどきの男どもには、本シネマのメッセージをどう理解するかで女性からの評価が決まる。
滅多なことは口にできない・・・ある種の踏み絵のようなものだ。

長い人生の中で、残念ながらフランス女性と恋に落ちたことがない僕には、
この主人公(フランス女性)がパリ文化が造り賜うた傑作なのか、
世紀の失敗発情種なのか不明だ。
おそらくは、パリの文化はこの際関係ないのだろう。

「子は親を超えられない・・・・」この仮説が思い起こされるのが、
主人公の母親がジム・モリソンと寝たことを父親がず~と恨みに思っていること。
この父親というのが温かみもユーモアもない皮肉屋。
しかし妻(主人公の母)が自認するウーマン・リブをいまだに
超越出来ないままでいる不屈の革命家崩れ。

こんな両親がいたんじゃ、主人公には周りの男どもは、
チャンチャラ頼りない存在だっただろうし、
そんな男遍歴だったようだし、
でもそれは結局中途半端な時代錯誤、自己欺瞞だったようだ。

主人公が心優しき(頼りないという意味が85%くらいの)アメリカ人を手玉に取る、
蹂躙するのは その意味から両親から影響されたトラウマでしかない。

シネマとしてはこの状況こそが面白い。
シネマでハイライトにもなっている、恋人たちの強烈な会話、
いや罵り合いは平凡人の僕にはあまりに甘いご馳走だ。
実際には食べることなどないとわかっている、
経験することない悦楽を想像する暗い悦びだ。

戦後ベビーブーマーは本シネマにもあるように、
「反体制こそ正義」を標榜しながら、
高度成長、ウーマンリブ、フリーセックス、バブル経済を通り抜ける中で、
不明瞭きわまる価値観を吐き散らしてきた。

その子供たち、本作の主人公たちの生きるゴールが見えにくいのはもっともだし、
こんなおかしな親世代を超えていくのもなかなか大変だろう、
ご苦労さん。

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