病院坂の首縊りの家 (1979)

文字数 1,170文字

【市川監督ご苦労様でした】 1979/5/25



封切前の特別招待試写会、日比谷劇場2階席で観る。
ただし、よく聞いてみると、ファンの集いだそうで、白けた気持ちで鑑賞する。

「これが最後だ」という宣伝文句が耳の底に残っているためだけではないだろうが、
シリーズ最終作らしいまとまりになっている。
印象としては、横溝シネマ本家、市川巨匠らしい最後を締めくくってくれました
・・・というところだ。
相も変わらずのルーツ探しが大きなテーマで、
市川監督が「これは男と女の物語である!」と、
力んだところで、もはやネタは上がっている。

しかし、五作目ともなるとこのルーツ探しも
だんだんと手の込んだものになってきているようで、
途中で眼を閉じて頭の中に系図をえがいてみたりの工夫を凝らしたけど、
結局は前作同様謎解きにおける論理性にはいま一歩釈然としないものが残っている。
恐らくは、記憶力の問題なのかもしれないが、
これだけ多くのキャストの名前と関係を覚えるのは、
巨匠の映像を楽しもうとする立場からは、ちょいと無理が生じそうである。

その分「これが最後」キャンペーンに肩入れし、
推理分野では若干手を抜いているようである。
なんといっても、犯人が大体想像できるキャストであるのに、
それを裏切るほどの「あっ」という「どんでん返し」が用意されているわけでもない。
あの「獄門島」のときの犯人当てクイズ作戦とは大きな違いだ。

ストーリーとルーツ問題が込み入っている半面、
犯人がすんなりときまっていくのは、
監督はじめスタッフの気持ち・・・・
つまりシリーズとしてのけじめをつけたいという理性面と、
気の合った仲間のシネマ創りが終了する寂しさの感情面…の表れであろう。
そう考えると、面白い点が見えてくる。

市川監督は、佐久間良子はじめ女優陣を、
彼特有のシャープな画で美しく撮りあげているのは当然として、
たとえば
マルチスクリーン、
ワイプ、
真上からのショット、
ストップモーション、
超望遠、
・・・とさまざまなカメラテクニックを駆使している。

その効果は、どちらかというと否定的な意見だが、
ここまで徹底すると結構楽しいものだし、
何せ「これが最後」なのだから、いいんじゃない・・・と思ってしまう。

その代わり、石坂金田一はなぜか精彩がない。
というより、働き場所がないのである。
過去シリーズと同じように、出演者多数のためもともと出番の多い役ではないが、
最後の謎解きの場面にしても、すっきりした推理を出せなかった。
第一、駆け出すシーンが一度しかなかったとは、その活躍度合いもわかろうというものだ。
加えて、草刈探偵がウロチュロするものだから、清清しさは感じられず、戸惑いと疲れが見えた。
シリーズ最後にしては金田一探偵、元気がなかった。
「犬神家の一族」に見た石坂金田一のさわやかな笑顔の記憶を、
このシリーズ最大の収穫としたい。



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