主人公は僕だった (2006)

文字数 854文字

【そこに見た皮肉】 2007/12/26



友人、知り合いが突然黄泉の国へ旅たつことが増えてくる年代になると、
「生き方」と同様に、もしかしたらそれ以上に「死に方」が気になってくる。
本シネマでは、自身の思いがけない死に方を事前に知りえてしまった、
主人公ハロルドの《生き方》が興味深い。

というほどのシリアスなシンパシーを感じたのだが、シネマ体裁は反対にコメディの衣をまとっているので、いっとき中途半端な調和環境にいくぶんウロウロとさまよったが、興味はいやが増して楽しませてもらった。

まず、シネマ的簡略設定が愉快だ、
いきなり自分の行動にナレーションがつくなんて尋常じゃない。
冒頭から有無を言わさず観客にこの条件を押し付ける。
別に宇宙人の仕業でもなく、未来からのデジャブでもなく、本人の無意識思考でもないというのはすぐに明白になるから、混乱はしないはずだ。

悲劇小説作家(エマ・トンプソン最高!)が創作する主人公がリアルタイムに実在する設定は、
ミステリーファンである僕も寡聞にして初体験だった。
他にも重要な登場人物がいるらしい(子供、バス運転手など)ことも匂わせながら、
小説の全貌を明らかにしないのも、悲劇で終わるというポイントに集中するためだった。
このあたりの展開はクレバーだ。

テーマは最後に至りギリギリと集約される:
■ハロルドを主人公とする悲劇小説は最高傑作に仕上がる
■悲劇ゆえに最後に主人公は死亡する
■ハロルドは草稿を読み納得、受け入れる
さて、作家はどのように完成させるか?

僕が覚えたシンパシーは、
ハロルドの
「名作誕生を妨げない犠牲心ではなく、死んで自分の存在を後世に残す《死に方》を選択したこと」に対してだった。
下世話に言えば彼はヒーローになりたかった。
愛する女性との未来を無にする犠牲をはらってまでも・・・。

そこに見た皮肉;
平凡な人生を生きてきた人間には、千載一遇の名誉ある《死に方》も獲得できず、
結局平凡なハッピーエンドしか用意されない。
もっとも、
僕自身はそれを、平凡なハッピーエンドを《幸福》と思っているが。
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