風が強く吹いている (2009)

文字数 978文字

【「どうやって」が観たかった】 2009/11/1



このとんでもない感動小説をどうシネマに置き換えるのか?
不安一杯、そんななかでもちょっぴりシネマの魔力を期待していた。

不安だったのはまさしくドリームの核ともなる「どうやって」素人が箱根を走ったかの合理性。
伝説の天才ランナーや固い意志の元天才ランナーはいいとしても、
残りの駅伝メンバー8名は「どうやって」速く走れたのか・・・これに尽きる。
文章ではいかようにも、説得力こめて描写できる。
しかし、シネマが同じようにナレーションで説明してしまってどうする
・・・「僕らは走った」なんて。

もっと具体的に批判すれば、
スクリーンで駅伝部員10名を演じた若者たちは「走る意味」を理解できたのか?
僕の不安は的中した。
ヒーローの天才ランナーは役作りでの体型も整い、撮影上の手厚い配慮もあって合格だった。、
彼以外は眼を覆う状態だった。
かたき役のライバル選手を含めてメインキャストはほぼ全滅だった。
硬いことを言わず、所詮本物ではないのだからいいではないか?・・・そうかも知れない。
それなりに役作りには頑張ってたではないか?・・・そうかも知れない。

いやいや、
そんなレベルでは到底この作品のテーマに迫ることはできない。
こんな妥協ができないのも、
そもそもストーリーが荒唐無稽を超えた領域に行っているからだ。
テーマは正真正銘のドリーム、
それもありえない(あってほしいけど)ほどの夢見心地ドリーム。

だからこその「どうやって」が重要だと思っていた。
10名の人物設定は成功している、最後まで混乱することなく一人ひとりの想いまで感じられた。
だが、8名がどうやって箱根駅伝の舞台に立てたのか、そのプロセスが薄かった。
この「どうやって」は脚色の見せ所だったはずだが、
どうしても駅伝本番に重心がいってしまう。

その各区間を丁寧に見せなければストーリーが完結しないという事情も理解できる。
実際、箱根駅伝のシーンは、お手本があるとはいえなかなかのリアリティではあったが。
それでもやっぱり、
ランナーの端くれとして「走ること」の楽しさとそれに伴う辛さを知る立場から、
「どうやって」の部分にどうしてもこだわってしまった。

こだわりからの根強い不満があるとはいっても、
本シネマは原作のエッセンスを汚すことなく、
スポーツシネマしてはかなり敢闘していた。
誉めても、もう遅いか?

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