椿三十郎 (2007)

文字数 943文字

【「ポスト椿三十郎リメイク」が気になって】 2007/12/9




日本映画の粗製乱造現状にほとほと心を痛めていたが、それが僕の杞憂ではなかったことを逆説的とは言いながら証明してくれる、久々に面白いシネマだった。

回りくどいことは承知だ。
邦画界が外国映画、主としてハリウッドシネマ、を凌駕した近年だが、
それは興行側面の結果であり、シネマの質、観客満足度からはかけ離れたものだ。
勘違いしてハリウッドシネマの企画力の薄弱加減をあげつらうことなかれ、
邦画もまさに同じ、内容の貧困さでは五十歩百歩がいいところだ。

本作がいかに面白いか、はらはらしたか、どきどきしたか、笑わせられたか!
そう、
前作と同じように僕は楽しめた。
前作と同じように・・・だ。
こんな形式のリメイクがあってもいいと思った、同じシネマにするというリメイクだ。
こんなシネマが、しかしながら、突出して面白いのを果たして容認するべきなのか?
ここに邦画界の奥底深い矛盾を見出して少しうろたえてしまう。
ひとつは、
今回のリメイクは「シネマの土台はホン」だという永遠の真実を気負うことなく証明してくれる。そして脚本のみならず、膨大な人の知恵と労力の結集であることを。
現在あまりにもお気軽な、準備不足なシネマの多いこと。
自然淘汰法則に観客を巻き込まないで欲しい、
すくなくとも僕は今の日本のシネマにうんざりしている。
もうひとつは、
このリメイクをビジネスとして繰り返さないで欲しい。
特に黒澤作品をはじめとするエンターテイメント名作のリメイクマーケティングは勘弁して欲しい。
一方にはそれに満足するコンシューマー(僕のような)がいることも事実だから困ったものだ。
温故知新とはまるで異なる「模倣」には文化は育たないことを、両者もっと深刻に理解すべきだろう。

さてさて、
つまるところは黒澤作品の偉大さに感激するばかりのリメイク鑑賞になったが、
本作で重責を果たした俳優たちに、素直にその労をねぎらいたい。
織田さんにとっては重責より重圧だったかもしれないけど、役者ステップを一段上がった。
豊川さんはいくぶんフォーカスをはずした役作りに好感が持てた。

本作に限ってみると、数多駄作の現代日本映画の中では輝き光っていた。
ただし、「ポスト椿三十郎リメイク」が気になって仕方がない。
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