叫 (2006)

文字数 707文字

【進化した簡潔さなのか?それとも】 2007/8/19



結構共感した「キュア」、「カリスマ」以来久しぶりに黒沢さんの監督、脚本シネマを拝見した。黒沢作品といえば難解シネマタイプと定義、ジャンル分けしている立場からすれば、本作はわかりやすい。
別の言い方をすると、
「黒沢シネマなんだから理解してねっ・・」を要求される程の演出面での緻密さがない分、イージイさすら垣間見た。スピリッチュアルシネマのより進化した簡潔さなのか?それともスランプなのか?

カジュアルな表現だと、本作品は《幽霊もの》の衣を着たサスペンスだろう。
だが、その奥にある監督の意図、《無視され、忘れ去られた恨み》を感じ取るには観る側の高感度が要るだろう。
能天気に生きている現代日本人に、この寂寥感を察知できるのだろうか・・・まぁ、他人事なので心配はしないが。

そのくらい不親切な演出である。
せっかくのテーマなんだから、もう少し無関心な観客をうろたえさせるような展開があってもよかったんじゃないか?
正直なところ、僕は観終えた後かなり考え込んでしまった。
感じない心を意識的に鼓舞する作業は嫌いだけど、敢えて今回にかぎり監督の到達点を忖度してみた。
申し訳ないが、よくわからない。
役所さん演じた刑事の罪の意識が、さ迷う幽霊を呼び覚ました・・・という映像そのままの結論しか思いつかない。
オダギリさん、加瀬さんは捨石(それにしては豪華な)だったのだろうか?役割が曖昧だった。
幽霊の怨念が、どの辺に生じたのか?なにに拘っていたのか?
「忘れ去られ、無視される」つらさを想像するのが観客にとっても一番つらいことだとすればなおさら・・・・の想いだ。

進化なのですか、スランプですか?
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