ジェイソン・ボーン (2016)

文字数 997文字

【デフレの波は「ボーン・シリーズ」にまで】 2016/10/7



つい先日、アクションシネマのデフレ化を懸念すると申し上げた。
本シネマはその仮説を実証するためにも貴重な作品だった。
先祖返りのようなタイトル「ジェイソン・ボーン」を引っ提げた本作はマット・デイモン主演の第4作になる。

今、アクションシネマ業界では:
正統派スパイの「007ジェイムス・ボンド」シリーズもなにやら原点回帰調最近作が気になるところ。
トム・クルーズの汚れヒーロー「ジャック・リーチャー」のストイックさには痺れる。
キアヌ・リーブスのカンフー銃撃が見せ所の「ジョン・ウィック」は真っ黒の裏世界がかえって眩しい。
ジェイソン・ステイサムの完璧すぎるユニークな暗殺者「メカニック」はアイデア勝負の暗殺が気軽なお楽しみになる。
…かように シリーズ作品の公開が続いて、ファンにはお愉しみが途切れることがない。

ヒーロー(アンチヒーロー)が正義の味方として暴力を振るう、それも非合法の世界での絵空事はシネマがもたらす強力なカタルシスだろう。
それも世界のスター俳優が生真面目に演じてくれるのだからあり難いことである。
おまけに、これだけの多様性の中から選択できるのだからシネマファンはこれを享受するにこしたことはない。

こんな状態を、アクションシネマのデフレ化と見立てたわけであるが、デフレにはマイナスの一面があることを忘れてはいけない。
いわゆる過度な競争下での「質」の低下、シネマでいえばシリーズの上書きのようなマンネリ化や変革意識の欠如による劣化である。

シリーズ4作目となる本シネマでもその傾向がみられる。
ローバート・ラドラムの原案に頼るわけにもいかない現在、どうしてもストーリーが陳腐化してしまった。
「記憶を失った凄腕暗殺者」の匂いを引きずりながらいまだにCIAに抵抗するボーンには瑞々しさがなかった。
脇を固めたトミー・リー・ジョーンズ、アリシア・ヴィカンダーは、ただただCIA悪の権化でしかなかった。
ストーリーの中では暗殺者らしく世界各地に出没するものの、その映像は貧相だった。
その流れでのカーチェイス、銃撃戦も所詮二番煎じ尽くしだった。

まだシリーズが続くような気配だが、デフレ脱却の方策がない限り他のシリーズにとってかわられる運命だろう。
お金をかければいいものでもない、ここはひとつ原点の「暗殺者」に立ち戻って僕をあっと言わせてほしいものだ。
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