愛されるために、ここにいる (2005) 

文字数 940文字

【まなざし】2007/8/1



想いを伝えること、
真意をわかってもらえること、
簡単そうで難しい、まして言葉だけでは。

だからこそ人生は面白い、人間は不思議だ。
そんな素晴らしいシネマに出会えた。
決して若くない男女(パトリック・シェネ 、アンヌ・コンシニ)が
その想いをどうやってお互いに伝えあったのか?
親から引き継いだ裁判所の執行役人に、嫌悪感すら抱いている男、
でも仕事だ。
離婚後長いのだろう自分ひとりの生活が出来上がっている、
でもうんざりしている。
週に一度父親を老人ホームに訪れモノポリーゲーム、
でも自分への怒りが見えてくる。

一方、
作家志望のボーイフレンドと同棲中の女、
家族の圧力もあって近々結婚する。
結婚式でタンゴを踊るのがちょっとした目標、ダンス教室に行く、
でも彼はついて来ない。
男のオフィスから見えるダンス教室、
男も教室に顔を出す、
そして二人は出逢う。
こんなゆったりとしたシネマって昔はたくさんあった、
懐かしさに心が解ける。

《シャルウィダンス》の競技ダンスではこの市井の男女の想いが交錯しない、
ここはユーロピアンタンゴの出番だった、
こちらも懐かしさいっぱい。
心惹かれる二人、タンゴに身を委ねる二人は幸せそうだ。

しかし、言葉で伝えたい想いは往往にして真意から離れる、時にはあらぬ方向に・・・。
ふたりの破局はあまりにも身近な類型、
まったくどこにもドラマを感じないのがかえってリアルだった。

実は思いを伝えるのは言葉で充分だと僕は思ってる、
問題は間違った言葉を放つことが多いこと、
それも一番大切な思いの時に限って。

たとえば、
男の父親は気難しい老人、日曜日の訪問は口論で終わる。
父親は帰る息子を2階の窓からそっとのぞき見る・・・
と、息子がフッと仰ぎ見る。
父親は照れくさそうにカーテンのうしろに隠れる。
二人の交わらない「まなざし」が悲しかった。
父が亡くなったに日、男は父の想いに気づく、
父も素直な言葉が選べない人だった。
帰り際、いつものように窓を見上げる男、
その「まなざし」を受けとめる父はいないのに。

さいごに、男と女は自分の心に素直になる。
男は父の死から、女は周りの無神経さから、
想いを伝えることの大切さに気づく。
再会した二人には言葉は必要なかった、
熱い思いやりの「まなざし」でわかり合えた。
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