グリニッチ・ビレッジの青春 (1976)

文字数 681文字

【ニューヨーク版 青春の門】1977/9/18



「ハリーとトント(1974)」で初めて出会った ポール・マザースキー監督、ニュー・ハリウッド派と呼ばれるクリエーターの中では日本人にわかりやすいタイプだという印象があった。
それは、同じグループのミロス・フォアマン、マーチン・スコシーゼ達の物量シネマと違い低予算・小品傾向が日本的と思ったからだ。

本作は、そんなマザスキー監督が俳優志願だった頃の若き日の自分を見つめなおした製作・脚本・監督ワンマンフィルムだ。映画人が自分の体験を映像化するにおいて必ず避けられないであろう楽屋落ちエピソードが、門外漢のファンにはうれしい。

主人公ラピンスキーが某オーディションに受かるまでの経緯は、ニューヨーク版「青春の門」の雰囲気に満ちていた。
青春は失敗するもの、しかし何度も挑戦するもの、洋の東西を問わない掟があった。
ラピンスキーは何処にでもいるユダヤ系アメリカ人、いまさらユダヤエピソードはたいした問題ではなくそこは軽くエスニックギャクで交わしている。

主人公を演じたレニーベーカーはじめ芸達者な俳優が顔を揃えて、あの時グリニッジビレッジにいたであろう人物を再現してくれる。
シェリー・ウィンターズ、クリストファー・ウォーケン、アントニオ・ファーガス、マイク・ケリン、そして名も知らない大勢の俳優が支えていた。

マザスキー監督にとって大切だった青春の記憶、それは人生の一コマというには勿体ない輝きだった。そんな気持ちが込められたシネマ、共感できないはずもなかった、たとえこれから思い返すであろう僕であろうとも。

(記:1977年9月18日)
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