カポーティ (2005)

文字数 983文字

【「冷血」にみるアメリカの誇り】 2007/3/24



小説「冷血」は作品中カポーティ自身から語られるように、
ノンフィクションノベルスタイルを初めて打ち立てた
当時のニューウェイブ小説であるが、
僕の印象としてはタイトル「冷血」や、取材対象の血なまぐさい事件にも関わらず、
作家の公正でかつ暖かい視点が予想外だった記憶が強い。

「冷血」の手法はその後の現在日本のノンフィクション作家、佐野眞一さんらを
例に挙げるまでもなく、世界のノンフィクションスタンダードとして継承されている。
本シネマでは、その「冷血」完成秘話が、
「冷血」での語り口同様ナチュラルに描かれており、
カポーティへの惜しみない敬愛が読み取れ、僕は幸せだった。

ストーリーは、作家カポーティの「冷血」執筆過程における
心のあり様を穏やかに追いかけていく。
抗うことの出来ない作家の業として、真相を追究するカポーティに立ちはだかる
自らの感情との葛藤。
ここでは敢えて、被害者サイドの取材を最小限に抑え、
殺人者の心の闇に迫るカポーティの自らの心の変質を見せてくれる。

最初、ベストセラーライターとしての名声を狡猾に利用して、
取材するカポーティの得意な表情から、
死刑執行直前面会のカポーティの涙にいたる心の変質は、
ノンフィクションライターとしての完成過程を物語っていた。

「冷血」は犯人のことか、それともこの事件を取材するあなたなのか?
と発せられる問いかけに応えることの出来ないカポーティの良心が、
その後一本の作品も書き上げられなかった皮肉な結末につながるのである。
だが、僕は悲劇だとは思えない。

「冷血」は彼の、アメリカの、世界の珠玉小説となったのだから。
シーンを繋ぐのか、断ち切るのか判断に苦しむホリゾンタルなシーン。
カンザスの荒野、
マンハッタンの夕暮れ、
刑務所全景の四季
・・・が頻繁に使われている。

スティル映像のようなこれらのシーン、
カポーティが冷血に飲み込まれていく節目だったのだろうか?
美しくも、不気味であった。

ずばり、「カポーティ」と銘打った本シネマは、
彼のノンフィクション小説作法での偉業をたたえると同時に、
彼そのものが作品「冷血」同様、いやそれを凌ぐ興味深い作品であったことを教えてくれた。

そして、本シネマにアカデミーが払った敬意は、
とりもなおさず
「冷血」がアメリカ人に高く評価され続けられていることを意味するものである。
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