破門 ふたりのヤクビョーガミ (2017)

文字数 725文字

【大阪弁のエスプリ】 2017/1/29



原作とシネマの大きな谷が垣間見えた。
言葉を換えれば、原作シネマ(それも有名原作)の壁が立ちはだかった。
原作とシネマは別物である・・・と主張し続けて長い年月になるが、どうしてもバグが出てくるのが今回のような「喋り言葉の機微」が重要要素の場合だ。

小説は文字で書かれ顧客は目で読み頭の中で再現する、、その喋りの音や抑揚を自分で解釈する。
本シネマの原作の面白さは「大阪弁の喋り」の中にあった、極道と半端な堅気がまるで欧米人のように洒落た会話を大阪弁でかわす、意外性のコメディなのだ。
シネマになるのであれば、顧客は当然その醍醐味を期待し、評価するだろう。
原作なんて知らない顧客は、大阪弁の会話がどうやら重要視されていることに気づき評価させられてしまう。

いずれにしても、大阪弁のやり取りが本作の肝になってくる。
主役お二人の演技力(喋り力)、また独特の大阪極道言葉の指導スタッフ力が問われることになる。
実は作品の中でいみじくも話題になっているのが、本物志向の是非だった、つまり本物に習うに超したことはないがご時世が許さない。
僕は本物の喋りを知るわけでもないから、結局はいかにそれらしく見せることができるかがシネマの使命なのだろう。

前置きばかりが長くなったが、お二人の大阪弁・極道言葉に引き込まれることがなかったのは何故だろう?

イケメンすぎるお二人、
お殿様のイメージが強かったり、アイドルの姿が思い起こされてしまったりが実際のところだった。脇の親分・組員さんたちも、その意味ではコミカルにカリカチュアされてはいたがリアリティは乏しかった。

勝手な願望だが、一昔前のピラニア軍団のような迫力の方々のエスプリ会話に出会いたかったな。
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