2001年宇宙の旅 (1968)

文字数 867文字

【それでも満足でした】1978/11/14



原作とシネマの関係は、「凌げるか?」の言葉にしばしば代表されるとおり、
微妙でありそれでいてお互いの領分には踏み入れない
独自性が確立されていると考えます。
シネマとしての芸術性、娯楽性と、文学のそれとはまったく異質のもので、
同立性を要求することは間違いなのです。

しかし、これが「ノベライゼーション」小説となると話は違ってきます。
「決して観る前に読んではいけない」のがノベライゼーションでしょう。
でも僕はリバイバル公開が待ちきれず、
ノベライゼーションを読んでしまったのですから仕方ありません。

おかげさまで、
キューブリック監督自ら「一度観たくらいでこのシネマが理解できるわけがない」
と豪語していた真実に、いともたやすく到達できました。
おかげさまで、
信じ難いスケールで表現される映像と音楽の意味、その一つ一つが心に、
そして頭脳に沁みこんでいくがごとくでした。

キューブリックの指摘どおり、まったくといっていいほど、
説明的シークエンスのない構成のためいったん手がかりを失うとわけがわからなくなり、
その気持ちの不安定が次のシーンを理解する障害になり、
積もり積もってラストでは、かなりのストレスになるであろうことはたやすく想像できます。
ストーリーを追うことに慣れている観客にとっては、
キューブリックの自分よがりの映像は雄大で美しい以前に、
未知なる物に対する拒絶感すら抱かせます。

しかし、ひとたびあの映像美の世界に自らの感性を没し、素直な反応に身を任せたとき、
キューブリックの宇宙大叙事詩を理解できることになるのです。

残念ながら、僕はこの大いなる楽しみを放棄してしまったのです。
今思えば、キューブリックとクラークの思想がまったく同一であるはずもなく、
やはり映像の中にキューブリック独自のメッセージがあったのでは?
または別の解釈さえあったのでは(ないと思うが)?
という忸怩たる思いも残っています。

そんな気持ちより何より、
ついに僕の知性を満足させてくれる幻のそして本物のSF名作を
確認できた喜びで今は満足しています。

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