キネマの神様 (2021)

文字数 1,256文字

【ジュリーの献身】2021/8/6



本シネマには山田洋次監督が抱くシネマ愛すべてが注ぎ込められている。
シネマ愛と一緒に監督の活動屋としての集大成も垣間見られたのは、さほど大きな勘違いでもないだろうと思う。
近年は、小津安二郎監督への敬意を表した「東京家族」に引き続いて、その時の家族キャストをそのまま継続した「家族はつらいよ」シリーズ、
前作では寅さんを蘇らせた怪物シリーズ「フーテンの寅さん」の復刻、
勝手な僕の想像ではあるが、なにやら自分史を紡いでいるのではと思っていた。

本作は、オリジナル原案ではないが、そんな終活の仕上げの一環として山田監督が構成したであろう熱意が至る所にちりばめられていた。
主人公は、博打とアルコール依存の駄目親父だが、どこか憎めない性格…寅さんのように。
主人公は若いころ松竹撮影所に勤め監督を目指していた、ただし旧来の日本映画を打ち破るヌーベルバーグを。
彼が助監督を務めた監督は、ダンディなちょび髭の出水(リリー・フランキー)、まさに小津監督がモデルになっている。
同様に出水作品のヒロインを務める桂園子(北川景子好演)は原節子さんに違いない。
山田洋次監督がコメディ路線で頭角を現していた時期の、監督の心の葛藤すら勝手に想像してしまう。
もう一点は「志村けん」さんのこと。
本作の主役に抜擢(失礼かもしれないが)された志村さんに僕はずっと疑問をいだいていたが、志村さんが新型コロナ禍の象徴として亡くなった後、ジュリー・沢田さんが代役を受けると聞いて今度は混乱してしまった。
これらの僕の懸念は実はたいしたことはなかった、よくあることだった・・・
シネマを観れば納得するということだった。
山田監督が志村さんを主役に迎えた理由がよく分かった。
宮本信子さん(主人公の妻)や寺島しのぶさん(同じく娘)や前田旺志郎さん(同じく孫)との愛憎の芝居は本シネマの見どころになるはずだった、そこにはネクスト寅さんのイメージすら感じられたかもしれない。
かような設定は脚本の至る所に仕掛けられている・・・僕は「アァ志村さんだったらこう演技して笑いを取るんだろうな」と何度も思った。
しかし、志村さんはいない。
新型コロナによってシネマ製作は大きく変わらざるを得なかった、他のたくさんのシネマと同じように。
物語りも、しっかりとコロナ禍の現状を素直に、かつ戦略的に利用し流れを変更している。
2020年のシーンではマスク姿の俳優が多くなる、主人公の友人の名画座が維持できなくなる、それを支援する人たちがいる。
シネマ界全般の危機を訴えるシーンに、山田監督のリベラリストとしての矜持すら感じた。
マスクをしたまま水を飲む主人公のお笑いシーンがある、間違いなく新しく追加されたものだろう、ジュリーのために。
そうだった、ジュリーは志村けんさんになり切っていた、そう努力していた。
シネマの始まりのぎこちなさは確かにあったが、シネマが展開されるにつれジュリーは志村さんになっていく、
志村さん演じる寅さんになっていく
ジュリーの献身が美しく輝いていた。
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