ダラス・バイヤーズクラブ (2013)
文字数 796文字
【俳優魂の真髄に接する悦び】 2014/2/23
1985年ごろだったんだ・・・と
あらためてHIV(当時はエイズ)がアメリカを席巻していた時期を思い出した。
日本でもバブル景気の中で密やかに噂される徒花の印象があった。
ストレートに申せば「エイズは死の病」の恐怖がバブル狂瀾の裏側に浸透していた。
日本ではその後、血友病患者への薬害事件に発展したことは
決して記憶からなくしてはいけない悲劇だろう。
本シネマはそのエイズの薬剤規制に自然体で戦ったカウボーイの物語だ。
発症確認の時点で余命30日と宣告された主人公が
治療薬の副作用を糾弾しFDA(アメリカ政府食品医薬局)そして既存の医療システムと戦う。
HIVは治療できないとしても、緩和し延命することはエイズ患者の最大で最後の希望だった。
製薬企業とFDAの癒着を告発し、安全な薬剤の許可を求める主人公の闘いが全編に及ぶ。
会員にはFDA未承認の薬剤を自由に提供する、
DBC(ダラス・バイヤーズ・クラブ)を設立して法の目をくぐろうとする主人公たち。
HIV闘争の原点、個人の生存の権利と法が定める制約との矛盾が明らかにされていく。
「エリン・ブロコビッチ」にあったような法的告発ではなく
底辺の市民の抵抗がなぜか心を打つ。
死を宣告されて戦う勇気をどうやって奮い立たせることができるだろうか。
劇中の彼の言葉に息を止めた…
「死なない努力をしていて、生きている実感がない」。
壮絶なシネマだった。
マシュー・マコノヒーが好きなので本シネマにたどり着いた。
デー・ニーロ、クリスチャン・ベールを継承する役者魂を見せてもらった。
体重を落とせばいいという話ではない。
永遠のハンサムボーイからの脱却に近年目を瞠るものがあったが、
今シネマはその決定版だろう。
「ウルフ・オブ・ウォールストリート」で、なぜか細身だったのが今ようやく納得できた。
俳優の真髄に接するのもシネマファンの醍醐味である。
1985年ごろだったんだ・・・と
あらためてHIV(当時はエイズ)がアメリカを席巻していた時期を思い出した。
日本でもバブル景気の中で密やかに噂される徒花の印象があった。
ストレートに申せば「エイズは死の病」の恐怖がバブル狂瀾の裏側に浸透していた。
日本ではその後、血友病患者への薬害事件に発展したことは
決して記憶からなくしてはいけない悲劇だろう。
本シネマはそのエイズの薬剤規制に自然体で戦ったカウボーイの物語だ。
発症確認の時点で余命30日と宣告された主人公が
治療薬の副作用を糾弾しFDA(アメリカ政府食品医薬局)そして既存の医療システムと戦う。
HIVは治療できないとしても、緩和し延命することはエイズ患者の最大で最後の希望だった。
製薬企業とFDAの癒着を告発し、安全な薬剤の許可を求める主人公の闘いが全編に及ぶ。
会員にはFDA未承認の薬剤を自由に提供する、
DBC(ダラス・バイヤーズ・クラブ)を設立して法の目をくぐろうとする主人公たち。
HIV闘争の原点、個人の生存の権利と法が定める制約との矛盾が明らかにされていく。
「エリン・ブロコビッチ」にあったような法的告発ではなく
底辺の市民の抵抗がなぜか心を打つ。
死を宣告されて戦う勇気をどうやって奮い立たせることができるだろうか。
劇中の彼の言葉に息を止めた…
「死なない努力をしていて、生きている実感がない」。
壮絶なシネマだった。
マシュー・マコノヒーが好きなので本シネマにたどり着いた。
デー・ニーロ、クリスチャン・ベールを継承する役者魂を見せてもらった。
体重を落とせばいいという話ではない。
永遠のハンサムボーイからの脱却に近年目を瞠るものがあったが、
今シネマはその決定版だろう。
「ウルフ・オブ・ウォールストリート」で、なぜか細身だったのが今ようやく納得できた。
俳優の真髄に接するのもシネマファンの醍醐味である。