オール・ザット・ジャズ (1979)

文字数 1,023文字

【JAZZとは人生そのもの】 1980/9/29



今年のカンヌで《影武者》とグランプリを分け合ったシネマ、なにやら期せずして両作品、テーマに共通なものを感じた。
それを、「死に魅入られた人間が演じる残りの人生」・・・とでも言ってみようか。
ただし、こっちのほうが ハリウッドらしく直截的に見据えている点が大きく異なっていて興味深かった。

以前、「JAZZとは人生そのもの」というような名セリフを聞いたことがある、その意味では本作品のタイトルはシンプルだ。
・・・It's Show Time !・・・と叫んで自らの肉体を鼓舞する主人公の姿は、人生なんて決して楽しいものではないことを説明してくれる。
ボブ・フォッシー監督が冒頭にジョー・ギデオンの荒廃した生活を描写して見せたのも、JAZZとは人生の苦しみを訴えるだけではなく、実は苦しみ、悲しみそのものであると言いたかったようだ。

しかしながら、単純に「JAZZ」という単語にこだわっていると、本シネマの本質を見誤ってしまいそうだ。
確かに、ジョー・ギデオンの生涯を振り返りながら、彼の生き様ひとつひとつを客観的にチェックしていく過程ではなるほどJAZZの匂いもしてくる。
でも重要なのはジョーの「死に対する感情」である。
ジョーが編集しているシネマ(「レニー・ブルース」らしい)の中で、「死」に対する人間の対応段階がジョークとなって提起される。
これこそがボブ・フォッシーの意図するテーマだ。

劇中、黒子のように(実は白い服だが)登場してくる女性、ジョーの人生の監督者、または死神ともいえる。
ブロードウェイで権威を振るう演出家の日常にこのような幻想的なシーンを織り交ぜるタイプのシネマは近年珍しくフェリーニの世界を思い出させるが、幻想と現実が最後には論理的に結びつくところは、やはり新大陸シネマなのか?

予断として、 ブロードウェイ内情曝露物というイメージがあったため、確かに面食らってしまったが、ここに観るファンタジーの味付けは意外性を超え好感の域にまでひろがった。
シネマらしい、シネマだから可能な作品だった。
ジョー・ギデオンの死そのものは悲しいとか、哀れとかのレベルで論ずるものではないだろう。
なぜなら、「死」は全ての人間が背負っている宿命でありジョーもそのひとつに過ぎないから。

本シネマを観たあとに、何か悲しみや恐怖を感じるならば、「 It's Show Time 」の響きも理解できるだろう。

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