柳生一族の陰謀 (1978)
文字数 457文字
【スーパースター不在の時代劇】 1978/4/9
東映が十数年ぶりに製作した「時代劇」、監督が深作欣二という話題が先行してしまったが、話題作イコール名作とは限らないことは、今までの経験でよ~く知っている。
この十年間、時代劇はTVでしか作られていなかったその付けを本作が払うことになった。
TVで観る俳優が大きなスクリーンに登場するだけで時代劇本編が出来上がるわけではない。
大きな画面の隅々にTVドラマの痕跡が目立つ、おそらくスタッフも久しぶりの本編に戸惑ったのだろう、さもありなん。
そこで、深作さんの腕の見せ所なのではあるが、切れ味鋭いリアルな演出は控えられ、古き良き昔のチョンマゲへの回顧が見られた。
無いものねだりをしても仕方ない、いろんな不満はあったが長時間(130分)飽きることなく楽しむことができたのは、やはり監督のスピード感覚と意外な結末だった。
それでもなお、しかしながら 本時代劇にスーパースターはいなかった。
萬屋錦之助はもはや中村錦之助ではなく、深作欣二は内田吐夢ではなかった。
(記:1978年4月9日)
東映が十数年ぶりに製作した「時代劇」、監督が深作欣二という話題が先行してしまったが、話題作イコール名作とは限らないことは、今までの経験でよ~く知っている。
この十年間、時代劇はTVでしか作られていなかったその付けを本作が払うことになった。
TVで観る俳優が大きなスクリーンに登場するだけで時代劇本編が出来上がるわけではない。
大きな画面の隅々にTVドラマの痕跡が目立つ、おそらくスタッフも久しぶりの本編に戸惑ったのだろう、さもありなん。
そこで、深作さんの腕の見せ所なのではあるが、切れ味鋭いリアルな演出は控えられ、古き良き昔のチョンマゲへの回顧が見られた。
無いものねだりをしても仕方ない、いろんな不満はあったが長時間(130分)飽きることなく楽しむことができたのは、やはり監督のスピード感覚と意外な結末だった。
それでもなお、しかしながら 本時代劇にスーパースターはいなかった。
萬屋錦之助はもはや中村錦之助ではなく、深作欣二は内田吐夢ではなかった。
(記:1978年4月9日)