カウボーイ&エイリアン (2011)

文字数 972文字

【プログラムシネマ西部劇の復活を祈ってます】 2011/10/29



オット、これは危ういですね。
タイトル「カウボーイ&エイリアン」からして邪道の匂い芬芬、
大物俳優をそろえた胡散臭さからもブーイングが来そう。
しかしここは断固として、【西部劇の伝統を復活し、プログラムシネマの夢もう一度】の立場から無茶なエールを送るのだ。

僕のシネマ・イニシエイションは親に連れられての毎週の小屋通い、字幕も読めない3歳頃のこと。まだ庶民の娯楽に「テレビ」が忍び寄る以前の頃だった。
2本立て洋画を週替りで見るのがささやかな楽しみだった、貧しくとも熱気のあった時代だった。字幕がなくても面白かったのが「西部劇」、田舎の小屋でも毎週出し物は替わっていた、そんな印象もその痛快さ故かも。
いわゆる西部劇プログラムピクチャーが僕の幼年期の教師であり見事洗脳は完結された。
今思えば、プログラムピクチャーだけにパターンが決まっていた:
●白人良い人、インデアン悪いやつ。
●保安官負けない、ならず者は撃たれる。
●北軍正義、南軍賊軍。
などなどその他多数のお約束事があったもんだ。
その後の西部劇の凋落はあまりにも極端で激しかった、時代の変遷の先頭を切った変わり様だった。
リアリズムと称して、古きよき約束事が無残に破られる、
マカロニ盛りの海賊版に世界が魅了される。
そして・・・・・ いつしか西部劇は製作されなくなる、儲からないコンテンツだと唾棄されて。
それでも上質の西部劇を近年僅かながらも鑑賞することができるようになった。
「3時10分、決断のとき」、「ジェシー・ジェイムスの暗殺」、「トゥルー・グリット」など異色作は記憶に残る。
でもね、僕が求めてるのはあの「プログラムピクチャーの西部劇」なのよ。

ここで大胆なご提案をさせてもらいます。
正直に言って、本シネマは豪華なプログラムピクチャーだった。
それも現代版プログラムピクチャーになっている。
その要素は:
■地球人良い人、エイリアン悪いやつ
■地球人負けない、侵略者逃げる
■防衛軍正義、侵略軍賊軍

これらの要素を展開すればかなりのシリ-ズ化ができる。
たとえば:
【サムライ&エイリアン】
【バットマン&エイリアン】
【少林寺&エイリアン】
【パイレーツ&エイリアン】

いけないっ、西部劇ではなくて「エイリアン」プログラムピクチャーになっていた。
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