【明日、白夜になる前に~伍拾弐~】
文字数 2,129文字
何なんだろう、この違和感は。
何かが可笑しい。何かが間違っている。だが、それが何だかを具体的にことばにすることが出来ない。ただ、何かが間違っている。
ぼくは出勤後も、自分のスマホを眺めている。
『うん! こっちも凄く楽しかったよ! また一緒に飲みに行こうね!』
これが今朝、里村さんから届いたメッセージだった。一見すると特に可笑しなところはないように思える。だが、やっぱり可笑しい。
多分、普段のぼくならこんなメッセージを貰えれば嬉しくて昇天していることだろう。だが、どうにも喜べない。まるで、目の前にエサを撒かれ、その上には竹で編まれた籠が大きな口を開けて待っているような、そんな感じ。
デスクがコトリと音を立てる。
振り返るとそこには宗方さんがいる。手にはお盆、もう片方の手にはお茶の入った湯飲みが握られている。
「どうしたんですか、難しい顔して」何処か感情を圧し殺したような声で、宗方さんはいう。
「あぁ、いや、別に……」ぼくは宗方さんの手を見る。「あれ? 宗方さんって、左利きなんだっけ?」
「え?」急な質問に驚きつつも、宗方さんはすぐに顔を緩めて笑う。「あぁ、えぇ。そうなんですよ。実はそうで」
宗方さんはお盆を小脇に挟んで、右手で左手を触る。
「そうだったんだ。何か、仕事で毎日のように顔を合わせているのに、案外人のことってわかってないモンなんだね」
「……そう、ですね」
気まずい空気が流れる。ぼくは自分が失言したと気づいていた。だが、それ以上に、
「……ん? 何で、おれは宗方さんが左利きだってことに驚いているんだ?」
「え?」
「左利きってことに驚いてるってことは、無意識の内にその人が右利きだろうみたいに思ってたってことじゃない?」
「あぁ。でも、世の中の人の殆どは右利きですからね。それも無理はないと思いますよ。変な話、わたしも会う人、会う人のこと、無意識に右利きだと思ってる節はありますからね」
「あぁ、そうか。単なる思い込み、か」
「えぇ。人って、案外するじゃないですか。自分がそうであって欲しいみたいなイメージを無意識の内に想像して、それが本当のその人だって思い込んでしまうってこと」
確かにそうだ。宗方さんのいっていることは往々にしてあることだ。
定番な話でいえば、付き合っている相手が実はとんでもない人だったのに、そういう事実を信じたくないがために、自分の理想像を無意識の内に作り上げ、それが本当の相手の姿と思い込むということが挙げられる。
だが、それにより自分にとって不都合な真実を認められなくなってしまっている。
或いは、失敗したくないという思いが無意識の内に自己保身に走らせているのだろう。
まぁ、どちらにせよ、そんなのは自分のことしか見ていない。相手のことなど何も見えていないとそういうこと……。
ん……?
相手が見えていない、か……。
ぼくはスマホで宗方さんにメッセージを送る。と、宗方さんはぼくに断ってスマホを見るが、すぐにぼくのほうを見る。
「どうしたんですか?」
「何でぼくがそのメッセージを送ってるってわかったの?」
「え!?」宗方さんは明らかに困惑している。「……いや、斎藤さんから送られて来たので」
「なるほど。……今って時間ある?」
「えぇ……、まぁ……」
「ちょっと、ここで待っててくれる? すぐ戻ってくるから」
ぼくはそういい残して一端デスクから離れて小林さんの元へ行く。
それから一、二分程度してぼくは宗方さんのいるデスクへと戻った。宗方さんは不思議そう、かつ困惑してぼくのことを見ている。
「あの……、これはどういうことですか……?」
そういって宗方さんはぼくにスマホの画面を見せてくる。と、そこには『いつも仕事頑張ってるね』と書いてある。
「そのメッセージ、どうしておれが送ったって思ったの?」
「え……?」宗方さんは困惑を隠し切れない。「いや、だって……、これ、斎藤さんから送られて来たモノだし……」
「そのメッセージ、小林さんが送ったモノだよ」
「えぇ!?」
宗方さんは驚いてスマホの画面を食い入るように眺め、それからぼくに抗議するような視線を向けていう。
「……どういうことですか?」
「今、宗方さんがおれからのメッセージだって勘違いしたのは、おれのアカウントからメッセージが送られたからだよね」
「そう、ですね」
「でも、そのメッセージが来た時はさっきと違っておれの姿は目の前になかったワケだ」
「はい。それにメッセージなら逆に顔の見えないところから送るのが普通ですし」
「そうなんだよ。本来メッセージは相手が自分の前にいない時に送るもんだ。でも、それって当たり前ながら、その時、相手が何をしてるか何てわからない。もしかしたら、自分以外の誰かがスマホを触って、イタズラで送信しているかもしれない。気づいているけど、既読にしていないのかもしれない。本当に気づいていないのかもしれない。どれも考えられる。でも、やはり先入観でそのアカウントから送られてくるメッセージってのは、その人が送ってるって思い込んじゃうモンだ」
「なるほど……。でも、どうして……」
「ちょっと、今夜、付き合ってくれるかな?」
「え!?」
【続く】
何かが可笑しい。何かが間違っている。だが、それが何だかを具体的にことばにすることが出来ない。ただ、何かが間違っている。
ぼくは出勤後も、自分のスマホを眺めている。
『うん! こっちも凄く楽しかったよ! また一緒に飲みに行こうね!』
これが今朝、里村さんから届いたメッセージだった。一見すると特に可笑しなところはないように思える。だが、やっぱり可笑しい。
多分、普段のぼくならこんなメッセージを貰えれば嬉しくて昇天していることだろう。だが、どうにも喜べない。まるで、目の前にエサを撒かれ、その上には竹で編まれた籠が大きな口を開けて待っているような、そんな感じ。
デスクがコトリと音を立てる。
振り返るとそこには宗方さんがいる。手にはお盆、もう片方の手にはお茶の入った湯飲みが握られている。
「どうしたんですか、難しい顔して」何処か感情を圧し殺したような声で、宗方さんはいう。
「あぁ、いや、別に……」ぼくは宗方さんの手を見る。「あれ? 宗方さんって、左利きなんだっけ?」
「え?」急な質問に驚きつつも、宗方さんはすぐに顔を緩めて笑う。「あぁ、えぇ。そうなんですよ。実はそうで」
宗方さんはお盆を小脇に挟んで、右手で左手を触る。
「そうだったんだ。何か、仕事で毎日のように顔を合わせているのに、案外人のことってわかってないモンなんだね」
「……そう、ですね」
気まずい空気が流れる。ぼくは自分が失言したと気づいていた。だが、それ以上に、
「……ん? 何で、おれは宗方さんが左利きだってことに驚いているんだ?」
「え?」
「左利きってことに驚いてるってことは、無意識の内にその人が右利きだろうみたいに思ってたってことじゃない?」
「あぁ。でも、世の中の人の殆どは右利きですからね。それも無理はないと思いますよ。変な話、わたしも会う人、会う人のこと、無意識に右利きだと思ってる節はありますからね」
「あぁ、そうか。単なる思い込み、か」
「えぇ。人って、案外するじゃないですか。自分がそうであって欲しいみたいなイメージを無意識の内に想像して、それが本当のその人だって思い込んでしまうってこと」
確かにそうだ。宗方さんのいっていることは往々にしてあることだ。
定番な話でいえば、付き合っている相手が実はとんでもない人だったのに、そういう事実を信じたくないがために、自分の理想像を無意識の内に作り上げ、それが本当の相手の姿と思い込むということが挙げられる。
だが、それにより自分にとって不都合な真実を認められなくなってしまっている。
或いは、失敗したくないという思いが無意識の内に自己保身に走らせているのだろう。
まぁ、どちらにせよ、そんなのは自分のことしか見ていない。相手のことなど何も見えていないとそういうこと……。
ん……?
相手が見えていない、か……。
ぼくはスマホで宗方さんにメッセージを送る。と、宗方さんはぼくに断ってスマホを見るが、すぐにぼくのほうを見る。
「どうしたんですか?」
「何でぼくがそのメッセージを送ってるってわかったの?」
「え!?」宗方さんは明らかに困惑している。「……いや、斎藤さんから送られて来たので」
「なるほど。……今って時間ある?」
「えぇ……、まぁ……」
「ちょっと、ここで待っててくれる? すぐ戻ってくるから」
ぼくはそういい残して一端デスクから離れて小林さんの元へ行く。
それから一、二分程度してぼくは宗方さんのいるデスクへと戻った。宗方さんは不思議そう、かつ困惑してぼくのことを見ている。
「あの……、これはどういうことですか……?」
そういって宗方さんはぼくにスマホの画面を見せてくる。と、そこには『いつも仕事頑張ってるね』と書いてある。
「そのメッセージ、どうしておれが送ったって思ったの?」
「え……?」宗方さんは困惑を隠し切れない。「いや、だって……、これ、斎藤さんから送られて来たモノだし……」
「そのメッセージ、小林さんが送ったモノだよ」
「えぇ!?」
宗方さんは驚いてスマホの画面を食い入るように眺め、それからぼくに抗議するような視線を向けていう。
「……どういうことですか?」
「今、宗方さんがおれからのメッセージだって勘違いしたのは、おれのアカウントからメッセージが送られたからだよね」
「そう、ですね」
「でも、そのメッセージが来た時はさっきと違っておれの姿は目の前になかったワケだ」
「はい。それにメッセージなら逆に顔の見えないところから送るのが普通ですし」
「そうなんだよ。本来メッセージは相手が自分の前にいない時に送るもんだ。でも、それって当たり前ながら、その時、相手が何をしてるか何てわからない。もしかしたら、自分以外の誰かがスマホを触って、イタズラで送信しているかもしれない。気づいているけど、既読にしていないのかもしれない。本当に気づいていないのかもしれない。どれも考えられる。でも、やはり先入観でそのアカウントから送られてくるメッセージってのは、その人が送ってるって思い込んじゃうモンだ」
「なるほど……。でも、どうして……」
「ちょっと、今夜、付き合ってくれるかな?」
「え!?」
【続く】