【丑寅は静かに嗤う~灯火】
文字数 2,148文字
夜、丘の上にある盗賊の隠れ家は、まるで死んだように静けさを纏っている。
真っ暗な夜、その闇を微かに照らすように、盗賊の隠れ家はポッと浮かび上がっている。
「……帰って、来ちまったな」
犬蔵がいう。だが、その顔色は青く、喜ぶ様子は微塵もない。
「そう、ですね……」
桃川は犬蔵の心中を察しているかのように声の調子を落としていう。隠れ家の放つ灯火が、ふたりの水晶体に反射して、その輝きに水気を与えている。複雑な感情の入り交じったような、その水気をまなこに宿して。
「……突然だけどよ、訊いてもいいか?」
犬蔵が訊ねる。桃川は顔色を変えずに、
「何ですか?」
「おめぇは辛さってモノを感じるのか?」
犬蔵の問いに桃川は一瞬呆気に取られたようになるが、感情が漏れ出すようにうっすらと笑って見せるとーー
「それは、人間ですからね」
「そうか……、じゃあこの旅の中でも何か感じるモノはあったってことか?」
「それは、まぁ。でも、何でですか?」
「いやよ、何つうか、おめぇは何処かすべてのことに対して乾いているっていうか、まるで感情なんてモノがないように振る舞うからよ。だから、その、どうなのかな、と思ってよ」
犬蔵の問いに対し、桃川は面白くもなさそうに盗賊の隠れ家へと目を向けていうーー
「……わたしだって悲しければ泣きますし、面白ければ笑いますよ。記憶を失っているせいか、その感覚が薄くなっているのも事実ではありますけど」
「そうなんだな……」
「何か、あったんですか?」
「あの猿野郎がいってたんだーー」
犬蔵は猿野郎ーー猿田がいっていたことについて話し出す。その話は、半刻ほど前に遡る。
「かなり、昔の話だ。夢の中でおれはおれ以外の誰かになっていた。ただ、身体は紛れもないおれ自身で、意識だけが自分でない誰かになっていたような感じだった」
いつになく深刻な話しぶりの猿田ーー犬蔵は軽い調子で訊ね返した。
「ほぉ。で、身体が誰かさんに乗っ取られて、ねぇ。そりゃ深刻だな。で、そんな中でおめぇは一体何をしてたんだ?」
「……ある男に問い掛けていた。あまり会いたくない男だった。おれがかつて殺した男だったが、正直、すこし間違えばおれが死んでいた。それくらいに凄腕な男だった」
「あぁ、よくいってたヤツのことか。名前はーー聞いてなかったな。でも、その様子じゃ名前もいいたくねぇんだろ?」
「……すまん」
「謝るようなことじゃねぇだろ。で、その鬼みてぇな野郎と何をしてたんだよ?」
「あの隠れ家の灯火ほどの灯りもない闇の中だった。だが、おれとその男の身体だけが閃光を放つように明るく鮮明に見えていた。そんな中、おれは不思議と自分のことばではない、誰かのことばで話していた」
「……気味の悪い話だな」
「ほんとだな。それで、おれは無意識の内に、その男に『無と同化しろ』といっていた」
「『無と同化』? どういうことだよ」
「おれにもよくわからない。ただ、そうしなければーーいや、止めておくか」
「あ? どうしたんだよ。別にバカになんかしてねぇしさ。話してみろよ」
「いや、でも……」
猿田はどうにも話しづらいといった感じでいた。犬蔵は引くことを知らずに、
「別にそれをいったからっておれが怒るようなことでもねぇだろ。それに所詮は夢の話、どんなバカげたことが起ころうと、おめえをバカになんかしねぇよ」
「……そうか」猿田は少し間を取って、「おれはヤツに『神を殺す方法』を教えていた」
「神を殺す方法、ねぇ。それをおめえが知ってるんなら、おれも教えて貰いてぇね。こんなクソみてぇな現実にはウンザリだ。やれるもんなら神のクソ野郎を痛めつけて、存分に懺悔させてやりたい気分だね。で、教えたのか、その神を殺す方法とやらを」
「教えた、と思う。でも、その方法だけがぽっかりと抜け落ちたように消えている」
「まぁ、夢なんてそんなもんだよな。でも、そんな昔に殺した男のことを未だに夢で見るなんて、その男はよっぽどおめえに恐ろしい思いをさせたってことなんだろうな」
「怖いなんて、もんじゃなかった。強がるのが精一杯で、あれはーー」
犬蔵は突然立ち上がった。それに合わせて猿田は、何事かとことばを切った。犬蔵は猿田の両肩を乱暴に叩いた。
「ほら、そこら辺にしとけよ。ここに来て弱音吐いてどうすんだよ。ここからは強気で行かなきゃ、例え剣豪のアンタでも雑魚も切れねぇどころか、雑魚にもやられちまうぜ」
「……そうだな」
「しっかりしてくれよな、猿の旦那」
犬蔵は今一度、猿田の肩を叩いたーー
「そうですか、猿田さんがーー」桃川。
「あぁ、らしくなかったな。でも、ウンザリするほど殺し、殺され掛けっていうのを繰り返しちまうと、普通の精神状態じゃいられないのかもしれねぇよな」
「……かも知れませんね」
「だからよ、おめえにも忘れちまってちょうどいいような苦い昔話があるのかもしれねぇな、と思ったんだよ」
「……えぇ、確かにあったかもしれません」
「おれも、な。……何つうか、色々と、悪かったな。だからよーー」
「そういう話は、終わった後にしませんか。縁起が悪すぎる」
「……ハッ、おれもあの猿野郎と同じじゃねぇか。それも、そうだなーーあ、あれ」
犬蔵は話を切って、前方を指差す。
「えぇ、宴の始まりです」
【続く】
真っ暗な夜、その闇を微かに照らすように、盗賊の隠れ家はポッと浮かび上がっている。
「……帰って、来ちまったな」
犬蔵がいう。だが、その顔色は青く、喜ぶ様子は微塵もない。
「そう、ですね……」
桃川は犬蔵の心中を察しているかのように声の調子を落としていう。隠れ家の放つ灯火が、ふたりの水晶体に反射して、その輝きに水気を与えている。複雑な感情の入り交じったような、その水気をまなこに宿して。
「……突然だけどよ、訊いてもいいか?」
犬蔵が訊ねる。桃川は顔色を変えずに、
「何ですか?」
「おめぇは辛さってモノを感じるのか?」
犬蔵の問いに桃川は一瞬呆気に取られたようになるが、感情が漏れ出すようにうっすらと笑って見せるとーー
「それは、人間ですからね」
「そうか……、じゃあこの旅の中でも何か感じるモノはあったってことか?」
「それは、まぁ。でも、何でですか?」
「いやよ、何つうか、おめぇは何処かすべてのことに対して乾いているっていうか、まるで感情なんてモノがないように振る舞うからよ。だから、その、どうなのかな、と思ってよ」
犬蔵の問いに対し、桃川は面白くもなさそうに盗賊の隠れ家へと目を向けていうーー
「……わたしだって悲しければ泣きますし、面白ければ笑いますよ。記憶を失っているせいか、その感覚が薄くなっているのも事実ではありますけど」
「そうなんだな……」
「何か、あったんですか?」
「あの猿野郎がいってたんだーー」
犬蔵は猿野郎ーー猿田がいっていたことについて話し出す。その話は、半刻ほど前に遡る。
「かなり、昔の話だ。夢の中でおれはおれ以外の誰かになっていた。ただ、身体は紛れもないおれ自身で、意識だけが自分でない誰かになっていたような感じだった」
いつになく深刻な話しぶりの猿田ーー犬蔵は軽い調子で訊ね返した。
「ほぉ。で、身体が誰かさんに乗っ取られて、ねぇ。そりゃ深刻だな。で、そんな中でおめぇは一体何をしてたんだ?」
「……ある男に問い掛けていた。あまり会いたくない男だった。おれがかつて殺した男だったが、正直、すこし間違えばおれが死んでいた。それくらいに凄腕な男だった」
「あぁ、よくいってたヤツのことか。名前はーー聞いてなかったな。でも、その様子じゃ名前もいいたくねぇんだろ?」
「……すまん」
「謝るようなことじゃねぇだろ。で、その鬼みてぇな野郎と何をしてたんだよ?」
「あの隠れ家の灯火ほどの灯りもない闇の中だった。だが、おれとその男の身体だけが閃光を放つように明るく鮮明に見えていた。そんな中、おれは不思議と自分のことばではない、誰かのことばで話していた」
「……気味の悪い話だな」
「ほんとだな。それで、おれは無意識の内に、その男に『無と同化しろ』といっていた」
「『無と同化』? どういうことだよ」
「おれにもよくわからない。ただ、そうしなければーーいや、止めておくか」
「あ? どうしたんだよ。別にバカになんかしてねぇしさ。話してみろよ」
「いや、でも……」
猿田はどうにも話しづらいといった感じでいた。犬蔵は引くことを知らずに、
「別にそれをいったからっておれが怒るようなことでもねぇだろ。それに所詮は夢の話、どんなバカげたことが起ころうと、おめえをバカになんかしねぇよ」
「……そうか」猿田は少し間を取って、「おれはヤツに『神を殺す方法』を教えていた」
「神を殺す方法、ねぇ。それをおめえが知ってるんなら、おれも教えて貰いてぇね。こんなクソみてぇな現実にはウンザリだ。やれるもんなら神のクソ野郎を痛めつけて、存分に懺悔させてやりたい気分だね。で、教えたのか、その神を殺す方法とやらを」
「教えた、と思う。でも、その方法だけがぽっかりと抜け落ちたように消えている」
「まぁ、夢なんてそんなもんだよな。でも、そんな昔に殺した男のことを未だに夢で見るなんて、その男はよっぽどおめえに恐ろしい思いをさせたってことなんだろうな」
「怖いなんて、もんじゃなかった。強がるのが精一杯で、あれはーー」
犬蔵は突然立ち上がった。それに合わせて猿田は、何事かとことばを切った。犬蔵は猿田の両肩を乱暴に叩いた。
「ほら、そこら辺にしとけよ。ここに来て弱音吐いてどうすんだよ。ここからは強気で行かなきゃ、例え剣豪のアンタでも雑魚も切れねぇどころか、雑魚にもやられちまうぜ」
「……そうだな」
「しっかりしてくれよな、猿の旦那」
犬蔵は今一度、猿田の肩を叩いたーー
「そうですか、猿田さんがーー」桃川。
「あぁ、らしくなかったな。でも、ウンザリするほど殺し、殺され掛けっていうのを繰り返しちまうと、普通の精神状態じゃいられないのかもしれねぇよな」
「……かも知れませんね」
「だからよ、おめえにも忘れちまってちょうどいいような苦い昔話があるのかもしれねぇな、と思ったんだよ」
「……えぇ、確かにあったかもしれません」
「おれも、な。……何つうか、色々と、悪かったな。だからよーー」
「そういう話は、終わった後にしませんか。縁起が悪すぎる」
「……ハッ、おれもあの猿野郎と同じじゃねぇか。それも、そうだなーーあ、あれ」
犬蔵は話を切って、前方を指差す。
「えぇ、宴の始まりです」
【続く】