【丑寅は静かに嗤う~犬鳴】
文字数 2,661文字
村の辻に乾いた風が吹く。
空は曇り、木葉は舞い、砂ぼこりは渦を巻いて天へ散る。殺風景、何もかもが味気ない。
突然の衝撃。背中に加わるキツイ一撃。犬蔵が勢いよく倒れ込む。
「何しやがる!」
犬蔵が喚く。少し前までの腰の低さは何処へやら。これが本性なのだろう。ギラつく目で見下す猿田を睨み付ける。
猿田ーーその目は凍り付き、まるで虫の息のウジ虫を踏みつけんとするよう。
「テッメェ、黙ってねぇで何とかいったらどうなんだ!?」
「立て。もたもたすんな」熱量の薄い声色で猿田はいう。
「何だとぉ!」
立ち上がる犬蔵ーーが、その首筋に冷たい刃が突き付けられる。犬蔵の顔に恐怖が宿る。さっきまでの威勢はそこにはない。
猿田の右手には『狂犬』と呼ばれる刀が握られている。狂犬の刃は今にも犬蔵の首筋に噛みつかんとしている。
「うるせぇ。黙って案内しろ。下手なことをすりゃ、狂犬がお前の首に噛みつくぜ」
「ちょっと猿ちゃん!」お雉。「元はといえば、アンタがこの人の背中を押したから」
「そ、そうだぜ……。その姐さんがいう通りだ……。テ、テメェが、押すから……」
「もたもたしてるからだ。このまま行ったら日が暮れちまうんだよ」
「だとしてもだよ!」
「猿田さん」桃川がいう。「慌てることはないです。ヤツラが逃げることはない。ゆっくり行きましょう」
「逃げることはない、か」猿田は桃川を鋭く見る。「どうして、そんなことがいえるんだ?」
一瞬の沈黙が生まれる。桃川は、
「……盗賊の隠れ家は山の中。そんな辺鄙な場所に構えた隠れ家ならば、奉行所から目をつけられることもないし、安全です。わざわざ別の場所に移る理由がありますか?」
「村の襲撃で勢力が削られた今、アンタやおれが来るだろうことは連中もわかると思うけどな」猿田は刀を鞘に納め、犬蔵に近づく。「いずれにせよ、お前がヤツラから見捨てられたのは変えようのない事実だってことだけどな」
「何だとぉ!?」
目をギラつかせ、猿田に寄る犬蔵。だが、猿田はまったくビビる様子もなく、むしろ犬蔵を嘲笑うかのような笑みを浮かべ、
「何なら縄を解いてやるから、ここでおれを殺してもいいんだぜ」
猿田の提言に犬蔵とお雉の顔に緊張が走る。桃川は相も変わらず冷静にその場を眺めている。
「ちょっと、何をいってるの? そんなーー」
「うるせぇ」お雉の話を制し、「どうなんだ、やるか? お前の自慢の腕を見せつけるいい機会だぜ。お前の業でおれを捩じ伏せてくれよ」
猿田の笑みには狂気が宿っているよう。相手を挑発しているのはいうまでもないが、同時に自分の死をこころのどこかで望んでいるように見えなくもないーーそんな感じ。
犬蔵は何処か恐れを抱いているようだが、
「お、面白ぇ! やってやろうじゃねぇか!……縄をほどきやがれぇ!」
と半分自棄になったように喚く。
「そんな……!」お雉は桃川にすがり、「ねぇ、何とかしてよ!」
「どちらも、死ぬことはありませんよ」
「そんなこと、どうしていい切れるの!?」
桃川はそれ以上は何もいわない。ただ、冷めた態度で、目の前の揉め事を眺めるのみ。
「そんな……! アンタたち、止めてよ!」
「心配すんな。おれは死なないし、コイツも殺さない。残念ながらな」
猿田のいい様に犬蔵が声を荒げる。
「あ!? テメェ、いってることが違うじゃねぇか! いいから縄を解け! 殺してやる!」
「いいから黙ってな。今から解いてやるよ」
そういって猿田は犬蔵のうしろへ周り、一瞬にして抜刀、次の瞬間には犬蔵の動きを制していた縄が地面に引き寄せられるように勢い良く落ちる。
「この野郎!」
そういって犬蔵は感情に任せて勢いよく振り返るも、すぐに動きを止める。猿田の狂犬の切先が、犬蔵の腹に向かって牙を向いている。
「……何のつもりだ」
猿田は薄く笑って見せ、
「残心を取るのは武士にとって当たり前のことだぜ。それができねぇヤツが死ぬんだ。いいから、そこに突っ立って待ってな、とっちゃん坊や。相手をしてやるよ」
そういって猿田はゆっくりとうしろへ下がる。犬蔵は何かいいたそうにしていたが、何もいわずにその場に立ち竦む。犬蔵から約六歩ほど離れたところで猿田は狂犬を納め地面に置くと、そのまま足早に六歩ほど後退する。
「……何のつもりだ!?」犬蔵。
「お前、刀がねぇだろ。そいつを使えよ」
「あ……!?」犬蔵はことばを失う。「テメェ、なめてんのか?」
「舐めちゃいないさ。ただ、お前は刀を持つ、おれはいらない。それだけのことだ」
「……ふざけやがってぇ!」
犬蔵は狂犬に向かって駆け、乱暴に狂犬を掴むと刀を抜き鞘を捨て、上段に構えて猿田に向かっていく。微笑する猿田。手で顔を覆うお雉。静かにその様を見つめる桃川。
狂犬が振り下ろされるーー
が、次の瞬間、地面に倒れていたのは犬蔵のほうだった。
振り下ろされた刀に対し、入り身で犬蔵の懐に入った猿田は、犬蔵の左手を弾き、そのまま犬蔵の顔面に右拳を一撃叩き込んだのだ。
猿田は犬蔵の手から飛んだ狂犬を拾い揚げると、投げ捨てられた鞘を取りに行き、鞘を拾い上げて狂犬を納め、再び腰に刀を差す。
「わかったかい? お前がおれを倒そうだなんて無理な話なのさ。いいから黙って自分たちの隠れ家に案内しな。まぁ、お前はもう見捨てられた身。仲間なんか誰もいないがな」
犬蔵は大の字の状態から側寝の状態になり、地面の土をグッと握る。その顔には悔しさと涙が浮かんでいる。
「ちくしょう!」
地面を叩く犬蔵。そのまま何度もちくしょうと叫び続ける。が、猿田は非情にいう。
「さっさと行くぞ」
が、犬蔵は立たず、悔し涙を流し続ける。ため息をつく猿田ーー勢いよく犬蔵に近寄ると、髪を掴んで無理矢理立たせる。
「猿ちゃん!」
「いいか? お前は負けたんだ。負けたヤツは勝ったヤツのいうことを聴くもんだ。無様にな。行くといったら、行くーー」
何かが猿田と犬蔵を割る。
「何すんだよ」
猿田は割って入った桃川を睨み付ける。
「そこまでにして下さい」
「あ?」
「猿田さんのいう通り、争っている時間などありません。急ぎましょう」桃川は犬蔵の身体を支え歩き出そうとする。「さ、行きましょう」
が、犬蔵は桃川の手を払い、
「触るな。……自分で歩ける」
ひとり寂しげに犬蔵は歩き出す。その背中を見つめ、同様に歩き出す桃川。
「猿ちゃん……」お雉。「行こっ? ね?」
猿田は大きくため息をつく。
震える背中。それは怒りか悲しみか。
【続く】
空は曇り、木葉は舞い、砂ぼこりは渦を巻いて天へ散る。殺風景、何もかもが味気ない。
突然の衝撃。背中に加わるキツイ一撃。犬蔵が勢いよく倒れ込む。
「何しやがる!」
犬蔵が喚く。少し前までの腰の低さは何処へやら。これが本性なのだろう。ギラつく目で見下す猿田を睨み付ける。
猿田ーーその目は凍り付き、まるで虫の息のウジ虫を踏みつけんとするよう。
「テッメェ、黙ってねぇで何とかいったらどうなんだ!?」
「立て。もたもたすんな」熱量の薄い声色で猿田はいう。
「何だとぉ!」
立ち上がる犬蔵ーーが、その首筋に冷たい刃が突き付けられる。犬蔵の顔に恐怖が宿る。さっきまでの威勢はそこにはない。
猿田の右手には『狂犬』と呼ばれる刀が握られている。狂犬の刃は今にも犬蔵の首筋に噛みつかんとしている。
「うるせぇ。黙って案内しろ。下手なことをすりゃ、狂犬がお前の首に噛みつくぜ」
「ちょっと猿ちゃん!」お雉。「元はといえば、アンタがこの人の背中を押したから」
「そ、そうだぜ……。その姐さんがいう通りだ……。テ、テメェが、押すから……」
「もたもたしてるからだ。このまま行ったら日が暮れちまうんだよ」
「だとしてもだよ!」
「猿田さん」桃川がいう。「慌てることはないです。ヤツラが逃げることはない。ゆっくり行きましょう」
「逃げることはない、か」猿田は桃川を鋭く見る。「どうして、そんなことがいえるんだ?」
一瞬の沈黙が生まれる。桃川は、
「……盗賊の隠れ家は山の中。そんな辺鄙な場所に構えた隠れ家ならば、奉行所から目をつけられることもないし、安全です。わざわざ別の場所に移る理由がありますか?」
「村の襲撃で勢力が削られた今、アンタやおれが来るだろうことは連中もわかると思うけどな」猿田は刀を鞘に納め、犬蔵に近づく。「いずれにせよ、お前がヤツラから見捨てられたのは変えようのない事実だってことだけどな」
「何だとぉ!?」
目をギラつかせ、猿田に寄る犬蔵。だが、猿田はまったくビビる様子もなく、むしろ犬蔵を嘲笑うかのような笑みを浮かべ、
「何なら縄を解いてやるから、ここでおれを殺してもいいんだぜ」
猿田の提言に犬蔵とお雉の顔に緊張が走る。桃川は相も変わらず冷静にその場を眺めている。
「ちょっと、何をいってるの? そんなーー」
「うるせぇ」お雉の話を制し、「どうなんだ、やるか? お前の自慢の腕を見せつけるいい機会だぜ。お前の業でおれを捩じ伏せてくれよ」
猿田の笑みには狂気が宿っているよう。相手を挑発しているのはいうまでもないが、同時に自分の死をこころのどこかで望んでいるように見えなくもないーーそんな感じ。
犬蔵は何処か恐れを抱いているようだが、
「お、面白ぇ! やってやろうじゃねぇか!……縄をほどきやがれぇ!」
と半分自棄になったように喚く。
「そんな……!」お雉は桃川にすがり、「ねぇ、何とかしてよ!」
「どちらも、死ぬことはありませんよ」
「そんなこと、どうしていい切れるの!?」
桃川はそれ以上は何もいわない。ただ、冷めた態度で、目の前の揉め事を眺めるのみ。
「そんな……! アンタたち、止めてよ!」
「心配すんな。おれは死なないし、コイツも殺さない。残念ながらな」
猿田のいい様に犬蔵が声を荒げる。
「あ!? テメェ、いってることが違うじゃねぇか! いいから縄を解け! 殺してやる!」
「いいから黙ってな。今から解いてやるよ」
そういって猿田は犬蔵のうしろへ周り、一瞬にして抜刀、次の瞬間には犬蔵の動きを制していた縄が地面に引き寄せられるように勢い良く落ちる。
「この野郎!」
そういって犬蔵は感情に任せて勢いよく振り返るも、すぐに動きを止める。猿田の狂犬の切先が、犬蔵の腹に向かって牙を向いている。
「……何のつもりだ」
猿田は薄く笑って見せ、
「残心を取るのは武士にとって当たり前のことだぜ。それができねぇヤツが死ぬんだ。いいから、そこに突っ立って待ってな、とっちゃん坊や。相手をしてやるよ」
そういって猿田はゆっくりとうしろへ下がる。犬蔵は何かいいたそうにしていたが、何もいわずにその場に立ち竦む。犬蔵から約六歩ほど離れたところで猿田は狂犬を納め地面に置くと、そのまま足早に六歩ほど後退する。
「……何のつもりだ!?」犬蔵。
「お前、刀がねぇだろ。そいつを使えよ」
「あ……!?」犬蔵はことばを失う。「テメェ、なめてんのか?」
「舐めちゃいないさ。ただ、お前は刀を持つ、おれはいらない。それだけのことだ」
「……ふざけやがってぇ!」
犬蔵は狂犬に向かって駆け、乱暴に狂犬を掴むと刀を抜き鞘を捨て、上段に構えて猿田に向かっていく。微笑する猿田。手で顔を覆うお雉。静かにその様を見つめる桃川。
狂犬が振り下ろされるーー
が、次の瞬間、地面に倒れていたのは犬蔵のほうだった。
振り下ろされた刀に対し、入り身で犬蔵の懐に入った猿田は、犬蔵の左手を弾き、そのまま犬蔵の顔面に右拳を一撃叩き込んだのだ。
猿田は犬蔵の手から飛んだ狂犬を拾い揚げると、投げ捨てられた鞘を取りに行き、鞘を拾い上げて狂犬を納め、再び腰に刀を差す。
「わかったかい? お前がおれを倒そうだなんて無理な話なのさ。いいから黙って自分たちの隠れ家に案内しな。まぁ、お前はもう見捨てられた身。仲間なんか誰もいないがな」
犬蔵は大の字の状態から側寝の状態になり、地面の土をグッと握る。その顔には悔しさと涙が浮かんでいる。
「ちくしょう!」
地面を叩く犬蔵。そのまま何度もちくしょうと叫び続ける。が、猿田は非情にいう。
「さっさと行くぞ」
が、犬蔵は立たず、悔し涙を流し続ける。ため息をつく猿田ーー勢いよく犬蔵に近寄ると、髪を掴んで無理矢理立たせる。
「猿ちゃん!」
「いいか? お前は負けたんだ。負けたヤツは勝ったヤツのいうことを聴くもんだ。無様にな。行くといったら、行くーー」
何かが猿田と犬蔵を割る。
「何すんだよ」
猿田は割って入った桃川を睨み付ける。
「そこまでにして下さい」
「あ?」
「猿田さんのいう通り、争っている時間などありません。急ぎましょう」桃川は犬蔵の身体を支え歩き出そうとする。「さ、行きましょう」
が、犬蔵は桃川の手を払い、
「触るな。……自分で歩ける」
ひとり寂しげに犬蔵は歩き出す。その背中を見つめ、同様に歩き出す桃川。
「猿ちゃん……」お雉。「行こっ? ね?」
猿田は大きくため息をつく。
震える背中。それは怒りか悲しみか。
【続く】