【藪医者放浪記~伍拾捌~】
文字数 1,188文字
場は騒然となった。
何の得にもならない、むしろ損でしかない決闘を猿田が引き受けてしまったことに、みな顔を青くしていた。当事者のひとりである寅三郎も唖然としてーー
「よろしいのですか......?」
だが、猿田は満更でもないようで、
「見た感じ、貴殿も相当やり込んだ方だとお見受けするモノで」
これは猿田が蔵柔術、蔵剣術にて常に不特定多数の者と闘った好奇心、本能がモノをいっていたのからかもしれないが、何よりもモノをいったのはーー
「『牛馬』でしたか」その名前を聴かされて寅三郎はハッとした。「出来ることなら、敵同士ではなく、出会ってみたかった。まぁ、あの男のことです。きっと自分とは折り合いがつかなかったでしょうが、それでもひとついえるのが、勿体ないお方でした」
それは弔いのことばでもあった。事実、牛馬ほどの剣の腕を持つ者はそう多くない。もしまともな生き方をしていれば、剣豪として名を残しても可笑しくはなかったろうーーもっとも、荒んだ生き方をしていたからこそ、あの男は強かったのかもしれないが。
「......ありがとうございます。馬乃助も浮かばれるでしょう」
これからやり合おうという雰囲気はもはやふたりには皆無だった。そこにあるのは新しく構築された友情。だがーー
「ちょっと待った!」
中にはそんなことはどうでもいいと思う者もいるモノで。それは藤十郎はもちろんだが、ここで声を上げたのは藤十郎ではなく、御簾の奥で鎮座していたお咲の君だった。御簾の奥の影が肩をわななかせていた。
「ちょっと、さっきからわらわのことをほったらかしにして! どれだけ時間取れば気が済むの! ひと月? わらわ、さっきから何も話してないんだけど、目的忘れてない?」
まったくその通りであった。そう、この話はそもそもお咲の君と藤十郎の見合いから始まったのだ。にも関わらず、完全な置いてきぼりを食っている。お咲の君も不機嫌になるだろう。と、藤十郎ーー
「そうだ!」そう声を上げるとリューに向かっていった。「決闘云々は置いておいても、お咲の君へのご無礼なことばは許さん! 貴様は謝るということも出来ないのか!」
「そうはいっても、なぁ......」
そういってリューは御簾へとズカズカと歩み寄った。その様にはやはり皆、焦りの表情を見せたが、それ以上の動きは見せなかった。
「貴様! まだ愚弄するか!」
藤十郎は脇差に手を掛けた。が、次の瞬間、藤十郎の手から抜きつけた脇差が飛んで行き、御簾に突き刺さった。
何事かとみな驚きを隠せなかったが、リューが足を大きく上げているのを見て、猿田はいったーー
「相変わらず、刀のように鋭い蹴りですね」
「こんなモンと違うよ!」誇らしげにリューはいった。
御簾に突き刺さった脇差はそのまま引っ掛かり、御簾を引き裂いていったーー
御簾の奥ーーそこにいたのは、茂作の妻、お涼だった。
【続く】
何の得にもならない、むしろ損でしかない決闘を猿田が引き受けてしまったことに、みな顔を青くしていた。当事者のひとりである寅三郎も唖然としてーー
「よろしいのですか......?」
だが、猿田は満更でもないようで、
「見た感じ、貴殿も相当やり込んだ方だとお見受けするモノで」
これは猿田が蔵柔術、蔵剣術にて常に不特定多数の者と闘った好奇心、本能がモノをいっていたのからかもしれないが、何よりもモノをいったのはーー
「『牛馬』でしたか」その名前を聴かされて寅三郎はハッとした。「出来ることなら、敵同士ではなく、出会ってみたかった。まぁ、あの男のことです。きっと自分とは折り合いがつかなかったでしょうが、それでもひとついえるのが、勿体ないお方でした」
それは弔いのことばでもあった。事実、牛馬ほどの剣の腕を持つ者はそう多くない。もしまともな生き方をしていれば、剣豪として名を残しても可笑しくはなかったろうーーもっとも、荒んだ生き方をしていたからこそ、あの男は強かったのかもしれないが。
「......ありがとうございます。馬乃助も浮かばれるでしょう」
これからやり合おうという雰囲気はもはやふたりには皆無だった。そこにあるのは新しく構築された友情。だがーー
「ちょっと待った!」
中にはそんなことはどうでもいいと思う者もいるモノで。それは藤十郎はもちろんだが、ここで声を上げたのは藤十郎ではなく、御簾の奥で鎮座していたお咲の君だった。御簾の奥の影が肩をわななかせていた。
「ちょっと、さっきからわらわのことをほったらかしにして! どれだけ時間取れば気が済むの! ひと月? わらわ、さっきから何も話してないんだけど、目的忘れてない?」
まったくその通りであった。そう、この話はそもそもお咲の君と藤十郎の見合いから始まったのだ。にも関わらず、完全な置いてきぼりを食っている。お咲の君も不機嫌になるだろう。と、藤十郎ーー
「そうだ!」そう声を上げるとリューに向かっていった。「決闘云々は置いておいても、お咲の君へのご無礼なことばは許さん! 貴様は謝るということも出来ないのか!」
「そうはいっても、なぁ......」
そういってリューは御簾へとズカズカと歩み寄った。その様にはやはり皆、焦りの表情を見せたが、それ以上の動きは見せなかった。
「貴様! まだ愚弄するか!」
藤十郎は脇差に手を掛けた。が、次の瞬間、藤十郎の手から抜きつけた脇差が飛んで行き、御簾に突き刺さった。
何事かとみな驚きを隠せなかったが、リューが足を大きく上げているのを見て、猿田はいったーー
「相変わらず、刀のように鋭い蹴りですね」
「こんなモンと違うよ!」誇らしげにリューはいった。
御簾に突き刺さった脇差はそのまま引っ掛かり、御簾を引き裂いていったーー
御簾の奥ーーそこにいたのは、茂作の妻、お涼だった。
【続く】