【いろは歌地獄旅~泣く子も黙る青い鳥~】
文字数 3,445文字
デタラメに怖い人は何処にでもいる。
それは顔が怖い、風体が怖い、態度や人格が怖い、怖さにも色々とあるだろう。
所謂昔でいう『カミナリオヤジ』なんていうのも、そういったデタラメに怖い人の代表格だろう。家の近所にもひとりはいたはずだ。子供が何か悪さーーというか、何かしているだけでも突然に怒鳴り込んでくる、そんな大人が。
子供の頃はシンプルに、イヤなジジイーー或いはババアーーぐらいにしか思わないだろう。
だが、案外年を取ってみると、また別の何かが見えて来ることがある。
人は年を取り、年を取れば経験も積む。その中で思考や人格は変わり、様々な学びを得ていく。いってしまえば、昔と感じ方が変わらないというのは、不変的な部分を除けば、何も成長していないことになる。
とはいえ、丸っきり成長しないことはないだろう。ゆく川の流れは絶えずしてーーというように、人は変化し続ける生き物だ。
変化ーー時代も人も変化する。故に完璧な形での現状維持など不可能ということだ。
渋谷は二十代半ばの男だ。当たり前のように成長し、今では実家を出て当たり前のように働いているが、仕事に遣り甲斐を感じているか、というとそんなことはなく、霧のたったような社会人生活を送っている男のひとりだ。
彼女はいる。だが、倦怠期なのか、会っても何処か上の空。何も楽しくない。ただの予定調和で付き合っているような、そんなつまらなさがそこにある。近況は退屈なメッセージのやり取りで済ませてしまっているため、会ったところで会話は持たない。間も持たない。
味気ない日々、何もかもがつまらなくて退屈。そんな時、ふと渋谷は思うのだーー
子供の頃は楽しかった。
過去という二度と訪れることのないユートピアがそこにある。
ニスを塗りテカテカに光る徹底的に美化された人工的な理想郷がそこにある。
だが、どんなに手を伸ばしても、足を動かしても届くことはない。想いだけが先行する。
過去は決した。
つまらない日常ーーそんなモノから逃げるように、渋谷はある休日の前日、ふと実家に帰ってみることにした。
ひとり暮らしの部屋と実家の距離がそこまでなかったのが良かった。時間は掛かるが、休日が終わって会社に出なければならなくなっても、出勤出来ない距離ではないのも良し。
だが、そんなことは渋谷にはもはやどうでも良く、どんなリスクを犯してでも実家に戻るのはほぼ決定事項だったようだ。
懐かしい玄関扉に手を掛け、取っ手を引く。
カギが掛かっている。
それもそうだ。両親には帰るとはひとことも伝えていないのだから。渋谷は仕方なしにインターホンを鳴らす。すぐにスピーカーから怪訝そうな母親の声が聴こえる。が、渋谷が帰郷を告げると、母は驚きと喜びの入り交じった声を上げ、スピーカーを切る。
急な帰郷にも関わらず、両親のもてなしは手厚かった。食卓を囲むことは出来なかったとはいえ、母は冷蔵庫にあるモノで即席ながらしっかりした夕飯を作ってくれ、父は久しぶりの息子との再会ということもあって、よく冷えた缶ビールを二本用意して渋谷とともにアルミをかち合わせ、勢いよく呷る。
両親ともに幸せそうな笑顔を浮かべている。こころの底から渋谷の帰郷を喜んでいるのだろう。近況を聞きたがり、それを聞いて楽しそうにしている。
渋谷自身も久しぶりに実家に帰って来たことで記憶の片隅で眠っていた懐かしい記憶が吹き出して来たのだろう、話は弾み、昔の同級生のことやなんか、セピア色の過去の話をたくさんし、現在の彼らのことやなんかも話す。
そんな時、ふとある記憶が蘇る。
それは渋谷の家のすぐ隣の家に住んでいる三上という男のことだ。
三上は渋谷が少年の時点で還暦程度の年齢だった。が、渋谷は三上に対してあまりいい記憶は持っていない。
泣く子も黙る頑固ジジイ。
カミナリオヤジ。
三上は渋谷が友人たちと外で遊んでいるといつも怒り、声を荒げていた。車の通りが多いワケでもない。危険はなかったはずだ。にも関わらず、三上は渋谷や渋谷の友人、近所の子供に対して怒鳴り散らしていた。
渋谷はいうまでもなく、そんな三上のことが嫌いだった。というか、もはやトラウマに近いのかもしれない。それほどの思いが渋谷の過去の記憶の中に沈殿していた。
そうともなると、三上が大事にしていた車ーーグリーンのブルーバードすらも憎たらしく感じるほどだった。何度、あの車を傷つけてやろうと思ったことか。
だが、年を重ねてみると、何となくだが三上の気持ちもわからないでもない気がした。
楽しく遊ぶ子供に何となく苛立ちを感じる。それは決して戻ることのない少年時代への羨望と、それを手にしている少年たちへの嫉妬。ことばにはしないが、今の渋谷にはそんな歪んだ感情、思いがあった。今の渋谷には、三上に対して何処か親近感のような感情が沸いていた。
元気でやっていれば八十歳前後というところだろうか。ふと渋谷は思い出す。そういえば、三上の家にあった、あの象徴的なブルーバードがなくなっていた。あったのはーー
いや、車は買い替えるモノ。二十年近く前のブルーバードに未だに乗っているとは考えられない。それに高齢者の車の運転が何かと問いただされている現代で、八十前後の三上が車に乗っているとも考えづらい。
あの三上でも、事故を気にした娘夫婦によって免許を返納させられているとも考えられる。
「そういえば、さ」渋谷は口を開く。「となりの三上さんって、元気にしてるの? 見慣れない車が置いてあったけど」
渋谷がそう口にすると、先程まで明るく笑っていた両親の顔がみるみる暗くなっていく。渋谷も両親の思いもよらぬ反応に困惑する。
「……亡くなったよ」
父がふと口を開く。やっぱりそうだったかーーそういう趣が渋谷の表情に出る。だが、にしてもここまで暗い顔をする理由がわからない。
ただ亡くなっただけなら、それで終わり。抗えない死に対してそこまで悲観的になる必要はないはずだ。渋谷は訊ねるーー
「……病気か何かで?」
渋谷のことばに緊張が宿る。父は即答はしない。父の口が開いたのは、それから少しの間を開けてからのことだったーー
「……殺されたんだよ」
渋谷の驚愕の声を他所に、父は説明する。
三上が殺されたのは数年前のことだった。
発端となったのは、あの口うるささだった。場所はそれこそ自宅の目の前。昔と変わらず、三上がたまたま通り掛かった不良にガミガミいったのだ。その結果、逆上されて刺された。
ガミガミいう元気があったとはいえ、肉体は衰える。家にいた娘が三上を見つけた時には完全に衰弱しており、病院に着いた頃にはーーということだった。
その後、自宅にいた娘夫婦は三上の車ーー三上は相変わらず、車を愛し、現役のドライバーだったそうだーーを売り払い、長年住んでいた家から引っ越して行ってしまった。
理由は誰も訊いていないためわからないが、恐らくはいくら愛着があるとはいえ、父が殺された記憶が染み着いた家に住み続けることが困難になったからでは、ということだった。
その話をした後は、楽しい帰郷の夜も冷めてしまい、渋谷は食事を終えたあとは風呂に入り、すぐに客用の布団に潜り込んでしまった。
だが、すぐには眠れない。三上の死のことが頭の中に残っているのだろう。
渋谷は突然、布団を出ると寝巻きのまま家を出る。家の前から周りの景色を見る。
変わっていないようで、故郷は変わっている。ガラッと変わったモノもあれば、ほんの少しの変化もある。
だが、その変化が大きかろうと小さかろうと、そこにある寂寥感の大きさは変わらない。
何故なら、あの日確かに存在した景色は、もはやそこには存在しないのだから。
過去は蘇らないーーそんなのは概念としてわかっている。だが、それを実感した時に感じる虚無感から逃れることは出来ない。
渋谷は旧三上邸の前まで歩き、まだ残っている駐車スペースを覗き込む。
そこにはグリーンの旧型ブルーバードはない。あるのは、赤いセルシオUCF。古びた家には似つかわしくないスタイリッシュなボディ。
時代の変化とともに人も変わる。その街並みに住む人も変わっている。
泣く子も黙る頑固オヤジーーそんなのはもう時代ではないのかもしれない。
時代にそぐわないモノは、例えそれが人であれ消えていく運命にある。
渋谷はブルーバードのいない旧三上邸の駐車場を眺めたまま、何時間も動かなかったーー
それは顔が怖い、風体が怖い、態度や人格が怖い、怖さにも色々とあるだろう。
所謂昔でいう『カミナリオヤジ』なんていうのも、そういったデタラメに怖い人の代表格だろう。家の近所にもひとりはいたはずだ。子供が何か悪さーーというか、何かしているだけでも突然に怒鳴り込んでくる、そんな大人が。
子供の頃はシンプルに、イヤなジジイーー或いはババアーーぐらいにしか思わないだろう。
だが、案外年を取ってみると、また別の何かが見えて来ることがある。
人は年を取り、年を取れば経験も積む。その中で思考や人格は変わり、様々な学びを得ていく。いってしまえば、昔と感じ方が変わらないというのは、不変的な部分を除けば、何も成長していないことになる。
とはいえ、丸っきり成長しないことはないだろう。ゆく川の流れは絶えずしてーーというように、人は変化し続ける生き物だ。
変化ーー時代も人も変化する。故に完璧な形での現状維持など不可能ということだ。
渋谷は二十代半ばの男だ。当たり前のように成長し、今では実家を出て当たり前のように働いているが、仕事に遣り甲斐を感じているか、というとそんなことはなく、霧のたったような社会人生活を送っている男のひとりだ。
彼女はいる。だが、倦怠期なのか、会っても何処か上の空。何も楽しくない。ただの予定調和で付き合っているような、そんなつまらなさがそこにある。近況は退屈なメッセージのやり取りで済ませてしまっているため、会ったところで会話は持たない。間も持たない。
味気ない日々、何もかもがつまらなくて退屈。そんな時、ふと渋谷は思うのだーー
子供の頃は楽しかった。
過去という二度と訪れることのないユートピアがそこにある。
ニスを塗りテカテカに光る徹底的に美化された人工的な理想郷がそこにある。
だが、どんなに手を伸ばしても、足を動かしても届くことはない。想いだけが先行する。
過去は決した。
つまらない日常ーーそんなモノから逃げるように、渋谷はある休日の前日、ふと実家に帰ってみることにした。
ひとり暮らしの部屋と実家の距離がそこまでなかったのが良かった。時間は掛かるが、休日が終わって会社に出なければならなくなっても、出勤出来ない距離ではないのも良し。
だが、そんなことは渋谷にはもはやどうでも良く、どんなリスクを犯してでも実家に戻るのはほぼ決定事項だったようだ。
懐かしい玄関扉に手を掛け、取っ手を引く。
カギが掛かっている。
それもそうだ。両親には帰るとはひとことも伝えていないのだから。渋谷は仕方なしにインターホンを鳴らす。すぐにスピーカーから怪訝そうな母親の声が聴こえる。が、渋谷が帰郷を告げると、母は驚きと喜びの入り交じった声を上げ、スピーカーを切る。
急な帰郷にも関わらず、両親のもてなしは手厚かった。食卓を囲むことは出来なかったとはいえ、母は冷蔵庫にあるモノで即席ながらしっかりした夕飯を作ってくれ、父は久しぶりの息子との再会ということもあって、よく冷えた缶ビールを二本用意して渋谷とともにアルミをかち合わせ、勢いよく呷る。
両親ともに幸せそうな笑顔を浮かべている。こころの底から渋谷の帰郷を喜んでいるのだろう。近況を聞きたがり、それを聞いて楽しそうにしている。
渋谷自身も久しぶりに実家に帰って来たことで記憶の片隅で眠っていた懐かしい記憶が吹き出して来たのだろう、話は弾み、昔の同級生のことやなんか、セピア色の過去の話をたくさんし、現在の彼らのことやなんかも話す。
そんな時、ふとある記憶が蘇る。
それは渋谷の家のすぐ隣の家に住んでいる三上という男のことだ。
三上は渋谷が少年の時点で還暦程度の年齢だった。が、渋谷は三上に対してあまりいい記憶は持っていない。
泣く子も黙る頑固ジジイ。
カミナリオヤジ。
三上は渋谷が友人たちと外で遊んでいるといつも怒り、声を荒げていた。車の通りが多いワケでもない。危険はなかったはずだ。にも関わらず、三上は渋谷や渋谷の友人、近所の子供に対して怒鳴り散らしていた。
渋谷はいうまでもなく、そんな三上のことが嫌いだった。というか、もはやトラウマに近いのかもしれない。それほどの思いが渋谷の過去の記憶の中に沈殿していた。
そうともなると、三上が大事にしていた車ーーグリーンのブルーバードすらも憎たらしく感じるほどだった。何度、あの車を傷つけてやろうと思ったことか。
だが、年を重ねてみると、何となくだが三上の気持ちもわからないでもない気がした。
楽しく遊ぶ子供に何となく苛立ちを感じる。それは決して戻ることのない少年時代への羨望と、それを手にしている少年たちへの嫉妬。ことばにはしないが、今の渋谷にはそんな歪んだ感情、思いがあった。今の渋谷には、三上に対して何処か親近感のような感情が沸いていた。
元気でやっていれば八十歳前後というところだろうか。ふと渋谷は思い出す。そういえば、三上の家にあった、あの象徴的なブルーバードがなくなっていた。あったのはーー
いや、車は買い替えるモノ。二十年近く前のブルーバードに未だに乗っているとは考えられない。それに高齢者の車の運転が何かと問いただされている現代で、八十前後の三上が車に乗っているとも考えづらい。
あの三上でも、事故を気にした娘夫婦によって免許を返納させられているとも考えられる。
「そういえば、さ」渋谷は口を開く。「となりの三上さんって、元気にしてるの? 見慣れない車が置いてあったけど」
渋谷がそう口にすると、先程まで明るく笑っていた両親の顔がみるみる暗くなっていく。渋谷も両親の思いもよらぬ反応に困惑する。
「……亡くなったよ」
父がふと口を開く。やっぱりそうだったかーーそういう趣が渋谷の表情に出る。だが、にしてもここまで暗い顔をする理由がわからない。
ただ亡くなっただけなら、それで終わり。抗えない死に対してそこまで悲観的になる必要はないはずだ。渋谷は訊ねるーー
「……病気か何かで?」
渋谷のことばに緊張が宿る。父は即答はしない。父の口が開いたのは、それから少しの間を開けてからのことだったーー
「……殺されたんだよ」
渋谷の驚愕の声を他所に、父は説明する。
三上が殺されたのは数年前のことだった。
発端となったのは、あの口うるささだった。場所はそれこそ自宅の目の前。昔と変わらず、三上がたまたま通り掛かった不良にガミガミいったのだ。その結果、逆上されて刺された。
ガミガミいう元気があったとはいえ、肉体は衰える。家にいた娘が三上を見つけた時には完全に衰弱しており、病院に着いた頃にはーーということだった。
その後、自宅にいた娘夫婦は三上の車ーー三上は相変わらず、車を愛し、現役のドライバーだったそうだーーを売り払い、長年住んでいた家から引っ越して行ってしまった。
理由は誰も訊いていないためわからないが、恐らくはいくら愛着があるとはいえ、父が殺された記憶が染み着いた家に住み続けることが困難になったからでは、ということだった。
その話をした後は、楽しい帰郷の夜も冷めてしまい、渋谷は食事を終えたあとは風呂に入り、すぐに客用の布団に潜り込んでしまった。
だが、すぐには眠れない。三上の死のことが頭の中に残っているのだろう。
渋谷は突然、布団を出ると寝巻きのまま家を出る。家の前から周りの景色を見る。
変わっていないようで、故郷は変わっている。ガラッと変わったモノもあれば、ほんの少しの変化もある。
だが、その変化が大きかろうと小さかろうと、そこにある寂寥感の大きさは変わらない。
何故なら、あの日確かに存在した景色は、もはやそこには存在しないのだから。
過去は蘇らないーーそんなのは概念としてわかっている。だが、それを実感した時に感じる虚無感から逃れることは出来ない。
渋谷は旧三上邸の前まで歩き、まだ残っている駐車スペースを覗き込む。
そこにはグリーンの旧型ブルーバードはない。あるのは、赤いセルシオUCF。古びた家には似つかわしくないスタイリッシュなボディ。
時代の変化とともに人も変わる。その街並みに住む人も変わっている。
泣く子も黙る頑固オヤジーーそんなのはもう時代ではないのかもしれない。
時代にそぐわないモノは、例えそれが人であれ消えていく運命にある。
渋谷はブルーバードのいない旧三上邸の駐車場を眺めたまま、何時間も動かなかったーー