【帝王霊~漆~】
文字数 4,237文字
真夜中のストリートは閑散としている。
車はスムーズに進めるし、車内で聴こえるのは運転する車のエンジン音だけ。
いや、それに加えてすすり泣くヤエの声か。
眠気はまったくといっていいほどにない。それもそうだ。双子の姉が暴漢に襲われたと聞けば、眠気が吹っ飛ぶのは当たり前だろう。
「でも、無事で良かった。弓永くんから連絡があった時は流石にどうしようかって思ったよ」
今でこそ余裕を持っていえるが、あの話を聴かされた時はそうはいかなかった。
弓永くんから電話を貰った時、あたしは眠りの世界に落ちていて、やかましい電子音に起こされて非常に機嫌が悪かった。
「……何?」
あたしの声にトゲがあったのは弓永くんもわかっていたことだろう。だが、弓永くんはいつもの人を食った調子で、
「長谷川八重、お前の姉貴だろ? 今、五村署で教え子のガキと一緒に仲良く取り調べ中だ。暇なら遊びに来いよ」
はじめは弓永くんが何をいっているのかわからなかったが、すぐにことの重大さを受け止めたあたしは、改めて事情を聞こうと電話越しだというのに身を乗り出してしまった。が、次の瞬間には、電話は切れていた。
「ごめん……」ヤエは怒られた子供のように肩をすぼめていう。
「全然大丈夫だよ。でも、まさかこんな形で会うとは思わなかったね」
ヤエと会うのは何年ぶりになるだろう。両親が亡くなって、互いに社会人になり、それから何年かはことあるごとに会っては食事を共にしたモノだけど、気づけば互いに忙しくなって疎遠になっていた。
とはいえ、断じて仲が悪くなったワケではない。悪かったのは単純にタイミングだ。
それにあの成松にハメられて酷い目に遭ったことも、ヤエにはいっていない。
というのも、単純に心配を掛けたくなかったからだった。当たり前な話、双子の妹が監禁されて暴力を奮われ、オマケに殺人犯にまで仕立て上げられそうになっていただなんて、そんな話を聴かされて心配にならないのは、余程仲が悪くない限り有り得ないことだろう。
「うん……」
ヤエはあからさまに落ち込んでいるようだった。それもそうだろう。自分の正義感のせいで教え子を危険に巻き込んでしまったワケだし。とはいえ、ショック状態の今は、そのことを咎めることは勿論、慰めるのも逆効果だろう。
あたしは淀みゆく空気を変えるように、少し車の窓を開けていうーー
「でも驚いたよ。まさか、林崎さんのお子さんと一緒だったなんてね」
林崎さんーー林崎新助警部補は、あたしの亡くなった父、武井平三の部下だった人だ。
今でこそ警部補として活躍している林崎さんも、当時はぺーぺーの新人で怒られてばかりだったが、同時にタフな人でもあった。
そんな林崎さんとは、林崎さんがまだ結婚する前に、よく父に招かれてうちに来ていたこともあって、面識があったワケだ。
そんな林崎さんと、まさか五村署で再会するとは思ってもおらず、思わず「どうしてここにおられるんですか?」と失礼なことをいってしまったのは反省しなければならない。
「うん……。林崎さんの息子さん、わたしのクラスの子なんだ……」
「そうなんだってね。シンゴくん、だっけ。お父さんに似てイケメンで、しかもナイーブな雰囲気もそっくりだね」
幸い、シンゴくんはお父さん譲りのタフさも持ち合わせているようで、あんな事件があった後でも、ちゃんと礼儀正しくあたしやヤエ、弓永くんに挨拶をして、新助さんと一緒に川澄へ帰って行った。多分、五村から川澄となるとまだまだ掛かるだろう。新助さんはヤエも乗せていくつもりだったが、あたしが断った。というのも、今夜はどんな時もひとりじゃないほうがいいだろうと思ったから。
「うん……」
ヤエらしくない。とはいえ、ああいう形で犯罪に巻き込まれるのは初めてだろうし、それも無理はないだろう。
「で、今日はお芝居を観に行ってたんだって?珍しいね。でも、何でまた?」
「お世話になってる人が、お芝居やるっていうから、シンちゃんーーシンゴくんのことだけどーーと観に行ったんだ……」
「へぇ、また不思議な縁だね。どんな人?」
「……どんな人」ヤエは少し間を取り、再び口を開く。「頭が良くって、強くって、顔が整ってて、まるでアイみたい、かな」
「あたしみたいって!」思わず笑ってしまった。「あたしは強くないし、頭もそこまでだよ。それにあたしの顔が整ってるなら、ヤエだってそうじゃん。双子なんだからさ」
「え?」ヤエはポカンとし、「……ふふ、確かに。アイがそうならわたしもそうだね」
とささやかではあるが久しぶりの笑顔をあたしに見せる。
「あ、やっと笑った」
「だって、何か面白くって」
「まぁ、今日は土曜だし、明日は日曜で学校も休みでしょ? なら、今日はあたしの家に泊まっていってよ」
「明日は仕事だよ」
「え? 部活か何か?」
ヤエは口許に笑みを浮かべていう。
「だって、もう日付も変わってるし、明日は月曜だからね」そういってヤエは笑ってみせる。
「ちょっとぉ、いいじゃん、それくらい」
「ふふ、ごめんごめん」
「……でも安心した。犯罪に巻き込まれると、それがトラウマになって、PTSDだったりで塞ぎ込む人も少なくないからさ」
「うん……。確かに恐かったけど、こうやってアイが来てくれてたし、嬉しかったから……」
そういわれると何だか照れくさくなってしまう。身体も熱くなってきて、何て答えればいいかわからなくなってしまった。
「あー、照れてる!」ヤエは嬉しそうにいう。
「照れてないよぉ!」
「ウッソだぁ!」
「照れてーーるよ! だって、久しぶりにヤエに会えたんだから!」
「隠さなくてもいいのにーーん?」
ヤエは懐を探り出し、スマホを取り出して画面を眺めると唐突にニヤニヤしだす。
「どうしたの?」
「ちょっと、電話していい?」
「別にいいけど」
そういうと、ヤエはスマホの画面をタップする。と、突然ーー
「ヤエちゃん! 事件に巻き込まれたって聴いたけど、大丈夫!?」
と凄い勢いで話す男の声が聴こえて来る。
「ちょっと、これスピーカー……ッ!」
あたしが小声でいうと、ヤエはそれをシッと遮り、イジワルな笑みを浮かべたかと思うと、今度はジェスチャーであたしに話すように促す。あたしは困惑して見せたが、電話の声があまりに真に迫っていること、ヤエが話そうとしないことを悟って、あたしは口を開く。
「うん、大丈夫」
明らかに普通ないい回し。鋼鉄のハートでも持っていなければ、こんな調子でいえるワケがない。お芝居、か。あたしには向いてないな。
「……ん?」電話の相手がいう。「失礼ですが、どちら様ですか?」
ヤエは驚きつつも喜んでいるよう。さっきまでの恐れと泣きっ面は何処へやら。ヤエは尚もあたしにヤエの振りをするよう促す。
「ヤエ、だけど」
「確かに声はヤエちゃんだけど、さ。にしては、声が落ち着き過ぎてるんよ。色々あったにしても、普段の感じからいっても」
鋭い。声色もそうだが、頭も切れる。これ以上は騙し切れないな、とあたしは観念し、
「ごめんなさい。仰る通りです。あたしはヤエの双子の妹の武井です」
「あ、やっぱり」
あっけらかんと電話の相手はいう。
「やっぱり、って?」
「いえ、ヤエちゃんーーお姉様からお話は伺ってます。武井、アイさん、ですよね? 五村市で探偵をしていらっしゃる」
丁寧なことば使いになって、また驚いた。顔はわからないとはいえ、知性を感じさせる話しぶりだ。お陰であたしも恐縮してしまい、
「はい、武井です。騙してごめんなさい。ヤエは今、あたしの隣でニヤニヤしながらあたしたちの会話を聴いてます」
「はは、そうですか。なら、大丈夫、かな?」安堵からか、電話の男性の声に緩みが見える。
「えぇ。あたしに会えたのもそうだけど、アナタからの電話がよっぽど嬉しかったみたい」
「ちょっと!」ヤエが口を挟む。「あの、カズマサくん、これはーー」
「あぁ、ヤエちゃんだ。良かった、元気そうで。シンゴちゃんも大丈夫みたいだし。本当に良かった……。でも、何がどうなってるかわからんし、無理はしないで、な」
「……うん」ヤエは顔を赤くして頷く。
「……じゃあ、今日はこれで切るわ。ゆっくり休んで。武井さんもーー」
「『アイ』でいいですよ」あたしはいう。
「え、でも、馴れ馴れしくないですかい?」
「ヤエが顔を赤くしながら話してる相手なら信用出来るだろうし、全然大丈夫ですよ」
それに彼の話しぶりを聴いていると、不思議とこの人なら信用してもいいんじゃないかと思えてならなかったのだ。
「アイ!」ヤエは沸騰したヤカンのようになりながらも、それ以降は黙り込んでしまった。
「ははは、じゃあ、自分のことは『カズマサ』でいいですよ、アイさん」
「オッケー、カズマサくん。また、お世話になるかもしれないし、これからもよろしくね」
「うっす。こちらこそよろしくお願いします! じゃ、ヤエちゃん、お大事に、ね」
ヤエが返事して少ししてから電話は切れた。
「もー! あぁいうこといわないでよ!」ヤエは恥ずかしそうになっていう。
「ごめんごめん。えっと、彼氏?」
「……じゃないけど。今日観に行ったお芝居に誘ってくれた人」
「あぁ、例のイケメンの。カズマサくんっていうんだ」突然ピンと来る。「……もしかして、電話でいってた紹介したかった人ってーー」
「うん……」顔を真っ赤に染めて、ヤエは頷く。「カズマサくん、だよ……」
「へぇ!」あたしは俄然興味を持った。「ねぇ、写真見せてよ」
「ヤダよ!」
「いいじゃん、減るモンじゃないし」
「絶対イヤ!」
「ケチ」
「ケチじゃない!」
カズマサくんのこともあって、ヤエはすっかり元気になってしまったようだ。いくら一般人とはいえ、ヤエのタフさーーそれとも図太さ、か?ーーは並じゃないようだ。
「アイって、お芝居は観る?」
ふと、そんなことを訊いてきた女のことを思い出した。その時、あの女がその話題を出す時に見ていた男の人もイケメンだった。
……まさか、ね。
あと数時間は湿っぽい夜にならなくて済みそうで、少し安心した。
でも、あたしは、この事件に偶然性を感じていなかった。根拠はない。だが、弓永くんの話を聴いて思った限りでいえば、
いや、やっぱり今は考えたくない。
ヤエが無事だった、今はそれだけで充分。
あたしは追い掛けて来るイヤな思いを振り切るように、車のアクセルを強く強く踏み締めた。
【続く】
車はスムーズに進めるし、車内で聴こえるのは運転する車のエンジン音だけ。
いや、それに加えてすすり泣くヤエの声か。
眠気はまったくといっていいほどにない。それもそうだ。双子の姉が暴漢に襲われたと聞けば、眠気が吹っ飛ぶのは当たり前だろう。
「でも、無事で良かった。弓永くんから連絡があった時は流石にどうしようかって思ったよ」
今でこそ余裕を持っていえるが、あの話を聴かされた時はそうはいかなかった。
弓永くんから電話を貰った時、あたしは眠りの世界に落ちていて、やかましい電子音に起こされて非常に機嫌が悪かった。
「……何?」
あたしの声にトゲがあったのは弓永くんもわかっていたことだろう。だが、弓永くんはいつもの人を食った調子で、
「長谷川八重、お前の姉貴だろ? 今、五村署で教え子のガキと一緒に仲良く取り調べ中だ。暇なら遊びに来いよ」
はじめは弓永くんが何をいっているのかわからなかったが、すぐにことの重大さを受け止めたあたしは、改めて事情を聞こうと電話越しだというのに身を乗り出してしまった。が、次の瞬間には、電話は切れていた。
「ごめん……」ヤエは怒られた子供のように肩をすぼめていう。
「全然大丈夫だよ。でも、まさかこんな形で会うとは思わなかったね」
ヤエと会うのは何年ぶりになるだろう。両親が亡くなって、互いに社会人になり、それから何年かはことあるごとに会っては食事を共にしたモノだけど、気づけば互いに忙しくなって疎遠になっていた。
とはいえ、断じて仲が悪くなったワケではない。悪かったのは単純にタイミングだ。
それにあの成松にハメられて酷い目に遭ったことも、ヤエにはいっていない。
というのも、単純に心配を掛けたくなかったからだった。当たり前な話、双子の妹が監禁されて暴力を奮われ、オマケに殺人犯にまで仕立て上げられそうになっていただなんて、そんな話を聴かされて心配にならないのは、余程仲が悪くない限り有り得ないことだろう。
「うん……」
ヤエはあからさまに落ち込んでいるようだった。それもそうだろう。自分の正義感のせいで教え子を危険に巻き込んでしまったワケだし。とはいえ、ショック状態の今は、そのことを咎めることは勿論、慰めるのも逆効果だろう。
あたしは淀みゆく空気を変えるように、少し車の窓を開けていうーー
「でも驚いたよ。まさか、林崎さんのお子さんと一緒だったなんてね」
林崎さんーー林崎新助警部補は、あたしの亡くなった父、武井平三の部下だった人だ。
今でこそ警部補として活躍している林崎さんも、当時はぺーぺーの新人で怒られてばかりだったが、同時にタフな人でもあった。
そんな林崎さんとは、林崎さんがまだ結婚する前に、よく父に招かれてうちに来ていたこともあって、面識があったワケだ。
そんな林崎さんと、まさか五村署で再会するとは思ってもおらず、思わず「どうしてここにおられるんですか?」と失礼なことをいってしまったのは反省しなければならない。
「うん……。林崎さんの息子さん、わたしのクラスの子なんだ……」
「そうなんだってね。シンゴくん、だっけ。お父さんに似てイケメンで、しかもナイーブな雰囲気もそっくりだね」
幸い、シンゴくんはお父さん譲りのタフさも持ち合わせているようで、あんな事件があった後でも、ちゃんと礼儀正しくあたしやヤエ、弓永くんに挨拶をして、新助さんと一緒に川澄へ帰って行った。多分、五村から川澄となるとまだまだ掛かるだろう。新助さんはヤエも乗せていくつもりだったが、あたしが断った。というのも、今夜はどんな時もひとりじゃないほうがいいだろうと思ったから。
「うん……」
ヤエらしくない。とはいえ、ああいう形で犯罪に巻き込まれるのは初めてだろうし、それも無理はないだろう。
「で、今日はお芝居を観に行ってたんだって?珍しいね。でも、何でまた?」
「お世話になってる人が、お芝居やるっていうから、シンちゃんーーシンゴくんのことだけどーーと観に行ったんだ……」
「へぇ、また不思議な縁だね。どんな人?」
「……どんな人」ヤエは少し間を取り、再び口を開く。「頭が良くって、強くって、顔が整ってて、まるでアイみたい、かな」
「あたしみたいって!」思わず笑ってしまった。「あたしは強くないし、頭もそこまでだよ。それにあたしの顔が整ってるなら、ヤエだってそうじゃん。双子なんだからさ」
「え?」ヤエはポカンとし、「……ふふ、確かに。アイがそうならわたしもそうだね」
とささやかではあるが久しぶりの笑顔をあたしに見せる。
「あ、やっと笑った」
「だって、何か面白くって」
「まぁ、今日は土曜だし、明日は日曜で学校も休みでしょ? なら、今日はあたしの家に泊まっていってよ」
「明日は仕事だよ」
「え? 部活か何か?」
ヤエは口許に笑みを浮かべていう。
「だって、もう日付も変わってるし、明日は月曜だからね」そういってヤエは笑ってみせる。
「ちょっとぉ、いいじゃん、それくらい」
「ふふ、ごめんごめん」
「……でも安心した。犯罪に巻き込まれると、それがトラウマになって、PTSDだったりで塞ぎ込む人も少なくないからさ」
「うん……。確かに恐かったけど、こうやってアイが来てくれてたし、嬉しかったから……」
そういわれると何だか照れくさくなってしまう。身体も熱くなってきて、何て答えればいいかわからなくなってしまった。
「あー、照れてる!」ヤエは嬉しそうにいう。
「照れてないよぉ!」
「ウッソだぁ!」
「照れてーーるよ! だって、久しぶりにヤエに会えたんだから!」
「隠さなくてもいいのにーーん?」
ヤエは懐を探り出し、スマホを取り出して画面を眺めると唐突にニヤニヤしだす。
「どうしたの?」
「ちょっと、電話していい?」
「別にいいけど」
そういうと、ヤエはスマホの画面をタップする。と、突然ーー
「ヤエちゃん! 事件に巻き込まれたって聴いたけど、大丈夫!?」
と凄い勢いで話す男の声が聴こえて来る。
「ちょっと、これスピーカー……ッ!」
あたしが小声でいうと、ヤエはそれをシッと遮り、イジワルな笑みを浮かべたかと思うと、今度はジェスチャーであたしに話すように促す。あたしは困惑して見せたが、電話の声があまりに真に迫っていること、ヤエが話そうとしないことを悟って、あたしは口を開く。
「うん、大丈夫」
明らかに普通ないい回し。鋼鉄のハートでも持っていなければ、こんな調子でいえるワケがない。お芝居、か。あたしには向いてないな。
「……ん?」電話の相手がいう。「失礼ですが、どちら様ですか?」
ヤエは驚きつつも喜んでいるよう。さっきまでの恐れと泣きっ面は何処へやら。ヤエは尚もあたしにヤエの振りをするよう促す。
「ヤエ、だけど」
「確かに声はヤエちゃんだけど、さ。にしては、声が落ち着き過ぎてるんよ。色々あったにしても、普段の感じからいっても」
鋭い。声色もそうだが、頭も切れる。これ以上は騙し切れないな、とあたしは観念し、
「ごめんなさい。仰る通りです。あたしはヤエの双子の妹の武井です」
「あ、やっぱり」
あっけらかんと電話の相手はいう。
「やっぱり、って?」
「いえ、ヤエちゃんーーお姉様からお話は伺ってます。武井、アイさん、ですよね? 五村市で探偵をしていらっしゃる」
丁寧なことば使いになって、また驚いた。顔はわからないとはいえ、知性を感じさせる話しぶりだ。お陰であたしも恐縮してしまい、
「はい、武井です。騙してごめんなさい。ヤエは今、あたしの隣でニヤニヤしながらあたしたちの会話を聴いてます」
「はは、そうですか。なら、大丈夫、かな?」安堵からか、電話の男性の声に緩みが見える。
「えぇ。あたしに会えたのもそうだけど、アナタからの電話がよっぽど嬉しかったみたい」
「ちょっと!」ヤエが口を挟む。「あの、カズマサくん、これはーー」
「あぁ、ヤエちゃんだ。良かった、元気そうで。シンゴちゃんも大丈夫みたいだし。本当に良かった……。でも、何がどうなってるかわからんし、無理はしないで、な」
「……うん」ヤエは顔を赤くして頷く。
「……じゃあ、今日はこれで切るわ。ゆっくり休んで。武井さんもーー」
「『アイ』でいいですよ」あたしはいう。
「え、でも、馴れ馴れしくないですかい?」
「ヤエが顔を赤くしながら話してる相手なら信用出来るだろうし、全然大丈夫ですよ」
それに彼の話しぶりを聴いていると、不思議とこの人なら信用してもいいんじゃないかと思えてならなかったのだ。
「アイ!」ヤエは沸騰したヤカンのようになりながらも、それ以降は黙り込んでしまった。
「ははは、じゃあ、自分のことは『カズマサ』でいいですよ、アイさん」
「オッケー、カズマサくん。また、お世話になるかもしれないし、これからもよろしくね」
「うっす。こちらこそよろしくお願いします! じゃ、ヤエちゃん、お大事に、ね」
ヤエが返事して少ししてから電話は切れた。
「もー! あぁいうこといわないでよ!」ヤエは恥ずかしそうになっていう。
「ごめんごめん。えっと、彼氏?」
「……じゃないけど。今日観に行ったお芝居に誘ってくれた人」
「あぁ、例のイケメンの。カズマサくんっていうんだ」突然ピンと来る。「……もしかして、電話でいってた紹介したかった人ってーー」
「うん……」顔を真っ赤に染めて、ヤエは頷く。「カズマサくん、だよ……」
「へぇ!」あたしは俄然興味を持った。「ねぇ、写真見せてよ」
「ヤダよ!」
「いいじゃん、減るモンじゃないし」
「絶対イヤ!」
「ケチ」
「ケチじゃない!」
カズマサくんのこともあって、ヤエはすっかり元気になってしまったようだ。いくら一般人とはいえ、ヤエのタフさーーそれとも図太さ、か?ーーは並じゃないようだ。
「アイって、お芝居は観る?」
ふと、そんなことを訊いてきた女のことを思い出した。その時、あの女がその話題を出す時に見ていた男の人もイケメンだった。
……まさか、ね。
あと数時間は湿っぽい夜にならなくて済みそうで、少し安心した。
でも、あたしは、この事件に偶然性を感じていなかった。根拠はない。だが、弓永くんの話を聴いて思った限りでいえば、
いや、やっぱり今は考えたくない。
ヤエが無事だった、今はそれだけで充分。
あたしは追い掛けて来るイヤな思いを振り切るように、車のアクセルを強く強く踏み締めた。
【続く】