【西陽の当たる地獄花~弐拾四~】
文字数 2,232文字
大地獄に比べれば、地獄などまだ生ぬるい。
そういうのも地獄は単なる「作業場」であり、「労働」する場所であるからだ。
いってしまえば、地獄は佐渡の鉱脈にて金を発掘するような、危険でジメジメとし、かつきつく苦しい作業に従事しなければならない場所なのだが、その作業が行われているからこそ、極楽と地獄を含む彼岸は回っている。
また、これは地獄の労働があるからこそ、現世の仕組みも回っているといっても過言ではないーーというより、彼岸が回らなければ現世も回らない。それは彼岸と現世は対になる存在であり、かつその微妙な均衡を保っているからこそ双方共に存在するからだ。
だからこそ、地獄という場所は彼岸の中でも必要不可欠な場所なのだといえる。
そして当然、その地獄を統括するのは、あの閻魔大王であり、彼岸の支配者である神である、ということになる。
では、大地獄というのはどういうモノか。
それは地獄よりもさらに下にある、いわばゴミ捨て場であるといって過言ではない。
そう、大地獄というのはあらゆる作業にも従事できない本当の意味で問題のある者たちが送られる最果ての地なのである。
基本、人は死んで彼岸にくれば、極楽か地獄のどちらかへと送られることとなる。
それは結局、現世から彼岸の住人となったということに過ぎず、現世での行いによって、分相応な場所へと送られるということだ。
極楽には徳を積んだ者たちーーいってしまえば、神がひと声掛ければ容易に従ってしまうような者たちが極楽へと送られる。
反対に地獄へと送られるのは、道を外した者たちーーしかも、彼岸へたどり着き、三悪道のひとつである「地獄道」へと堕ちることを余儀なくされた者ーーいわば、神のことばに従うことがまずないであろう者たちこそが該当し、きつい労働に当てられるのだ。
所謂、血の池のような地獄の罰のようなモノは、地獄における労働をサボった刑罰であり、その拷問にて死ぬことは決してないーー殺人を除けば。
ちなみに、地獄にて囚人同士が争っても死者が出ないのは監視の目が厳しく、争いが起きれば両成敗、争った両人が重い刑罰に課されるからとされている。いってしまえば、暴力を背景にゴロツキどもを統制しているワケだ。
が、大地獄は違う。
というのも、大地獄は彼岸ですら満足に生きることが出来なかったモノたちを廃棄する真の意味での「死者の都」なのだ。
都、といえば聞こえはいいだろう。だが、そこにあるのはふたつの悪夢。
ひとつは牛馬が入れられた何もない虚無の空間。こちらは彼岸にて他者を殺めた罪人が送られる。それは己の犯した罪故に、今後決して他者を傷つけないために送られる精神の牢獄。
そこは己の精神が産み出した恐れが幻影となって現れる。それはある者にとっては鬼、ある者にとっては幽霊、ある者にとっては魑魅魍魎と多種多様な姿を持っている。そして、具現化する悪夢は幽閉された罪人を襲う。何者もいない孤独の中で、精神と肉体を食い破る。だが、死ぬことは出来ない。肉体は再生し、生命は痛みを受け続けるばかりで果てることはない。終わることのない苦痛ーーそれが大地獄の壱だ。
そして、もうひとつの大地獄はーー
「相変わらず酷ぇところだな」
荒野をさまようひとりの男がいう。薄汚れた黒い袴に薄汚れた黒い着物。腰元にはやたらと長い刀が一本差してある。顔回りと口回りには無作法に伸びる雑草のようなひげ。そしてーー
「ぎ、牛馬様ではないですか!?」
「……あ?」
牛馬と呼ばれた男は振り返る。男が振り返ると、その視線の先には、一匹の薄汚い犬がいる。その犬はコロのような大柄でもなければ、目も飛び出ていない普通の柴犬だった。いや、普通というには痩せ細り過ぎていた。
「今、話したのはテメェか?」
「そうです。生きていらしたのですね」柴犬はしっぽを振りながらいう。
男ーーその顔にはバッテン状のキズがついている。そして、右腕と右袈裟には大きな切り傷が刻まれている。
「テメェ、畜生の分際で何故おれのことを知ってる? 何モンだ、テメェ」
「鬼水です! 貴方と共に極楽へ行った!」
「……鬼水だぁ?」牛馬は顔をしかめる。「何でそんな畜生の格好をしている。テメェは極楽の役人どもと逃げたんじゃなかったのか?」
「その通りでございます。ただーー」
鬼水と名乗る柴犬は話し始めるーー
柴犬ーー鬼水がいうには、鬼水と閻魔の使者、そして極楽の中級役人たちは、みな白装束の浪人にみな斬り殺されてしまったという。
「わたしはわたしなりに戦ったのですが、ヤツはそれ以上の業の使い手で、結局ーー」
「あぁ、あの野郎はテメェなんかじゃ歯が立たないだろうな」非情にいう牛馬。
「ですが、ヤツは牛馬様を殺したと」
「……あぁ、間違いはねぇよ」
「一体、何があったんですか? 牛馬様ほどの腕を持つ方がまったく手も足も出なかったなんて」
「あぁ、それはなーー」
「貴様、牛馬だな」
またもや牛馬の名を呼ぶ者の声。牛馬が振り返るとそこには腹がポッカリ出ているにも関わらず、手足が異様に細い餓鬼の姿がある。
「何だテメェ。おれに餓鬼の知り合いはーー」
「わたしだ」餓鬼はいう。「貴様が彼岸に来たその時ぶりだったかな?」
「あ?」牛馬の表情が歪む。「テメェはーー」
「悩顕。貴様を彼岸にて取り上げた僧侶だ」
悩顕のことばに牛馬は表情ひとつ変えず、ただ真っ直ぐに悩顕を見つめる。悩顕はいうーー
「……久しぶりだな」
【続く】
そういうのも地獄は単なる「作業場」であり、「労働」する場所であるからだ。
いってしまえば、地獄は佐渡の鉱脈にて金を発掘するような、危険でジメジメとし、かつきつく苦しい作業に従事しなければならない場所なのだが、その作業が行われているからこそ、極楽と地獄を含む彼岸は回っている。
また、これは地獄の労働があるからこそ、現世の仕組みも回っているといっても過言ではないーーというより、彼岸が回らなければ現世も回らない。それは彼岸と現世は対になる存在であり、かつその微妙な均衡を保っているからこそ双方共に存在するからだ。
だからこそ、地獄という場所は彼岸の中でも必要不可欠な場所なのだといえる。
そして当然、その地獄を統括するのは、あの閻魔大王であり、彼岸の支配者である神である、ということになる。
では、大地獄というのはどういうモノか。
それは地獄よりもさらに下にある、いわばゴミ捨て場であるといって過言ではない。
そう、大地獄というのはあらゆる作業にも従事できない本当の意味で問題のある者たちが送られる最果ての地なのである。
基本、人は死んで彼岸にくれば、極楽か地獄のどちらかへと送られることとなる。
それは結局、現世から彼岸の住人となったということに過ぎず、現世での行いによって、分相応な場所へと送られるということだ。
極楽には徳を積んだ者たちーーいってしまえば、神がひと声掛ければ容易に従ってしまうような者たちが極楽へと送られる。
反対に地獄へと送られるのは、道を外した者たちーーしかも、彼岸へたどり着き、三悪道のひとつである「地獄道」へと堕ちることを余儀なくされた者ーーいわば、神のことばに従うことがまずないであろう者たちこそが該当し、きつい労働に当てられるのだ。
所謂、血の池のような地獄の罰のようなモノは、地獄における労働をサボった刑罰であり、その拷問にて死ぬことは決してないーー殺人を除けば。
ちなみに、地獄にて囚人同士が争っても死者が出ないのは監視の目が厳しく、争いが起きれば両成敗、争った両人が重い刑罰に課されるからとされている。いってしまえば、暴力を背景にゴロツキどもを統制しているワケだ。
が、大地獄は違う。
というのも、大地獄は彼岸ですら満足に生きることが出来なかったモノたちを廃棄する真の意味での「死者の都」なのだ。
都、といえば聞こえはいいだろう。だが、そこにあるのはふたつの悪夢。
ひとつは牛馬が入れられた何もない虚無の空間。こちらは彼岸にて他者を殺めた罪人が送られる。それは己の犯した罪故に、今後決して他者を傷つけないために送られる精神の牢獄。
そこは己の精神が産み出した恐れが幻影となって現れる。それはある者にとっては鬼、ある者にとっては幽霊、ある者にとっては魑魅魍魎と多種多様な姿を持っている。そして、具現化する悪夢は幽閉された罪人を襲う。何者もいない孤独の中で、精神と肉体を食い破る。だが、死ぬことは出来ない。肉体は再生し、生命は痛みを受け続けるばかりで果てることはない。終わることのない苦痛ーーそれが大地獄の壱だ。
そして、もうひとつの大地獄はーー
「相変わらず酷ぇところだな」
荒野をさまようひとりの男がいう。薄汚れた黒い袴に薄汚れた黒い着物。腰元にはやたらと長い刀が一本差してある。顔回りと口回りには無作法に伸びる雑草のようなひげ。そしてーー
「ぎ、牛馬様ではないですか!?」
「……あ?」
牛馬と呼ばれた男は振り返る。男が振り返ると、その視線の先には、一匹の薄汚い犬がいる。その犬はコロのような大柄でもなければ、目も飛び出ていない普通の柴犬だった。いや、普通というには痩せ細り過ぎていた。
「今、話したのはテメェか?」
「そうです。生きていらしたのですね」柴犬はしっぽを振りながらいう。
男ーーその顔にはバッテン状のキズがついている。そして、右腕と右袈裟には大きな切り傷が刻まれている。
「テメェ、畜生の分際で何故おれのことを知ってる? 何モンだ、テメェ」
「鬼水です! 貴方と共に極楽へ行った!」
「……鬼水だぁ?」牛馬は顔をしかめる。「何でそんな畜生の格好をしている。テメェは極楽の役人どもと逃げたんじゃなかったのか?」
「その通りでございます。ただーー」
鬼水と名乗る柴犬は話し始めるーー
柴犬ーー鬼水がいうには、鬼水と閻魔の使者、そして極楽の中級役人たちは、みな白装束の浪人にみな斬り殺されてしまったという。
「わたしはわたしなりに戦ったのですが、ヤツはそれ以上の業の使い手で、結局ーー」
「あぁ、あの野郎はテメェなんかじゃ歯が立たないだろうな」非情にいう牛馬。
「ですが、ヤツは牛馬様を殺したと」
「……あぁ、間違いはねぇよ」
「一体、何があったんですか? 牛馬様ほどの腕を持つ方がまったく手も足も出なかったなんて」
「あぁ、それはなーー」
「貴様、牛馬だな」
またもや牛馬の名を呼ぶ者の声。牛馬が振り返るとそこには腹がポッカリ出ているにも関わらず、手足が異様に細い餓鬼の姿がある。
「何だテメェ。おれに餓鬼の知り合いはーー」
「わたしだ」餓鬼はいう。「貴様が彼岸に来たその時ぶりだったかな?」
「あ?」牛馬の表情が歪む。「テメェはーー」
「悩顕。貴様を彼岸にて取り上げた僧侶だ」
悩顕のことばに牛馬は表情ひとつ変えず、ただ真っ直ぐに悩顕を見つめる。悩顕はいうーー
「……久しぶりだな」
【続く】