【明日、白夜になる前に~弐拾捌~】
文字数 2,309文字
彼女との出会いは、それこそ二十年も前になるだろうか。切っ掛けはーー何てことない。
そして、それについて語るには、まだーー
日曜のゴールデンタイムのファミリーレストランは、ウイルスの影響など関係ないといわんばかりに混み合っている。
まぁ、このウイルスによる自粛だとかの話もナーバスだったのは昨年までの話で、今となってはみんな慣れてしまったのか、普通にマスクを外し向かい合って食事をしている。
そして、それはぼくと彼女も例外ではない。
ぼくらの座っているのは窓際のビニール製のシートがあるテーブル席で、ぼくの真向かいには彼女が。彼女のとなりにはまだ小さな少年が横に傾けたスマートフォンを真剣に眺め、いじっている。きっと、ソーシャルゲームに熱中しているのだろう。バカみたいに大きく、電池がすぐ切れる携帯ゲーム機に熱中していた自分のような人間からしたら異次元の光景だが、変わったのは文明だけで、それ以外は自分たちの時代の少年たちと大別ないのだろう。
それはさておき、彼女のことである。
彼女も家ではマスクをしていたがために、その素顔を見ることはなかったが、食事というエクスキューズのもとに彼女の顔を見ると、何だか懐かしいような悲しいような、複雑な感情が沸き立って来る。
とても本人にいえたことではないが、明らかにやつれ、シワが増えている。それだけ苦労したということだろう。
そもそも、これからという所で、旦那を亡くしてしまったともなれば、疲れもするだろうし、専業主婦だった彼女も、子供を食べさせて行くためにも慣れないパートにも出なければならなくなったはず。そんな彼女に気苦労がないなんて、そんなはずはないだろう。
ぼくは、フォークで細かにパスタを巻くと、それを小鳥の口程度しかないように小さく口を開けてパスタを食べる彼女を見る。
何ともか弱く、今にも崩れてしまいそうな不安定な感じに思わずドキッとしてしまった。背徳感に満ち満ちた想いに、思わずまばたきの回数も増える。そんなぼくの想いとは裏腹に、子供は死んだような顔でスマホを弄り続ける。
「どうしたの?」
彼女の顔を呆然と眺めていたぼくに気づいた彼女が、微笑みながらそう訊ねて来る。
「あ、いや、別になんでもないんだ」
とぼくは咄嗟にウソをつく。というか、ウソをつかなきゃやってられなかった。だが、彼女はーー
「ほんとに?」
と微笑していう。くたびれた女性というのは、どうしてこうも色っぽいのだろうか。
いや、それだけじゃないだろう。
もう亡くなっているとはいえ、友人の奥さんと友人不在でこうして食事をしているという背徳的なシチュエーションがぼくを駆り立てるのかもしれない。
「まぁ、いいや」彼女はいう。「それにしても久しぶりだね」
まるで話題が見つからないことから来る繋ぎのような会話に、ぼくは冷や汗が止まらない。自分のような三軍ポジションの男子と彼女とでは釣り合うこともなければ、話すこともそんなない。きっと、話題を探すのでいっぱい一杯なのだろう。ぼくは、
「う、うん。そうだね……」
とありきたりな返答しか出来ない。そこから会話を組み立てたり、話題を広げるなんてことも出来ない。むしろ、そんな話術があれば、もっとこの人生もイージーにことが進んだはずだ。
「こら、博人。ゲームばっかやってないの」
彼女が息子に注意する。だが、博人は生返事で「うん……」と答えつつ、そのままスマホを弄り続ける。彼女としても、そこまで深く注意する気にもなれないのか、それからふたこと三こと軽く注意するのみで、それ以上は特に何もいうことはなくなった。
「子供はゲームが好きだからね」
「そうだけど……」彼女は申し訳なさそうにいう。「そういえば、斎藤くんもゲーム好きだったよね」
ゲームが好きーー多分、ぼくの学生時代のアイデンティティはそこにしかなかったと思う。実際、女子がぼくのことを話す際は、必ずといっていいほど「ゲーム好き」のレッテルがついて回る。まぁ、事実だからいいのだけど。
「あ、うん、そうだね」
「今もゲームはやってるの?」
端から聴いたら、何とも退屈な会話だろうと思うはずだ。だが、その退屈な会話こそが、ぼくと彼女の関係性を象徴している。
「うん。これといった趣味もないし、家でやることといったら、酒飲むか、ゲームやるかぐらいだね」
「そっか……、変わらないね」
彼女は消え入るような小さな声でいう。変わらないーーそれは皮肉か、それとも事実をそのままいっているのか、はたまた感慨深さからそういっているのかはわからない。
しかし、良く良く考えたら、家であれだけ昔の話をして涙を流したのだ、パブリックなレストランの一角で深い話をして涙の流すことのないよう気をつけているのかもしれない。それならば、何故外食に誘ったのかとも思われるだろうけど、それはそれ、これはこれだ。
そもそも、主婦だって時には夕飯作りをサボりたくなる時だってあるだろう。
「斎藤くんはさ、今付き合ってる人とかいないの?」
唐突なキラーパスに、ぼくは思わず「え?」としか返せない。が、彼女はくたびれた笑みを浮かべてぼくを真っ直ぐに見てくるばかり。ぼくはーー
「うん。まぁ、たまきとの一件もあったし、正直今はーーって感じかな」
「そっか。……でも、あのマジメそうな赤池さんがあんなことするなんて、思ってもなかったよ。それに斎藤くんと付き合うとも、ね」
それは至極当たり前の疑問だと思う。
今となっては、たまきについては空虚な感情しか生まれないが、それでも昔のことを思い出すと、何処かふとした瞬間に情のようなモノが沸いてくる気がするのだーー
【続く】
そして、それについて語るには、まだーー
日曜のゴールデンタイムのファミリーレストランは、ウイルスの影響など関係ないといわんばかりに混み合っている。
まぁ、このウイルスによる自粛だとかの話もナーバスだったのは昨年までの話で、今となってはみんな慣れてしまったのか、普通にマスクを外し向かい合って食事をしている。
そして、それはぼくと彼女も例外ではない。
ぼくらの座っているのは窓際のビニール製のシートがあるテーブル席で、ぼくの真向かいには彼女が。彼女のとなりにはまだ小さな少年が横に傾けたスマートフォンを真剣に眺め、いじっている。きっと、ソーシャルゲームに熱中しているのだろう。バカみたいに大きく、電池がすぐ切れる携帯ゲーム機に熱中していた自分のような人間からしたら異次元の光景だが、変わったのは文明だけで、それ以外は自分たちの時代の少年たちと大別ないのだろう。
それはさておき、彼女のことである。
彼女も家ではマスクをしていたがために、その素顔を見ることはなかったが、食事というエクスキューズのもとに彼女の顔を見ると、何だか懐かしいような悲しいような、複雑な感情が沸き立って来る。
とても本人にいえたことではないが、明らかにやつれ、シワが増えている。それだけ苦労したということだろう。
そもそも、これからという所で、旦那を亡くしてしまったともなれば、疲れもするだろうし、専業主婦だった彼女も、子供を食べさせて行くためにも慣れないパートにも出なければならなくなったはず。そんな彼女に気苦労がないなんて、そんなはずはないだろう。
ぼくは、フォークで細かにパスタを巻くと、それを小鳥の口程度しかないように小さく口を開けてパスタを食べる彼女を見る。
何ともか弱く、今にも崩れてしまいそうな不安定な感じに思わずドキッとしてしまった。背徳感に満ち満ちた想いに、思わずまばたきの回数も増える。そんなぼくの想いとは裏腹に、子供は死んだような顔でスマホを弄り続ける。
「どうしたの?」
彼女の顔を呆然と眺めていたぼくに気づいた彼女が、微笑みながらそう訊ねて来る。
「あ、いや、別になんでもないんだ」
とぼくは咄嗟にウソをつく。というか、ウソをつかなきゃやってられなかった。だが、彼女はーー
「ほんとに?」
と微笑していう。くたびれた女性というのは、どうしてこうも色っぽいのだろうか。
いや、それだけじゃないだろう。
もう亡くなっているとはいえ、友人の奥さんと友人不在でこうして食事をしているという背徳的なシチュエーションがぼくを駆り立てるのかもしれない。
「まぁ、いいや」彼女はいう。「それにしても久しぶりだね」
まるで話題が見つからないことから来る繋ぎのような会話に、ぼくは冷や汗が止まらない。自分のような三軍ポジションの男子と彼女とでは釣り合うこともなければ、話すこともそんなない。きっと、話題を探すのでいっぱい一杯なのだろう。ぼくは、
「う、うん。そうだね……」
とありきたりな返答しか出来ない。そこから会話を組み立てたり、話題を広げるなんてことも出来ない。むしろ、そんな話術があれば、もっとこの人生もイージーにことが進んだはずだ。
「こら、博人。ゲームばっかやってないの」
彼女が息子に注意する。だが、博人は生返事で「うん……」と答えつつ、そのままスマホを弄り続ける。彼女としても、そこまで深く注意する気にもなれないのか、それからふたこと三こと軽く注意するのみで、それ以上は特に何もいうことはなくなった。
「子供はゲームが好きだからね」
「そうだけど……」彼女は申し訳なさそうにいう。「そういえば、斎藤くんもゲーム好きだったよね」
ゲームが好きーー多分、ぼくの学生時代のアイデンティティはそこにしかなかったと思う。実際、女子がぼくのことを話す際は、必ずといっていいほど「ゲーム好き」のレッテルがついて回る。まぁ、事実だからいいのだけど。
「あ、うん、そうだね」
「今もゲームはやってるの?」
端から聴いたら、何とも退屈な会話だろうと思うはずだ。だが、その退屈な会話こそが、ぼくと彼女の関係性を象徴している。
「うん。これといった趣味もないし、家でやることといったら、酒飲むか、ゲームやるかぐらいだね」
「そっか……、変わらないね」
彼女は消え入るような小さな声でいう。変わらないーーそれは皮肉か、それとも事実をそのままいっているのか、はたまた感慨深さからそういっているのかはわからない。
しかし、良く良く考えたら、家であれだけ昔の話をして涙を流したのだ、パブリックなレストランの一角で深い話をして涙の流すことのないよう気をつけているのかもしれない。それならば、何故外食に誘ったのかとも思われるだろうけど、それはそれ、これはこれだ。
そもそも、主婦だって時には夕飯作りをサボりたくなる時だってあるだろう。
「斎藤くんはさ、今付き合ってる人とかいないの?」
唐突なキラーパスに、ぼくは思わず「え?」としか返せない。が、彼女はくたびれた笑みを浮かべてぼくを真っ直ぐに見てくるばかり。ぼくはーー
「うん。まぁ、たまきとの一件もあったし、正直今はーーって感じかな」
「そっか。……でも、あのマジメそうな赤池さんがあんなことするなんて、思ってもなかったよ。それに斎藤くんと付き合うとも、ね」
それは至極当たり前の疑問だと思う。
今となっては、たまきについては空虚な感情しか生まれないが、それでも昔のことを思い出すと、何処かふとした瞬間に情のようなモノが沸いてくる気がするのだーー
【続く】