【丑寅は静かに嗤う~白黒】

文字数 1,983文字

 頬を伝う雨は、まるで幾千の涙のよう。

 震える手でかんざしを握るお雉。かんざしの先と桃川の首までの距離はそう遠くはない。兄だから、ということで躊躇しているのか、そうするのが精一杯なのかはわからない。

 桃川の刀を握る手はピタリと止まっている。その感情は堅固に守られているのか、まったくといっていいほどに動じていない。

「……何のつもりだ」

 笑みを含めて桃川は訊ねる。対してお雉は声を震わせていう。

「だって、このままじゃ兄上はこの男を……」

 垂れていた良顕の頭が持ち上がる。その視線の先はお雉のほうへと向いている。

「殺してはならない、と?」桃川の問いにお雉は頷く。「……どうして?」

「ソイツを斬ったら、兄上もソイツと同じになっちゃうよ……」

「そうだ」桃川はケロリとする。「おれもコイツも、丑寅なんだからな」

 お雉は首を横に振る。

「そうじゃないよ。……あたしたちが両親を殺されたように、兄上は今、お京さんにとって大事な人を殺そうとしている。兄上がソイツを殺せば、お京さんはどうなるの……?」

「関係ないな」食い気味に桃川がいう。

「関係なくないよ!」お雉も食い気味。「ソイツが死んだら、お京さんはひとりぼっち。兄上はどっか行っちゃうんだから別にいいよ。まぁ、良顕様を殺して尚、村に居座ろうというのなら、お京さんも黙ってないだろうけど。でも、良顕様が死んだら、今度はお京さんがあたしたちも同じ立場になるんだよ、……永遠に、ね。それでもいいの?」

 雨は降る。降り続ける。身体のぬくもりを少しずつ奪っていくその雨は、まるですべてを洗い流さんとするように豪々と降り続けている。

 桃川の頬に無数の雨が流れ、垂れている。口許は凍りついたように結ばれている。

 時間が過ぎる。

 一分、一秒が永遠のように長く、三人のこころと身体を削りながら過ぎ去って行く。

 跪く男に、刀を突きつける男、刀を突きつける男にかんざしを突きつける女。

 三者三様。だが、そこにあるのはどん詰まり。死と暴力がドブのように流れ、足許を洗っている。そして、今にもその足を取って、底のない沼の中へと誘わんとしているよう。

「……助けてくれ」最初に沈黙を破ったのは良顕だった。「お雉さんのいうように、わたしには、お京という『娘』がいる。わたしがいなければ、あの子は……」

「あの子は、何だ?」桃川が問う。「急に父親ぶり出して、本当の娘であるお羊には盗賊の仕込みをし、無様な死へと導かれるように育てたのに。それとも、お羊への罪滅ぼしをお京で代わりにしようっていうのか?」

「……わたしは親として失格だ。それはいうまでもないだろう。でも、アンタのいう通りなのかもしれない。お羊は、わたしが血気盛んな頃に出来た子供だ。そのせいであの子には苦労を掛けた。盗賊を去ってからというもの、わたしは頭に過剰な血を流す必要がなくなって、お羊に対して申し訳なさを感じていた。結局、普通の女として、普通の生き方が出来なくなってしまったのだから。そんな時にみなしごのお京を拾った。だからわたしは、今度はこの子を暖かい陽の光のように、何処を通っても恥ずかしくない女に育てたいと思った。……アンタのいうことは間違っていない」

 雨は降り続ける。

 桃川は右手で持っていた刀の柄に、ゆっくりと左手を添える。お雉の手に力が入り、良顕は覚悟を決めたように目を瞑る。

 鋼を叩く音がする。

 桃川の刀はその場で一回転し、元の位置へ戻る。その回転を止めるかのように、桃川は右手で刀の柄上部を握った右手の腹で軽く叩くと、逆手で静かに刀を納める。

 お雉はハッと息を飲む。

「……かんざしを外してくれないか」

「兄上……」

 お雉はゆっくりとかんざしを桃川の首もとから遠ざける。その動きを見届けると、桃川はジッとお雉の顔を覗き込む。お雉の顔は、人を殺すことなど知らない、ひとりの街娘のようにあどけないモノとなっていた。

「達者で、な……」

 そういって桃川は歩き出す。お雉の横を通り、濡れた地面を遡って歩いて行く。

「兄上ッ!」まるで揺れる影のように遠ざかって行く兄の姿に、お雉はいう。「何処へ……、何処へ行かれるの?」

 桃川は足を止める。だが、振り返りはせず、うしろに若干の意識を向けただけで、そのまま再び歩き出す。

「兄上!」

「無駄だよ……」良顕のことばにお雉は振り返る。「あの男は死神に憑かれている。あの男の通るところには屍が積み上がり、血の川が流れる。あの男こそ、真の意味で丑寅だったのだろう。だから、ついていってはいけない」

 お雉は桃川のほうを見る。だが、その先にはもう桃川の姿はなかった。

 すすり泣く声が聴こえる。お雉はその場に崩れ落ち、膝と手を地面について、更なる雨を降らせた。口許は歪み、歯は食い縛られていた。

 震える細い手が泥を力いっぱい握り締めた。

 雨は、まだ降っていた。

 【続く】
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登場人物紹介

どうも!    五条です!


といっても、作中の登場人物とかではなくて、作者なんですが。


ここでは適当に思ったことや経験したことをダラダラと書いていこうかな、と。


ま、そんな感じですわ。

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