【藪医者放浪記~拾捌~】

文字数 2,235文字

 砂塵が舞う。

 乾いた地面は命のきらめきをまったく感じさせない。それどころか、気づけば右にも左にも目をひんむいた屍が転がっており、茶色い砂も真っ赤な血だまりを作っている。

 ここにはもはや三人の男しか立っていない。ひとりは武田藤十郎。水戸の国よりやってきた旗本、武田家の子息である。またひとりは、藤十郎の遣いである牛野寅三郎。そして、もうひとりは牛野馬乃助、寅三郎の弟であり、闇の奥底で『牛馬』と呼ばれて恐れられている浪人。

「寅ぁ、どうすんだよ」牛馬がいう。「そのボンボンをこのまま無事に連れて行きたけりゃ、ここを通るか、引き返すしかねぇぜ」

 寅三郎は何もいわない。奥歯を噛みしめ、口の右端がピクリと動いている。嗤う牛馬。

「テメェは緊張してる時はいつだってそうやって奥歯を噛みしめてたな。わかるぜ。おれと相対するのが怖くて堪らないんだってな」

「……黙れ」

「黙れ、か。まるで黙るのはテメェのほうが先っていっても可笑しくない声だな。それにひとつ訊きてぇんだけどよ」ニヤついていた牛馬の表情がいっぺんに無になる。「おれが黙らなかったら、どうするってんだよ?」

 急に圧の強い口調になる牛馬に、寅三郎は依然として奥歯を噛みしめながら身構えている。

 草鞋が地面を踏み締める。

 砂ぼこりがうっすらと舞う。

 額、頬を流れる汗。

 ゆっくりと、ゆっくりと落ちて行く。

 落ちた汗が乾いた地面をじっとりと濡らす。

 風が吹く。風は男たちの髪をふわりと揺らす。揺れた髪のいっぺんが揺らめく。揺らめく髪は風に乗って今にも飛んで行きそうだ。

 微かにうしろじさる寅三郎。だが、逃げることは出来ない、許されない。腰は引けていない。だが、自ら進んで行こうという気概も感じられない。どん詰まりがそこにある。

 藤十郎は牛馬の様子を伺いつつ、緊張し硬直する寅三郎へと目をやる。

「寅三郎……」

 藤十郎の呼び掛ける声は寅三郎には届いていないよう。いや、届いてはいるのかもしれないが、応答するだけの余裕がないのかもしれない。寅三郎はグッと刀を握る。

 刀を握った寅三郎を見、牛馬は目を半開きにし、刀の柄を再度握り込む。

「馬乃助」何者かが牛馬を呼ぶ。

 三人は声のした方向へと目をやる。声のしたほう、それは大きな屋敷のほうだった。砂の舞う風の中、目を細めてそちらを見ると、黒い人影が立っている。

 銀次、九十九通りを取り仕切るヤクザの親玉。九十九通りは、銀次と伝助、ふたりのヤクザ者たちによって縄張り争いが繰り広げられていた。とはいえ、その勢力は伝助が三、銀次が七といったほど。伝助は圧倒的に劣勢。伝助の一家はギリギリのところで何とか持っていた。

 ふたつの勢力の抗争はジリジリと進行し、日に日に死体は積み上がって行った。そして、それは牛馬が川越に来てから顕著になった。そして、今では伝助の一家は殆ど全滅に近い状態となっていた。

 つまり、九十九通りは事実上、銀次の手に落ちていた、というワケだ。

「あ?」表情を変えずに牛馬はいう。「何だ」

「そう不満そうにおれのことを見るな。それより、せっかくの見せ物を遠くから見物するというのは、どうも寂しいだろう。どうせなら、特別の桟敷で観ようかと思ってな」

 不気味に微笑む銀次。だが、牛馬は一切の笑みも見せず、むしろつまらなそうにいう。

「勝手にしろよ……」大きくアクビをする牛馬。「眠くなってきた。寅、テメェやる気がねぇならおれから行くぞ?」

 牛馬はゆっくりと歩き出す。足の動きは最小限で、体も閉じており、まったく隙は見えない。寅三郎は刀を脇に構える。だが、牛馬とは対照的に、体はやや緩く、開いている。どちらが勝つかは、構えを見れば一目瞭然だった。

 牛馬が寅三郎に近づいていく、近づいて行く。寅三郎は自分が抜刀済みであるにも関わらず、刀を鞘に納めた牛馬に対して積極的に攻めて行こうとはしない。

 いや、それはむしろ死を意味していた。

 それはまるで自害をするようなモノだった。無闇矢鱈に、がむしゃらに攻め込んだところで、瞬殺されてお仕舞いというのは、わかりきっていること。ましてや相手は牛馬。寅三郎にとっては無二の弟でしかない。

 だが、その弟こそが、えげつないほどの居合の腕を持っていると知っていれば、慎重にならざるを得ない。

 と、牛馬はふと立ち止まる。かと思いきや、

 消えた。

 寅三郎の視界から突如として牛馬の姿が消え失せた。寅三郎はハッとする。じっとりとした汗がこめかみを伝う。

 突然、寅三郎はうしろを振り向きつつ柳の受けをするように刀を斜め気味に持ち上げる。

 寅三郎の左の二の腕がスッパリと切れた。

 完全に切断はされていないが、あからさまに深いであろう傷が、二の腕に刻まれている。寅三郎は刀を持ちつつ、切れた左腕の傷口を押さえる。

 牛馬、いつの間にやら寅三郎のうしろに回り、袈裟懸けに抜き打ちを仕掛けたのだった。

 間一髪、一命を取り留めた寅三郎。だが、万事休すなのはいうまでもない。牛馬は舌打ちし、血の滴る刀の刀身を垂らしながら再び寅三郎のほうへと歩を進める。

 牛馬は突然に右にも刀を払う。

 何かを打つ音。

 砂塵が舞う。牛馬は殺し損ねた寅三郎のほうへ切っ先を残しつつ、石の飛んで来た方向へと視線を飛ばす。

「誰だ」

 砂塵の中から人影がボウッと浮かぶ。そして、それが明確な形を以て見えた時、牛馬は思わずフッと笑って見せる。

「テメェか。会えて嬉しいぜ」

 砂塵の人影、それは猿田源之助だった。

 【続く】
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登場人物紹介

どうも!    五条です!


といっても、作中の登場人物とかではなくて、作者なんですが。


ここでは適当に思ったことや経験したことをダラダラと書いていこうかな、と。


ま、そんな感じですわ。

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