【逃げろ、自由に向かって】
文字数 4,349文字
安倍総理が辞任を表明したらしい。
これに関しては多様な意見があると思うんで軽々しくコメントはできないし、自分にとってのゴミ捨て場で政治的な話はしたくないし、深くコメントするつもりもない。
ただ、一度難病指定されている病気を理由に総理を辞任しているので、ここ数日の病院通いの報道からの今回の辞任は、仕方ないのではとも思うーーまぁ、タイミングは悪いが。
とはいえ、辞めるという決断も時には大切だと、おれは思う。自分もそうなのだけど、どうも人は「辞める」というワードにマイナスのイメージを抱きがちだ。
確かに、総理ともなると責任ある立場なのだから軽々しく辞めるとはいえないかもしれないけど、そうでないなら、別に辞めることにマイナスのイメージを持つ必要なんかないんじゃないかと思うのだ。所詮、辞めるというのもひとつの選択肢でしかないんだし。
まぁ、こんなことをいうと、「でも、社会人はやりたくなくてもやらなきゃいけないことばかりなんだよ」と説教を垂れてくるおバカさんもいるわけで。そりゃ、大した働きもしないで辞めるようなヤツはろくでもないけど、「やらなくちゃ」、「頑張らなくちゃ」と義務感や責任感で自分を圧し殺して働いた人が精神を病んで働けなくなったら本末転倒もいいところで。そうやって説教垂れるおバカさんは、そうなる可能性がある人にも同じことをいえるんかねーーま、いえるだろうな。そうしないと自分のアイデンティティを保てないんだし。
と、少々辛辣なコメントを吐いてしまったけど、ここからは平常運転。てか、今日のテーマが「辞めること」なんでね。
ただ、やはり物事にも「辞め方」というのがあって、傍若無人な振る舞いをして、勝手にキレて辞めていくというのは、実に美しくない。別に辞め方に美しさを求める必要なんかないんだけど、できれば何かを辞める時は後腐れなく綺麗に辞めたい。出来れば、ね。
かくいうおれは、何とも物事の辞め方が下手で、過去、何度かブチ切れて色々な組織から去ったことがある。
一度目は大学のサークル。辞めた理由は、「もう着いていけん」。どういうこと、と思われるだろうが、シンプルに人間関係にウンザリして辞めたのだ。とはいえ、まだやりたいことも残ってはいたんで、その後色々あって戻ったのだけどーーまぁ、ダサい。何事もなく歓迎してくれた先輩、後輩、同期には感謝だな。
二度目は劇団。理由はやはり「もう着いていけん」。これに関しては本当に我慢がならず、いってしまえば、何もしないのに偉そうにしている年寄りにいいように使われてしまい、精神的にダウンしてしまったのだ。まぁ、最後にケンカを売って辞め、後に団内の友人に客演を頼まれて承諾し、再びその劇団にて舞台を踏んだのだけど、その間に老害どもを一斉に淘汰できたんで、これに関しては後悔はしてない。
とまぁ、とかくおれという人間は、辞めては戻りを繰り返してばかりいる。何とも恥ずかしい話なんだけど、人間、追い詰められると正常な判断ができなくなるのはいうまでもなく、悲しいかな、おれもそういう人間なのだ。
そうならないよう適度に抜ければいいのだけど、おれのように器用でない人間はその「抜き」が下手で極限まで頑張ろうとしてしまいがちだ。精神が安定していない状態で何をやっても結局はパフォーマンスも落ちて逆効果なのだが、どうしても義務感や責任感でやめるという選択に至らないのが現実で、本当に気をつけなければならない。命はひとつしかないんだし。
さて、ここまでは物事の辞め方の悪例を紹介してきたワケだけど、この先は個人的に辞め方の好例だと思う話をしていこうかなと思う。
高校二年の時だ。当時、おれが通ってた学校は男子校で、それはそれは下半身が唸りを上げている男子どもの巣窟だったワケだ。
その当時のおれはというと、今のような身も蓋もない下ネタしかいわない下等生物ではなく、下ネタとかいえないうぶで純粋な青年だったのだーーいや、マジで。
まぁ、純粋とはいいつつその実態は、イギリスのパンクとアメリカのヘヴィメタルに憧れるクソガキだったんだけど、本当にどうしようもなかったのが、教員の似顔絵を描いて、しかもそれを体育祭や文化祭のクラス旗にするという、どう考えても教員にケンカを売っているとしか思えないことを平気ですることだった。
これには当時の学級委員も「これはマズイ」とかなりやんわりとデザインを変えようと提案してくれたのだけど、当時のおれは兎に角イキッてて、センシティブなデザインほどいいみたいな幻想を抱いていたので、クラス旗を即完成させ、担任に提出したのだ。そしたらーー
ちょっとした祭りになってしまった。
そりゃ、職員室に教員の似顔絵ーーしかも悪意に満ちたーーをいくつか描いたクラス旗を持っていけば怒られるだろう、と思われるかもしれない。だがねーー
そのクラス旗が思いの外好評だったのだ。
まぁ、その時職員室にいた教員たちがおれのデザインした悪意に満ち満ちたクラス旗を見て感嘆の声を上げていたのだ。間違っても悪意に満ちたデザインとはいえなかったよね。とはいえ担任も嬉しそうだったし、それはそれで良かったのかもしれないーー似顔絵問題に関してはまた別の話があるのだが、それはまた今度。
で、うちのクラス旗を囲んだ教員たちの反応が面白くて、おれも嬉しい反面、可笑しくて仕方なかったのだけど、そんな中、ひとりの教員がこういったのだ。
「これってジンさんだよね」
その通りだった。ジンさんというのは、当時のおれたちの「数学B」の担当で、小太りに禿げ上がった頭が特徴的な50代半ばの先生だった。名前は「仁」と書いて「ひとし」と読むのだけど、同僚の間では親しみを込めて「ジンさん」と呼ばれていたのだ。
ひとついっておくと、ここに書いてある名前はあっちゃんを除けば全部仮名なので悪しからず。ちなみに、あっちゃんとは高校時代の三年間、ずっと同じクラスでした。
とまぁ、今回は自分も当時の先生のことについて書くんで「ひとし先生」って呼ばせてもらうかな。
まぁ、こうやって話すと何処にでもいそうな普通の先生なのだけど、ひとし先生は、ひとつ大きな問題を抱えていた。
それは年齢とともに視力が衰え、その時点で殆ど目が見えていないことだった。
ひとし先生は弱視ということもあって授業中、黒板に数式や文字を書くと絶妙にズレる。酷い時は、数式と数式が重なって読めなくなる、と仕方ないといえば仕方ないのだけど、生徒からすると困ったもので、ひとし先生のことをあまりよく思っていない生徒も多かった。
かくいうおれはというと、似顔絵にはするけど、嫌ってはいないーーむしろ、教え方や生徒に対する姿勢が非常に熱く、かつ丁寧で好感を持っていたくらいだった。でも、悪意まみれの似顔絵は描くんだがな。バチ当たりそう。
ただ、弱視の影響はおれらが考えている以上に酷かったらしく、限界を感じたひとし先生は、三学期の最初の授業にてーー
「今日はみなさんに伝えたいことがあります。ぼくは今年度でこの学校を辞めます。教員も辞めます。これは、みんなに迷惑を掛けたくないという想いもあってのことですが、何よりもキミたちのぼくの授業に取り組む姿勢を思ったら、ぼくもこのままではいけないと思いました。だから、ぼくは教員を辞めて、新しいことに挑戦してみようと考えています。誠に勝手ではありますが、残りの三ヶ月弱、どうかよろしくお願いします」
と宣言したのだ。これには困ってしまった。というのも、自分たちはただ単に授業を受けていただけなのだが、その陰でひとし先生は随分と思い悩んでいたようだったからだ。
人と人の間にはたくさんの考え方の齟齬がある。自分のようなバカガキはその日のオ◯ニーのオカズをどうしようか、とかそんなことぐらいしか考えていなかったにも関わらず、ひとし先生は、自分の仕事のことでかなり悩んでいたのだ。これは流石のおれといえこころが痛く、ひとし先生の悪意に満ちた似顔絵を描くことも申し訳なくて一切描かなくなっていた。
それからひと月半が経ち、学年末テストの前、ひとし先生にとっては人生最後となるかもしれない授業が近づいてきたのだけど、その数日前、唐突に担任から呼び出されたのだ。
まぁ、おれという人間は、クラス旗のデザインだったり、生活安全委員の仕事だったりで担任から呼び出されることは多々あったので、この時もそんな感じだろうと思って担任のもとへ向かったのだ。
で、職員室に着いて、早速担任に用件を訊くと、唐突に色紙を一枚渡されたのだ。いや、おれ有名人じゃないんだけど、とギャグを飛ばしてもよかったのだけど、何となくそんな雰囲気でもなく、おれは担任にひとこと「何ですか?」と訊ねたのだ。するとーー
「竜也、お前、この真ん中にひとし先生の似顔絵描いてくれないか?」
最初は何をいっているのかわからなかったが、まぁ、そういうことである。
おれがひとし先生に贈るお疲れ様の色紙に、ひとし先生の似顔絵を描くこととなったのだ。
これには戸惑うしかなかった。そもそも、おれが描く似顔絵というのが悪意に満ち満ちたものなワケで、推奨できるものではなかったからだ。とはいえ断るわけもいかず、描くことを承諾してしまったのだった。
で、数日後のひとし先生最後の授業。授業自体はいつも通り淡々と進み、終業のチャイムがなる五分前になってひとし先生が最後の挨拶をし、授業は幕を閉じたのだけど、授業終了間際、ひとし先生に学級委員から件の色紙を贈呈したのだ。
ひとし先生は涙ぐみながら何度も何度も感謝の気持ちをことばにしていた。おれは自分の似顔絵なんか見えなくてもいいので、兎に角お疲れ様でしたと心中で唱えていた。こうして、ひとし先生最後の授業は幕を閉じたのだった。
さて、その後のテストだが、成績はそれなりだったのでよかったのだけど、テスト終了後にまた担任に呼び出されたのだ。
まぁ、その時は生活安全委員のことで呼ばれたのだけど、用件を伝えられた後、担任からこういわれたのだーー
「ひとし先生の色紙の絵あったろ? あれ、ひとし先生の娘さんが先生に似顔絵のこと伝えたんだってよ。そしたら、先生泣いてたってさ。ーーありがとよ」
どうやら育ちが悪く品のないクソガキでも役に立つことはあるらしい。
おれもこういう終わりを迎えたいものだ。
これに関しては多様な意見があると思うんで軽々しくコメントはできないし、自分にとってのゴミ捨て場で政治的な話はしたくないし、深くコメントするつもりもない。
ただ、一度難病指定されている病気を理由に総理を辞任しているので、ここ数日の病院通いの報道からの今回の辞任は、仕方ないのではとも思うーーまぁ、タイミングは悪いが。
とはいえ、辞めるという決断も時には大切だと、おれは思う。自分もそうなのだけど、どうも人は「辞める」というワードにマイナスのイメージを抱きがちだ。
確かに、総理ともなると責任ある立場なのだから軽々しく辞めるとはいえないかもしれないけど、そうでないなら、別に辞めることにマイナスのイメージを持つ必要なんかないんじゃないかと思うのだ。所詮、辞めるというのもひとつの選択肢でしかないんだし。
まぁ、こんなことをいうと、「でも、社会人はやりたくなくてもやらなきゃいけないことばかりなんだよ」と説教を垂れてくるおバカさんもいるわけで。そりゃ、大した働きもしないで辞めるようなヤツはろくでもないけど、「やらなくちゃ」、「頑張らなくちゃ」と義務感や責任感で自分を圧し殺して働いた人が精神を病んで働けなくなったら本末転倒もいいところで。そうやって説教垂れるおバカさんは、そうなる可能性がある人にも同じことをいえるんかねーーま、いえるだろうな。そうしないと自分のアイデンティティを保てないんだし。
と、少々辛辣なコメントを吐いてしまったけど、ここからは平常運転。てか、今日のテーマが「辞めること」なんでね。
ただ、やはり物事にも「辞め方」というのがあって、傍若無人な振る舞いをして、勝手にキレて辞めていくというのは、実に美しくない。別に辞め方に美しさを求める必要なんかないんだけど、できれば何かを辞める時は後腐れなく綺麗に辞めたい。出来れば、ね。
かくいうおれは、何とも物事の辞め方が下手で、過去、何度かブチ切れて色々な組織から去ったことがある。
一度目は大学のサークル。辞めた理由は、「もう着いていけん」。どういうこと、と思われるだろうが、シンプルに人間関係にウンザリして辞めたのだ。とはいえ、まだやりたいことも残ってはいたんで、その後色々あって戻ったのだけどーーまぁ、ダサい。何事もなく歓迎してくれた先輩、後輩、同期には感謝だな。
二度目は劇団。理由はやはり「もう着いていけん」。これに関しては本当に我慢がならず、いってしまえば、何もしないのに偉そうにしている年寄りにいいように使われてしまい、精神的にダウンしてしまったのだ。まぁ、最後にケンカを売って辞め、後に団内の友人に客演を頼まれて承諾し、再びその劇団にて舞台を踏んだのだけど、その間に老害どもを一斉に淘汰できたんで、これに関しては後悔はしてない。
とまぁ、とかくおれという人間は、辞めては戻りを繰り返してばかりいる。何とも恥ずかしい話なんだけど、人間、追い詰められると正常な判断ができなくなるのはいうまでもなく、悲しいかな、おれもそういう人間なのだ。
そうならないよう適度に抜ければいいのだけど、おれのように器用でない人間はその「抜き」が下手で極限まで頑張ろうとしてしまいがちだ。精神が安定していない状態で何をやっても結局はパフォーマンスも落ちて逆効果なのだが、どうしても義務感や責任感でやめるという選択に至らないのが現実で、本当に気をつけなければならない。命はひとつしかないんだし。
さて、ここまでは物事の辞め方の悪例を紹介してきたワケだけど、この先は個人的に辞め方の好例だと思う話をしていこうかなと思う。
高校二年の時だ。当時、おれが通ってた学校は男子校で、それはそれは下半身が唸りを上げている男子どもの巣窟だったワケだ。
その当時のおれはというと、今のような身も蓋もない下ネタしかいわない下等生物ではなく、下ネタとかいえないうぶで純粋な青年だったのだーーいや、マジで。
まぁ、純粋とはいいつつその実態は、イギリスのパンクとアメリカのヘヴィメタルに憧れるクソガキだったんだけど、本当にどうしようもなかったのが、教員の似顔絵を描いて、しかもそれを体育祭や文化祭のクラス旗にするという、どう考えても教員にケンカを売っているとしか思えないことを平気ですることだった。
これには当時の学級委員も「これはマズイ」とかなりやんわりとデザインを変えようと提案してくれたのだけど、当時のおれは兎に角イキッてて、センシティブなデザインほどいいみたいな幻想を抱いていたので、クラス旗を即完成させ、担任に提出したのだ。そしたらーー
ちょっとした祭りになってしまった。
そりゃ、職員室に教員の似顔絵ーーしかも悪意に満ちたーーをいくつか描いたクラス旗を持っていけば怒られるだろう、と思われるかもしれない。だがねーー
そのクラス旗が思いの外好評だったのだ。
まぁ、その時職員室にいた教員たちがおれのデザインした悪意に満ち満ちたクラス旗を見て感嘆の声を上げていたのだ。間違っても悪意に満ちたデザインとはいえなかったよね。とはいえ担任も嬉しそうだったし、それはそれで良かったのかもしれないーー似顔絵問題に関してはまた別の話があるのだが、それはまた今度。
で、うちのクラス旗を囲んだ教員たちの反応が面白くて、おれも嬉しい反面、可笑しくて仕方なかったのだけど、そんな中、ひとりの教員がこういったのだ。
「これってジンさんだよね」
その通りだった。ジンさんというのは、当時のおれたちの「数学B」の担当で、小太りに禿げ上がった頭が特徴的な50代半ばの先生だった。名前は「仁」と書いて「ひとし」と読むのだけど、同僚の間では親しみを込めて「ジンさん」と呼ばれていたのだ。
ひとついっておくと、ここに書いてある名前はあっちゃんを除けば全部仮名なので悪しからず。ちなみに、あっちゃんとは高校時代の三年間、ずっと同じクラスでした。
とまぁ、今回は自分も当時の先生のことについて書くんで「ひとし先生」って呼ばせてもらうかな。
まぁ、こうやって話すと何処にでもいそうな普通の先生なのだけど、ひとし先生は、ひとつ大きな問題を抱えていた。
それは年齢とともに視力が衰え、その時点で殆ど目が見えていないことだった。
ひとし先生は弱視ということもあって授業中、黒板に数式や文字を書くと絶妙にズレる。酷い時は、数式と数式が重なって読めなくなる、と仕方ないといえば仕方ないのだけど、生徒からすると困ったもので、ひとし先生のことをあまりよく思っていない生徒も多かった。
かくいうおれはというと、似顔絵にはするけど、嫌ってはいないーーむしろ、教え方や生徒に対する姿勢が非常に熱く、かつ丁寧で好感を持っていたくらいだった。でも、悪意まみれの似顔絵は描くんだがな。バチ当たりそう。
ただ、弱視の影響はおれらが考えている以上に酷かったらしく、限界を感じたひとし先生は、三学期の最初の授業にてーー
「今日はみなさんに伝えたいことがあります。ぼくは今年度でこの学校を辞めます。教員も辞めます。これは、みんなに迷惑を掛けたくないという想いもあってのことですが、何よりもキミたちのぼくの授業に取り組む姿勢を思ったら、ぼくもこのままではいけないと思いました。だから、ぼくは教員を辞めて、新しいことに挑戦してみようと考えています。誠に勝手ではありますが、残りの三ヶ月弱、どうかよろしくお願いします」
と宣言したのだ。これには困ってしまった。というのも、自分たちはただ単に授業を受けていただけなのだが、その陰でひとし先生は随分と思い悩んでいたようだったからだ。
人と人の間にはたくさんの考え方の齟齬がある。自分のようなバカガキはその日のオ◯ニーのオカズをどうしようか、とかそんなことぐらいしか考えていなかったにも関わらず、ひとし先生は、自分の仕事のことでかなり悩んでいたのだ。これは流石のおれといえこころが痛く、ひとし先生の悪意に満ちた似顔絵を描くことも申し訳なくて一切描かなくなっていた。
それからひと月半が経ち、学年末テストの前、ひとし先生にとっては人生最後となるかもしれない授業が近づいてきたのだけど、その数日前、唐突に担任から呼び出されたのだ。
まぁ、おれという人間は、クラス旗のデザインだったり、生活安全委員の仕事だったりで担任から呼び出されることは多々あったので、この時もそんな感じだろうと思って担任のもとへ向かったのだ。
で、職員室に着いて、早速担任に用件を訊くと、唐突に色紙を一枚渡されたのだ。いや、おれ有名人じゃないんだけど、とギャグを飛ばしてもよかったのだけど、何となくそんな雰囲気でもなく、おれは担任にひとこと「何ですか?」と訊ねたのだ。するとーー
「竜也、お前、この真ん中にひとし先生の似顔絵描いてくれないか?」
最初は何をいっているのかわからなかったが、まぁ、そういうことである。
おれがひとし先生に贈るお疲れ様の色紙に、ひとし先生の似顔絵を描くこととなったのだ。
これには戸惑うしかなかった。そもそも、おれが描く似顔絵というのが悪意に満ち満ちたものなワケで、推奨できるものではなかったからだ。とはいえ断るわけもいかず、描くことを承諾してしまったのだった。
で、数日後のひとし先生最後の授業。授業自体はいつも通り淡々と進み、終業のチャイムがなる五分前になってひとし先生が最後の挨拶をし、授業は幕を閉じたのだけど、授業終了間際、ひとし先生に学級委員から件の色紙を贈呈したのだ。
ひとし先生は涙ぐみながら何度も何度も感謝の気持ちをことばにしていた。おれは自分の似顔絵なんか見えなくてもいいので、兎に角お疲れ様でしたと心中で唱えていた。こうして、ひとし先生最後の授業は幕を閉じたのだった。
さて、その後のテストだが、成績はそれなりだったのでよかったのだけど、テスト終了後にまた担任に呼び出されたのだ。
まぁ、その時は生活安全委員のことで呼ばれたのだけど、用件を伝えられた後、担任からこういわれたのだーー
「ひとし先生の色紙の絵あったろ? あれ、ひとし先生の娘さんが先生に似顔絵のこと伝えたんだってよ。そしたら、先生泣いてたってさ。ーーありがとよ」
どうやら育ちが悪く品のないクソガキでも役に立つことはあるらしい。
おれもこういう終わりを迎えたいものだ。