【一時は万事のアクシデント】

文字数 3,858文字

 何かを続けることが苦手だ。

 といいつつ、成人してから始めたいくつかの習い事は既に何年も続いており、決して何かを継続できないワケではないのである。

 ただ、それはいってしまえば、「長期的なスパンとして見た場合での継続」でしかなく、おれが何よりも苦手としているのは、「短期的なスパンとして見た場合の継続」だったりする。

 こういうと何をいっているのかわからないと思われかねないので説明すると、「長期的なスパンにおける継続」というのは、例えるなら、

「おれ、牛乳瓶に蓋をする仕事を始めてもう五年になるんだ」

 といったことだ。そんな仕事が果たして存在するのかは別として、この仕事を始めて五年というのは、あくまで仕事に就いてから現在までという期間を指している。

 ただ、超絶真っ黒な会社でもない限りーーしかも、「働き方改革」なんてモノが施行されている現在においては、仕事のないオフの日というのが、確実に存在する。そして、そのオフの日は、仕事をしていない日としてマイナスされることはない。

つまり、「長期的なスパンとして見た場合の継続」は、そのマイナス部分を換算せずとも継続と見なされるワケだ。

 これだけだと、どうもわかりにくいと思うので、さっさと「短期的なスパンとして見た場合の継続」について説明したほうがよいだろう。

 さて、「短期的な~継続」ではあるが、これはどういうことか。早い話が次のようなセリフのことである。

「おれ、三年間毎日一枚ずつ牛乳瓶の蓋を集めてんだぜ」

 今時、そんなことしてるヤツいんのかって話だが、ここで重要なのは、三年間「毎日」ということである。即ち、この継続は一日でもサボったら「継続」ではなくなるということだ。

 ふたつのセリフを比較すれば、よりわかりやすいだろう。

「牛乳瓶に蓋する仕事を始めて五年」

「三年間毎日牛乳瓶の蓋を集めている」

 前者は毎日ではないが、仕事は続いているという意味で「継続」している。対する後者は、「一日でも欠かしたら」継続ではなくなってしまう。

 これはあくまで表現や考え方の違いでしかなく、ひとつのファクターにフォーカスしているか否かの違いなのだろうが、どちらがよりストイックかとなると、後者がそうなのではないだろうか。

 というのも、後者は「毎日欠かさず」その習慣を行っているという事実がある。この「毎日欠かさず」というのが重要なのだ。

 かくいうおれは、この「毎日欠かさず」というのが、非常に苦手だ。あるいは、「毎回欠かさず」というのも苦手で。多分、何かを欠かさずにやるという緊張感に自分が耐えられないのだろう。まぁ、緊張感を抱いている時点でアウトなんだろうけど。

いってしまえば、筋トレだって長期的なスパンで見れば、もう一五年以上続けていることになるが、短期的なスパンでいえば、最近サボりがちだったこともあって、僅か三日しか続いていないことになる。

 そう、おれは昔から、この「短期的なスパンとして見た場合の継続」が苦手なのだ。

 そうでなくとも飽き性で、怠惰な性格もあって、一日ぐらいーーあるいは、一回ぐらい休んでもいいかと考えがちなのだ。

いってしまえば、胆力がないのだけど、では、どうして今こんな話をしているかといえば、おれとしては珍しく、この一ヶ月間、毎日このゴミのような文章を更新しているからだ。

 毎日書くことを義務化していないどころか、目標としてもいなかった自分としては、これは非常に珍しいことだと思う。

それくらいおれは怠惰で、何かを継続して行うことができない人間なのだ。

 筋トレはもちろんだし、勉強なんかも毎日するなんてことはできやしなかった。ひとつの授業を毎回受けることすらできない。そんな五条氏が特に苦労したのは受験生の時だ。

 受験生ともなると、如何にして勉強するかが大事になってくる。まぁ、中三、高三時代の頭の固すぎる五条氏は、とにかくがむしゃらにやっておけば結果は出るんだ、みたいに考えていたが、所詮は勉強も如何に効率的にやれるか、どう勉強していくかが大事なのだ。まぁ、勉強に関してはまた別の機会に書くか。

 更にいえば、勉強だけでなく、一日も遅刻せずに登校できるかというのも、学校通いには大事なファクターになると思う。

 遅刻なんてしないのが当たり前、とはいわれるかもしれない。かくいうおれも、基本的には遅刻しないが、ある時唐突にとんでもない遅刻の仕方をすることがある。

 これは多分、「遅刻せずに学校へいく」という緊張感というか、ごく当たり前の感覚を毎日キープできないからなのだろう。そして、それは「休まず学校へいく」という感覚も同じで。

 だが、時には事故的に学校を休まざるを得なくなってしまうこともある。

 大学一年のことだ。その当時は、地元を離れて新天地で頑張るぞ、と考えていたこともあって、おれも真面目に大学へと通っていたのだ。

 いや、真面目に通うなんて当たり前だろと思われるだろうけど、独り暮らしで、カッチリとカリキュラムが決まりきっているワケではない大学の講義となると、これがかなりだらけるのだ。サボり、代返なんてことは当たり前に行われているし、挙げ句の果てには、単位を捨てて休み続けるなんてことも普通にある。

 だが、大学一年、それこそ夏までのおれは本当に真面目で、そういうことをするヤツはダメ人間だと本気で思っていたのだ。

それまでの五条氏は大学の講義を休んだことなど、高校時代の友人の葬儀で地元へ帰った時ぐらいしかなかった。授業も真面目に受けていたし、その日の夜にはちゃんと復習予習をするくらいにはちゃんとしていた。

 また、学校から家までの距離もそれなりに近く、授業のない空き時間は家に帰って自炊したり、洗濯等の家事をしたりしていた。

 学校での勉強と自宅での生活、そのふたつにメリハリをつけることで、その当時はかなり充実した生活を送れていたと思う。

が、ある時、事件は起こった。

 あれは六月の終わり頃だったと思う。その日も授業と授業の間に空きがあって、時間に余裕があったおれは、家に帰り家事をしていたのだけど、そんな中唐突に眠気に襲われたのだ。

 まぁ、時間に余裕もあるし、たまには昼寝もいいだろうと思い携帯のタイマーをセットし、おれは眠りについたのだ。

 数時間後、タイマーの音で目覚めた。時間は予定通り。ギリギリまで寝ていたこともあって、少しシビアな時間配分ではあったが、大学へいく準備は整っているし、それでも全然大丈夫だと思っていた。

 そうしてロフトのベッドから起き上がり、梯子を降りようとしたのだがーー

 落ちた。

 梯子から足を滑らし、思い切り落ちた。

 正直、こんなことになると、ワケもわからず、パニック状態だったのだけど、もうね、現状も把握できないし、何が起きたのか理解も追いつかなかった。しかもーー、

 落ちたとき、テレビ台に鎖骨をぶつけてしまい凄く痛い。

 真っ直ぐ落ちたらそのまま地面に叩きつけられて終わりだったモノが、身体を若干ツイストしてしまい、変な方向に落ちた。まぁ、顔を打たなかったのが唯一の救い。

 痛え、とひとりで呟き、痛みに耐えていたのだけど、時間は無情にも過ぎていく。タイムリミットは確実に迫っている。おれは急いで大学へいかなければと、立ち上がーー、

 立てなかった。

 これは痛みのせいで立てないとか、立ちたくないから立てなかったとかではなく、本当に立てなかったのだ。というのもーー

 右脚の感覚がなくなっていたのだ。

 どういうことだよ。思わず自問してしまったけど、どういうワケか右脚に感覚がなく、立ち上がろうにも身体を支えられない。

そう、梯子から落ちたのも、右脚の感覚がなくて身体を支えられないからだったのだ。

 これはもはや大学どころではなく、今後歩けるのか、と心配になったのですが、とりあえず様子を見てみようと、少しそのまま地面に大の字になっていたのだ。

 幸い、脚の感覚は一時間弱で戻り、大事には至らなかったからよかったのだけど、まぁ、講義はサボっちゃったよね。まぁ、講義なんかより、自分の脚のほうが大事なんだけどさ。

 とまぁ、これといった後遺症も残らず、本当によかったのだけど、どういうワケかーー

 それから四年連続、年に一度は寝て起きると脚の感覚がなくなることがあった。

 原因はわからん。ただ、二度目は授業のない時だったので、これといった影響はなし。三度目にもなると、起きた時点で「立てない」とわかり、四度目ともなると片足を上手く使って移動ができるようになってしまった。

 最近では脚の感覚がなくなるなんてことはないのだけど、これには自分も気をつけないといけないよな、と改めて思う。脚の感覚がないって、確か脳をヤってるってことだもんな。

 まぁ、こんな感じに五条氏はひとつの講義すら全出席できないようなダメ人間なのだけど、ひとついえるのは、不可抗力な事態が起きたら、継続していることも継続できなくなるもんだと思うんよな。

この更新記録もいつかは止まるだろうけど、まぁ、とりあえず、明日からも適当に更新していくかな。

 アスタラヴィスタ。



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登場人物紹介

どうも!    五条です!


といっても、作中の登場人物とかではなくて、作者なんですが。


ここでは適当に思ったことや経験したことをダラダラと書いていこうかな、と。


ま、そんな感じですわ。

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