【明日、白夜になる前に~拾四~】
文字数 2,100文字
赤池さんーーたまきと付き合い始めてひと月が経った。
といっても、埼玉だろうが東京都だろうが、緊急事態宣言下では遊びに出歩くことも出来ず、実家近くでお茶したり、軽く遊んだり、話をしたりとその程度のことしかできなかった。
確かにもっと色んなところに遊びにも行きたかったが、それほど不満がなかったのも事実だった。たまきも話が出来るだけでも充分とのこと。正直、内心ではもっと一緒に何処かへ行きたいのではないかと心配ではあったし、そういった話もしたけれど、このご時世じゃ仕方ないとたまきも納得しているようだった。
この騒動がある程度落ち着きを見せたら、絶対に何処かへ連れていこうーーいや、一緒に何処か楽しい場所へ行こうと思った。
そもそも、ぼくも独り暮らしの部屋を引き払って実家に戻り、彼女も実家暮らしではあるので会おうと思えば、いつでも会える。それは何よりの強みだった。
それに、彼女と付き合い出してからというモノ、退屈で灰色だった日常が色彩を帯びて楽しく思えるようになった気がする。
仕事もどこかゲーム感覚でやれているような気がするし、テキパキと効率良くこなせるようになった気がするのだ。これもきっとたまきというパートナーが出来たからだと思う。
小林さんは相変わらずだったが、最近は余りぼくを飲みに誘わなくなった。昼休みは相変わらず食事に誘ってくれはしたが、女性関係のことは一切質問してこない。小林さんのことだ。余り人のプライベートをほじくるようなことはしたくないのだろう。
ぼくとしてはちょっとはノロケたい気分ではあったが、小林さんのそんな何気ない気遣いがありがたかった。
彼女からのメッセージは朝の出勤前と昼食時、本来の定時ーー残業がないことはほぼないけれどーーを超えた辺りから寝る前までとコンスタントに続けていた。
そして、比較的早い時間に地元に戻れた時は、互いに駅近くの公園で待ち合わせをして缶ビールを呷りながら、その日あったことなどを話すようになった。
そんな日常が楽しくて仕方がなかった。
ぼくが仕事のことを話すと彼女はにっこりとした笑顔で相槌を打ちながら話を聴いてくれる。逆にぼくが彼女に仕事の話を訊くと、
「うん、まぁ、普通かな。それより、せっかくふたりで会ってるんだしさ、仕事の話は止めて、ちょっと甘えさせてよぉ」
とたまきはぼくにすり寄って来る。ぼくはそんな彼女が可愛くて仕方がない。それに、楽しい時間に仕事の話なんかするものでもないなとぼくもその通りだと思う。
ある日のことである。
ぼくは仕事の昼休みに小林さんと昼食を取りに街へ繰り出したのだ。ぼくは小林さんと現在取り組んでいるプロジェクトの話をしながら街を歩く。そこで唐突に背の高い私服の女性と擦れ違い、ぼくはーー
思わず振り向いてしまった。
見間違えだろうか。いや、でもーー。ぼくの中で不意に疑問が過る。
「どうしたの?」小林さんがいう。
「あぁ、いえ、……何でも、ないです」
そうはいったモノの、ぼくは去りゆく背の高い彼女の背中を見送る。
髪が長くて背の高い彼女ーー里村鈴美のことがふと頭を過る。あれは里村さんだったのだろうか。確かに背格好は似ていたし、看護師のシフトは不定期。この時間に私服で歩いていたところで可笑しなことはない。だがーー
いやいや、今さら里村さんのことを考えてどうするというんだ、ぼくは。里村さんとはもう終わったのだ。それに今はたまきという可愛い彼女がいるではないか。それなのにーー
「あなたにも白夜のような夜が来るといいね」
ふと、彼女のいっていたことばが蘇る。今のぼくに、明るい白夜のような夜は来ているだろうか。いや、きっと来ている。以前なら真っ暗で仕方なかった夜も、今はたまきがいるお陰でとても明るく感じる。明るくーー
しかし、何だろう、この違和感は。
何か自分の中に靄が掛かったような違和感があるような気がする。しかし、そんな気になるようなことなど、今のぼくにはないはず。ないはずなのだ。では、この感覚は一体何だろう。
ぼくはまだ里村さんのことが好きなのか。諦め切れていないのだろうか。いや、そんなはずはない。ぼくの中に巣くう違和感。これはもっと別の形をした何か。
だが、その違和感を具体的な単語を使って形容することが出来ない。何故だ。何故なんだ。
「どうかしたの?」小林さんが訊ねる。
「いえ」そして、ぼくは思わず、「今、誰か知ってる人いました?」
「知ってる人?」小林さんは少しの間考えてから首を振り、「んー、いやぁ?」
「そうですか、そうですよね……」
「どうしたの? 何か変だよ?」
いつもなら曖昧に笑いつつ内心で「アナタほどではないですよ」と呟くところだろうが、今日のぼくにはそんな余裕はない。
ただ、ぼくの中のボンヤリした違和感が煙を巻いて更にその大きさを増して行く。
何なんだろうか、この変な感じはーー。
ぼくはコンクリートジャングルを闊歩する色彩を持つ人混みの中で、たったひとり灰色の存在となって立ち尽くすしかーー
ぼくは何かに気づいている。
だが、それは何なんだ。
わからないーー
【続く】
といっても、埼玉だろうが東京都だろうが、緊急事態宣言下では遊びに出歩くことも出来ず、実家近くでお茶したり、軽く遊んだり、話をしたりとその程度のことしかできなかった。
確かにもっと色んなところに遊びにも行きたかったが、それほど不満がなかったのも事実だった。たまきも話が出来るだけでも充分とのこと。正直、内心ではもっと一緒に何処かへ行きたいのではないかと心配ではあったし、そういった話もしたけれど、このご時世じゃ仕方ないとたまきも納得しているようだった。
この騒動がある程度落ち着きを見せたら、絶対に何処かへ連れていこうーーいや、一緒に何処か楽しい場所へ行こうと思った。
そもそも、ぼくも独り暮らしの部屋を引き払って実家に戻り、彼女も実家暮らしではあるので会おうと思えば、いつでも会える。それは何よりの強みだった。
それに、彼女と付き合い出してからというモノ、退屈で灰色だった日常が色彩を帯びて楽しく思えるようになった気がする。
仕事もどこかゲーム感覚でやれているような気がするし、テキパキと効率良くこなせるようになった気がするのだ。これもきっとたまきというパートナーが出来たからだと思う。
小林さんは相変わらずだったが、最近は余りぼくを飲みに誘わなくなった。昼休みは相変わらず食事に誘ってくれはしたが、女性関係のことは一切質問してこない。小林さんのことだ。余り人のプライベートをほじくるようなことはしたくないのだろう。
ぼくとしてはちょっとはノロケたい気分ではあったが、小林さんのそんな何気ない気遣いがありがたかった。
彼女からのメッセージは朝の出勤前と昼食時、本来の定時ーー残業がないことはほぼないけれどーーを超えた辺りから寝る前までとコンスタントに続けていた。
そして、比較的早い時間に地元に戻れた時は、互いに駅近くの公園で待ち合わせをして缶ビールを呷りながら、その日あったことなどを話すようになった。
そんな日常が楽しくて仕方がなかった。
ぼくが仕事のことを話すと彼女はにっこりとした笑顔で相槌を打ちながら話を聴いてくれる。逆にぼくが彼女に仕事の話を訊くと、
「うん、まぁ、普通かな。それより、せっかくふたりで会ってるんだしさ、仕事の話は止めて、ちょっと甘えさせてよぉ」
とたまきはぼくにすり寄って来る。ぼくはそんな彼女が可愛くて仕方がない。それに、楽しい時間に仕事の話なんかするものでもないなとぼくもその通りだと思う。
ある日のことである。
ぼくは仕事の昼休みに小林さんと昼食を取りに街へ繰り出したのだ。ぼくは小林さんと現在取り組んでいるプロジェクトの話をしながら街を歩く。そこで唐突に背の高い私服の女性と擦れ違い、ぼくはーー
思わず振り向いてしまった。
見間違えだろうか。いや、でもーー。ぼくの中で不意に疑問が過る。
「どうしたの?」小林さんがいう。
「あぁ、いえ、……何でも、ないです」
そうはいったモノの、ぼくは去りゆく背の高い彼女の背中を見送る。
髪が長くて背の高い彼女ーー里村鈴美のことがふと頭を過る。あれは里村さんだったのだろうか。確かに背格好は似ていたし、看護師のシフトは不定期。この時間に私服で歩いていたところで可笑しなことはない。だがーー
いやいや、今さら里村さんのことを考えてどうするというんだ、ぼくは。里村さんとはもう終わったのだ。それに今はたまきという可愛い彼女がいるではないか。それなのにーー
「あなたにも白夜のような夜が来るといいね」
ふと、彼女のいっていたことばが蘇る。今のぼくに、明るい白夜のような夜は来ているだろうか。いや、きっと来ている。以前なら真っ暗で仕方なかった夜も、今はたまきがいるお陰でとても明るく感じる。明るくーー
しかし、何だろう、この違和感は。
何か自分の中に靄が掛かったような違和感があるような気がする。しかし、そんな気になるようなことなど、今のぼくにはないはず。ないはずなのだ。では、この感覚は一体何だろう。
ぼくはまだ里村さんのことが好きなのか。諦め切れていないのだろうか。いや、そんなはずはない。ぼくの中に巣くう違和感。これはもっと別の形をした何か。
だが、その違和感を具体的な単語を使って形容することが出来ない。何故だ。何故なんだ。
「どうかしたの?」小林さんが訊ねる。
「いえ」そして、ぼくは思わず、「今、誰か知ってる人いました?」
「知ってる人?」小林さんは少しの間考えてから首を振り、「んー、いやぁ?」
「そうですか、そうですよね……」
「どうしたの? 何か変だよ?」
いつもなら曖昧に笑いつつ内心で「アナタほどではないですよ」と呟くところだろうが、今日のぼくにはそんな余裕はない。
ただ、ぼくの中のボンヤリした違和感が煙を巻いて更にその大きさを増して行く。
何なんだろうか、この変な感じはーー。
ぼくはコンクリートジャングルを闊歩する色彩を持つ人混みの中で、たったひとり灰色の存在となって立ち尽くすしかーー
ぼくは何かに気づいている。
だが、それは何なんだ。
わからないーー
【続く】