【明日、白夜になる前に~睦拾玖~】
文字数 2,341文字
鉛をぶっ叩く音は鈍く重い。
里村さんがたった今発した声はまるでそんな感じだった。はじめは耳を疑ったけれど、今ここにいるのはぼくと彼女のふたりだけ。辺りを見渡して見ても、やはり他に人影はないし、誰かが出て来るような気配もない。
「どう、したの……?」
そう訊ねる以外なかった。というか、ぼくにはこう訊ねることが精一杯だった。凍りつく彼女の表情は鬼の形相とはまた違う不気味で恐怖を感じさせるモノだった。
「どうした、ね……」里村さんは顔を伏せつついう。「どうもしないよ」
そんなワケがなかった。彼女のナチュラルな声、それよりも低い調子の声音は別人のモノとしか思えなかったし、それに口調も彼女のモノとは大きく異なっていた。
いや、これが本性、なのか?
いつもの彼女はあくまで建前の存在で、ある時はぶりっ子のようにメッセージを送り、そして本性は冷酷な感情を宿した女性、なのか。
いや、そんなことあるだろうか。
だとしたら、どうしてこのタイミングでぼくにそれを見せたのだろうか。わからない。ぼくはまたホームズのことばを思い出していた。
『ある物事から、有り得ないことをひとつずつ取り除いていって、一番最後に残ったモノは、仮にそれがどんなに信じられない話であっても、それこそが真実である』
ぼくは火照った脳ミソで、ひとつずつ絡み付いた糸をほどくようにして、このワケのわからない話を整理してみようと試みる。
「どうしたの、ボーッとして」彼女は吹雪のような凍える声でいう。「またお得意のひとり反省会?」
ぼくは彼女のことばを否定する。
「いや、何ていうか……」
ことばを繋ぎつつぼくは考える。一体どういうことだ。何が起きている。まずは落ち着け、それから話を整理しよう。
「今、落ち着こうとしてるだろ?」
彼女のことばにぼくはハッとする。と、彼女は不敵に笑って見せていう。
「やっぱり。お前の思考のパターンなんて、手に取るようにわかるよ」
ぼくはある考えを抱いた。やはり馬鹿げた話ではあった。現実味はまったくない。だけど、そうとしか思えない。
現実逃避?ーーそうかもしれない。
だが、ひとついえるのは、まず間違いなく、これまで彼女がぼくに掛けていた優しさは表面的なモノではなかった、ということだ。母が交通事故で亡くなった時の彼女のぼくへの応対は、作為的、表面的には出来るモノではない。まず、その人に対する情のようなモノを持っていなければ出来ないだろう。
「誰かに監禁されてるって、ウソでしょ」
ぼくはふとそう口走っていた。正直自分でも何をいっているのか、と思った。だが、考えてみれば、これはぼくの本音でもあったのだろう。だからこそ、そう口走ったのだと思う。
「ウソ? 何で? わたしのことを信用してないってこと?」里村さんは問い詰めるように厳しい口調でいう。
ぼくはゴクリと息を飲み、そしてもはや自分のことばに考えを委ねることにし、口を開く。
「……何ていうか、可笑しいよね」
「可笑しい? 何が」
彼女のことばはより厳しさを増してぼくのほうへと飛ぶ。ぼくはそれに負けじと何とか気を強く持ってことばを重ねる。
「その誘拐と監禁のことだよ」
ぼくのことばを、彼女はより厳しく問い質して来る。ぼくは負けじと何とか毅然な態度を保ってことばを続けていく。
「簡単なことだよ。家族全員を監禁してるっていうのは、いくら何でも現実味がなさすぎるってことだよ」
「現実味がない、か。でも、そういう事件は実際に昔あったと思うけど」
彼女の余裕に満ちたような物言いを聞いて、ぼくは眉間をピクリと動かす。
「確かにそういう事件もあったよ。でも、それはそれ。犯人にちょっとした技能があったからこそ出来た事件だと思う。でも、そんな能力を持ち合わせている人なんて、そういるもんじゃない。それに、だとしたら変だと思わない?」
「変? 何が」
「普通誰かを監禁しているなら、外部に情報が漏れるのは絶対に避けたいはずだ。なのに、キミは普通に外出し、ぼくの前に現れる。それって何だか可笑しくない?」
「でも、電話で音は筒抜けだったけど?」
「そこも変だよ。よっぽど自信があるにしても計画がズサンすぎる」
「不審なことをいえば、家族を殺すとでもいえば、それはそれでいいんじゃないの?」
「そこも変だよ。大体、結構なスパンで人を監禁するなら、少人数じゃないと成り立たない」
「どうして?」
「たくさんの監禁者を出すってことは、それだけ管理しなきゃいけない人間が増えるってことだよ。つまり、それだけ人の世話をしなきゃいけないってこと。家族全員を監禁していたなら、それだけの管理をするためにそれだけの水と食料が必要になる」
「与えてない、としたら?」
「じゃあ、何でキミはここにいるの?」
「わたしだけ食料を与えられていたとしたら」
「そんなにやつれてるのに? それと何でキミだけが? その理由は?」
「わたしを痛め付けるため。家族を飢えさせて、その反応を見させてわたしを苦しませるため。そうは思わない?」
「思わないね。変だよ、それ。それに家族全員にはそれぞれの所属するコミュニティがある。そのコミュニティの人たちだって、急に連絡が取れなくなれば、それはそれで怪しむよ。それに、仮に死亡者を出してしまったとしたら、どうするの? 死体がひとつ出るだけで、それを処理するのにかなりの骨が折れる。だとしたら、そんなリスキーなことになりうる監禁なんてする必要ないと思うけど」
「……さっきから、突っ掛かるな。いい加減、いいたいことをいったら?」
彼女のことばに微かな怒気が混じる。ぼくはそれに怯むことなく、呼吸を整えてからいう。
「キミ、里村さんじゃないね」
【続く】
里村さんがたった今発した声はまるでそんな感じだった。はじめは耳を疑ったけれど、今ここにいるのはぼくと彼女のふたりだけ。辺りを見渡して見ても、やはり他に人影はないし、誰かが出て来るような気配もない。
「どう、したの……?」
そう訊ねる以外なかった。というか、ぼくにはこう訊ねることが精一杯だった。凍りつく彼女の表情は鬼の形相とはまた違う不気味で恐怖を感じさせるモノだった。
「どうした、ね……」里村さんは顔を伏せつついう。「どうもしないよ」
そんなワケがなかった。彼女のナチュラルな声、それよりも低い調子の声音は別人のモノとしか思えなかったし、それに口調も彼女のモノとは大きく異なっていた。
いや、これが本性、なのか?
いつもの彼女はあくまで建前の存在で、ある時はぶりっ子のようにメッセージを送り、そして本性は冷酷な感情を宿した女性、なのか。
いや、そんなことあるだろうか。
だとしたら、どうしてこのタイミングでぼくにそれを見せたのだろうか。わからない。ぼくはまたホームズのことばを思い出していた。
『ある物事から、有り得ないことをひとつずつ取り除いていって、一番最後に残ったモノは、仮にそれがどんなに信じられない話であっても、それこそが真実である』
ぼくは火照った脳ミソで、ひとつずつ絡み付いた糸をほどくようにして、このワケのわからない話を整理してみようと試みる。
「どうしたの、ボーッとして」彼女は吹雪のような凍える声でいう。「またお得意のひとり反省会?」
ぼくは彼女のことばを否定する。
「いや、何ていうか……」
ことばを繋ぎつつぼくは考える。一体どういうことだ。何が起きている。まずは落ち着け、それから話を整理しよう。
「今、落ち着こうとしてるだろ?」
彼女のことばにぼくはハッとする。と、彼女は不敵に笑って見せていう。
「やっぱり。お前の思考のパターンなんて、手に取るようにわかるよ」
ぼくはある考えを抱いた。やはり馬鹿げた話ではあった。現実味はまったくない。だけど、そうとしか思えない。
現実逃避?ーーそうかもしれない。
だが、ひとついえるのは、まず間違いなく、これまで彼女がぼくに掛けていた優しさは表面的なモノではなかった、ということだ。母が交通事故で亡くなった時の彼女のぼくへの応対は、作為的、表面的には出来るモノではない。まず、その人に対する情のようなモノを持っていなければ出来ないだろう。
「誰かに監禁されてるって、ウソでしょ」
ぼくはふとそう口走っていた。正直自分でも何をいっているのか、と思った。だが、考えてみれば、これはぼくの本音でもあったのだろう。だからこそ、そう口走ったのだと思う。
「ウソ? 何で? わたしのことを信用してないってこと?」里村さんは問い詰めるように厳しい口調でいう。
ぼくはゴクリと息を飲み、そしてもはや自分のことばに考えを委ねることにし、口を開く。
「……何ていうか、可笑しいよね」
「可笑しい? 何が」
彼女のことばはより厳しさを増してぼくのほうへと飛ぶ。ぼくはそれに負けじと何とか気を強く持ってことばを重ねる。
「その誘拐と監禁のことだよ」
ぼくのことばを、彼女はより厳しく問い質して来る。ぼくは負けじと何とか毅然な態度を保ってことばを続けていく。
「簡単なことだよ。家族全員を監禁してるっていうのは、いくら何でも現実味がなさすぎるってことだよ」
「現実味がない、か。でも、そういう事件は実際に昔あったと思うけど」
彼女の余裕に満ちたような物言いを聞いて、ぼくは眉間をピクリと動かす。
「確かにそういう事件もあったよ。でも、それはそれ。犯人にちょっとした技能があったからこそ出来た事件だと思う。でも、そんな能力を持ち合わせている人なんて、そういるもんじゃない。それに、だとしたら変だと思わない?」
「変? 何が」
「普通誰かを監禁しているなら、外部に情報が漏れるのは絶対に避けたいはずだ。なのに、キミは普通に外出し、ぼくの前に現れる。それって何だか可笑しくない?」
「でも、電話で音は筒抜けだったけど?」
「そこも変だよ。よっぽど自信があるにしても計画がズサンすぎる」
「不審なことをいえば、家族を殺すとでもいえば、それはそれでいいんじゃないの?」
「そこも変だよ。大体、結構なスパンで人を監禁するなら、少人数じゃないと成り立たない」
「どうして?」
「たくさんの監禁者を出すってことは、それだけ管理しなきゃいけない人間が増えるってことだよ。つまり、それだけ人の世話をしなきゃいけないってこと。家族全員を監禁していたなら、それだけの管理をするためにそれだけの水と食料が必要になる」
「与えてない、としたら?」
「じゃあ、何でキミはここにいるの?」
「わたしだけ食料を与えられていたとしたら」
「そんなにやつれてるのに? それと何でキミだけが? その理由は?」
「わたしを痛め付けるため。家族を飢えさせて、その反応を見させてわたしを苦しませるため。そうは思わない?」
「思わないね。変だよ、それ。それに家族全員にはそれぞれの所属するコミュニティがある。そのコミュニティの人たちだって、急に連絡が取れなくなれば、それはそれで怪しむよ。それに、仮に死亡者を出してしまったとしたら、どうするの? 死体がひとつ出るだけで、それを処理するのにかなりの骨が折れる。だとしたら、そんなリスキーなことになりうる監禁なんてする必要ないと思うけど」
「……さっきから、突っ掛かるな。いい加減、いいたいことをいったら?」
彼女のことばに微かな怒気が混じる。ぼくはそれに怯むことなく、呼吸を整えてからいう。
「キミ、里村さんじゃないね」
【続く】