【明日、白夜になる前に~四拾弐~】

文字数 2,409文字

 様々な想いが交錯する。

 社食にて、ぼくは桃井さんと向き合っている。目の前には湯気を立てたうどんがあるけれど、手をつけることは叶いそうにない。

 早く食べなければ冷めて伸びてしまうだろうに、箸に手をつけることすらままならないような状況だというのだから困ったモノだ。

 対面に座る桃井さんは難しい顔。桃井さんの前には食器が置いてあるにも関わらず、その上には何も載っていない。それもそのはず、彼女はぼくが質問する前にひとりでバクバクと食事をし終えてしまったのだから。

「で、今日はどうしたの?」

 ぼくは訊ねる、変な話だが。何故、呼び出されたぼくが変に気を遣わなければならないのだ。だが、桃井さんはブスッとしたままぼくの顔に穴が開くくらい見詰め返して来るばかり。

 喧騒は沈黙により一層の静寂を与える。社食ということもあって、周りは賑やかだというのに、ぼくと桃井さんの間は、まるで刑務所の面会室のように仕切りがあってヒンヤリとしているように感じられてならない。

 いつしかぼくが頼んだうどんからは湯気が消え、汁を吸い過ぎた麺が蠢くミミズのように丼の中で蠢いている。気持ち悪い。

 ぼくは仕方なくミミズの塊のようになったうどんに手をつける。マズイ。あと数分早く手をつけていれば、きっと美味しく食べられただろうに。食料を無駄にしてしまうなど、言語道断。人の風上にも置けないだろう。

「よく食べれますね」桃井さんがいう。

 皮肉めいた響き。ぼくは思わずムッとする。一体何だというのだ。貴重な昼休みに突然社食に呼び出したかと思えば何も話はしないし、食事を採ろうとすれば今度は皮肉をいわれる。そんないわれはぼくにはない。

 ぼくはお構いなしに、不細工に太ったヒルのような麺をすすり終えると、薄めた醤油の塊のような汁をすべて飲み干して丼を盆の上に置き、盆の両端を持って立ち上がっていう。

「用がないなら行くよ。結局、温かいうどんを食べ損ねた。五百円も食料も勿体ない」

 皮肉を皮肉で返すようにぼくはそのまま行こうとする。が、背後から、

「ちょっと待ちなさいよ」

 桃井さんの声、張り詰めている。突然の出来事に敬語を忘れ、ぼくを引き止めることにのみ注力しているといった感じ。ぼくは振り返る。

「……何?」

 不快感を露にする。大人げないといわれればそれまでだろうが、大人なら時間を作って貰ったならちゃんと用件を伝えるモノ。恨めしく相手を睨むのはガキのすることだ。そんな相手に大人のセオリーで対応するいわれはない。

 ぼくは強気だった。それもそうだ。この数ヶ月、色んなことが有り過ぎて、ぼくはいい加減ウンザリしている。ぼくの運命を決めている神のような存在がいるのなら、いい加減にしろと怒鳴り付けてやりたい。

 桃井さんはあからさまに居心地悪そうにモジモジしはじめた。これは次のことばも期待は出来ない。ぼくは大きくため息をつく。

「結局、何もいえないんでしょ?」ぼくは冷ややかにいう。「そうやって、恨めしそうにして、友達がどうのって下らないしがらみに縛られて、キミはキミ自身に与えられた機会を逃して行くんでしょ。それをぼくのせいみたいにして無言の圧を掛けるのは止めて貰えないかな」

 自分でも信じられないほどペラペラとことばが出て来る。友情、愛情、感情、あらゆるモノが交差し、織り成し、あるところでそのひとつが結ばれ、あるひとつが結ばれることなく切れてしまう。酷い場合はその切っ掛けすらない。

 時間は有限だ。その有限な時間の中で切っ掛けや機会があるということは、それだけでありがたいことなのだ。それを無駄にするのは、人として下の下。針に掛かった魚をみすみす逃がす哀れな釣り師もいいところだ。

 そういうヤツは一生時間を無駄にすればいい。そして、後悔すればいい。あの時、こうしてたら……、と。これはぼく自身にもいえることだ。だからこそ、ぼくは同族嫌悪的に、今の桃井さんに辛辣なひとことを投げている。

 桃井さんは頭を垂らして震えている。まるで怒られた子供のように立ったまま肩を震わせて。だが、ぼくは何もフォローしない。以前ならこんな現場に立ち会えば、どうすればいいかと右往左往していただろうに。

「……少しだけ、少しだけですから」

 声を震わせて、桃井さんはいう。まるでイモムシのように蠢くグロテスクな感情がそこにある。サナギのまま火で焼かれ、厚く張られた殻の中で熱さに悶え苦しむ虫けらのような感情。

 ぼくは彼女のちょっとだけを信用して再びテーブルに盆を置き、椅子に腰掛ける。

「座ってよ」

 ぼくがいうと、桃井さんはそれに素直に従って静かに腰掛ける。多分、男女の別れもこんな感じに呆気ないモノなのだろうと思った。

 街の一角、無数の無関心と享声の中で、ふたりだけが冷えきっている。結果、終わりが音を伴って目の前に立ちはだかる。

 ぼくは腕時計を見る。

「三分。それまでに話し始めなかったら、今度こそぼくは行くよ。今後一切の話も聞かない」

「どうして……」桃井さんは蚊の鳴くような声でいう。「どうしてそんな酷いこといえるんですか……?」

 ぼくはため息をついて答える。

「時間は有限なんだ。それを他人の身勝手な足止めで無駄にするのは、これはもうテロリズムといってもいい。ぼくには時間がない。これ以上自分を偽って無為に時間を消費させるなら、申し訳ないけど止めてくれ」

 いつからこんなに酷いことをいえるようになったのかと自己嫌悪に陥りそうにもなりそうだが、どうせひとりだけの人生なのだ。砂漠だろうが、泥道だろうが、地獄の果てだろうが、結局はひとりで歩くだけの人生なのだ。

 これ以上ぼくの道を歪める他者の意向には悩まされる理由はない。

「……ごめんなさい」

 桃井さんは声を震わせて頭を下げる。ぼくは自分が鬼か悪魔かにでもなったように思えた。だが、これでいいのだ。

 曖昧な関係は百害あって一利ないのだから。

 【続く】
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登場人物紹介

どうも!    五条です!


といっても、作中の登場人物とかではなくて、作者なんですが。


ここでは適当に思ったことや経験したことをダラダラと書いていこうかな、と。


ま、そんな感じですわ。

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