【ナナフシギ~壱~】
文字数 2,859文字
夏のキツイ日差しに部屋の白は特に眩しい。
病院に着くと、祐太朗は応急の処置を受けてそのまま病室へと運ばれることとなった。
その折れた骨というのが、いわゆる複雑骨折で下手に動かせるモノでもなく、しかも右手と左足というバランスを取るにも取りづらいような骨折の仕方をしてしまったモンだから、余計に病院に滞在しなければならなくなってしまった、というワケだ。
「ざまぁねぇな」嗤う弓永。
「うるせぇ。テメェがおれに指図するから」
「まさか、あんな何もないところで転んで足と手を一挙に折るなんて普通は思わないだろ」
「仕方ねぇだろ、折れちまったんだから」
「お前、これを機に運動と牛乳を飲む習慣を身につけたほうがいいぞ。詩織さんみたいな栄養バランスを考えてメシを作ってくれる人がいるっていうのに、どうしてこうなるかねぇ」
「うるせぇんだよ。で、詩織に連絡は?」
「したよ。後でお前のスマホに連絡行くだろ」
「今、スマホねぇんだ」
「はぁ? まさか、また壊したのか?」
祐太朗はコクりと頷く。数日前のことである。自室に戻った祐太朗は玄関からリビングに向かうまでの間に衣服をひとつずつ脱ぎ捨てて行き、リビングに入った時には完全な全裸になっていた。祐太朗は冷蔵庫からロング缶のビールを取り出すとビニールのソファに横になり、クーラーの電源を入れた。
ビニールのソファに祐太朗の汗が滲む。祐太朗は缶のタブを開いてビールを呷った。と、そんなことをして数十分、詩織が帰って来た。
詩織はただいまといいつつ、まるで死体のように転がった祐太朗の衣服を目にし、リビングへ来る。と、そこには当然全裸の祐太朗がいた。詩織はハッとし、顔を真っ赤にして視線を落とした。祐太朗は、マズイと思ったのかすぐさまとなりの部屋へ衣服を取りに行った。
何故祐太朗がそんな慌てているかといえば、詩織がセックス中毒で、男と見れば親族でも普通に寝てしまうような女だからだった。とはいえ、今は祐太朗によって制されているため、性に奔放な生活をしてはいないのだが、この状況では流石に祐太朗も立場がない。そんなこともあって、祐太朗は服を取りに行ったのだ。
「あ、汗掻いたよね! 服、洗濯しちゃうね!」戸惑った詩織の声。
祐太朗はあくまで冷静を装いながら、洗濯の件を詩織にお願いした。
と、突然に詩織の叫び声が聞こえた。
祐太朗は何かに気づいた様子で慌てて詩織のところへ行った。まさか。祐太朗は訊ねた。
「スマホも一緒に洗濯したのか?」首を横に振る詩織に、祐太朗は首を傾げる。「じゃあ、どうしたんだよ……?」
「お兄ちゃんのスマホ……」
そういって詩織は祐太朗のスマホを掲げた。と、そのスマホは水浸しになっていた。祐太朗は自分のスマホを手に取り操作してみた。が、電源がつかない。
「あ、汗で水没した……」
祐太朗は運動嫌いでろくに運動もしていないにも関わらず無駄に代謝がいい。そのせいで夏場はバカみたいに汗を掻くのだが、問題はその汗の量が尋常じゃないということだ。
皮膚には汗が珠のようになって張り付き、次から次へと流れ出ては滝のようになっている。そして、そんな汗は上はもちろん、下までも衣服全体をずぶ濡れにしてしまうのだ。
それははいているモノがジーンズでもチノパンでも関係ない。気づいた時にはもはやボトムスは汗で濡れに濡れている。そんなこともあって祐太朗は、はいていたのがデニムにも関わらず、汗で尻ポケットに入れていたスマホを水没させてしまったのだった。
「で、水没させてから何日だ?」と弓永。
「二日……」
「おれとの連絡はどうやって取ってた?」
「パソコンで……」
「何でスマホをダメにしてすぐショップに行かねぇんだよ……。新しいの買うなり、修理するなり、選択肢はあるだろ。お前、おれとラーメン食いに行く金はあってスマホ変える金はないとかいわないよなぁ?」
「スマホとラーメン一杯じゃ、相場が全然違ぇだろ!」
「お前なぁ、相場がどうとかいう前に、先を見越してモノ考えろよ。スマホがなかったら仕事にも支障をきたすだろ」
「んなこといってもよぉ、……おれ、保険証持ってねぇのに、どうすればいいんだよ……」
そう。祐太朗は国民健康保険料を支払っていない。もちろん、『恨めし屋』という稼業には社会保険はないので、加入するなら国保となるのだが、表向きは特に働いてもいない兄妹が毎年しっかりと国民健康保険を払っているというのは流石に可笑しいだろうという理由で、祐太朗は保険料を払っていないワケだ。
「お前……、そんなバカな話、あるか?」流石の弓永もこれには困惑するしかない。
「あのちょっと!」女性の声。「静かにして貰えませんか? ここはあなたたちだけの病室ではないんですよ!?」
ふたりが声のしたほうを振り返ると、そこにはひとりの女性看護師が立っている。年の頃は祐太朗、弓永と同じくらいの三十代半ばほど。ショートボブのやや茶色い髪は白衣にはよく映える。身長は大きすぎず、小さすぎもしない。マスクをしていて口許はわからないが、目付きは少しキツめで如何にも気が強そうだ。
「あぁ、悪い」祐太朗が謝る。
「気をつけて下さいね。ここは……」
「あ?」
弓永が声を上げる。と、思いきや看護師のことを目を細めて睨むように見る。これには看護師もいい気はしなかったようで、眉間にシワを寄せて、
「……何ですか?」
と語調を強くしていう。だが、弓永の答えは、祐太朗にも看護師にも思いも掛けないモノだった。弓永はいった。
「お前、もしかして田中恵美理か?」
「……え?」看護師は驚きを隠せない。「……そうですけど、あなたは」
「このバカの名前、見なかったのか?」弓永は祐太朗を指していう。
「バカは余計だ。落ちこぼれ」
「あぁ!」看護師は思わず声を上げる。「もしかして、祐太朗くんに弓永くん!?」
弓永はコクりと頷く。祐太朗は不満そうに、
「何で今のやり取りでわかるんだよ」
「だって、ふたり、いつもそんないい合いしてたじゃん。だから……」
「ちょっと村橋さん?」病室の入り口辺り、年のいった看護師の女性が表情を歪めて立っている。「あなたがうるさくしてどうすんの。ちゃんと注意してくださいよ」
「すみません」
エミリは頭を下げた。かと思いきや、急に頭を上げると目許を思い切り歪ませ、
「何、自分だっていつもペチャクチャしてるクセに! だから結婚出来ないんだぞ、お局!」
「へぇ、結婚したのか」祐太朗は興味深そうに笑っていう。
「……うん。今は村橋エミリ。でも、あなたたちは田中で全然いいよ」
「……わかった」
「にしても、お前も変わらないな」と弓永。
「お互い様ってことかな。にしても、この三人が集まるのっていつぶり? あなたたち、同窓会にも出ないじゃん。なのに今でもふたりはツルんで、何かズルい」
「おれも祐太朗も、同窓会とか興味ないからな。まぁ、でも、ほんと久し振りだな。……あの時以来か、三人になったのは」
「……あぁ、あん時か」
祐太朗は呟く。
【続く】
病院に着くと、祐太朗は応急の処置を受けてそのまま病室へと運ばれることとなった。
その折れた骨というのが、いわゆる複雑骨折で下手に動かせるモノでもなく、しかも右手と左足というバランスを取るにも取りづらいような骨折の仕方をしてしまったモンだから、余計に病院に滞在しなければならなくなってしまった、というワケだ。
「ざまぁねぇな」嗤う弓永。
「うるせぇ。テメェがおれに指図するから」
「まさか、あんな何もないところで転んで足と手を一挙に折るなんて普通は思わないだろ」
「仕方ねぇだろ、折れちまったんだから」
「お前、これを機に運動と牛乳を飲む習慣を身につけたほうがいいぞ。詩織さんみたいな栄養バランスを考えてメシを作ってくれる人がいるっていうのに、どうしてこうなるかねぇ」
「うるせぇんだよ。で、詩織に連絡は?」
「したよ。後でお前のスマホに連絡行くだろ」
「今、スマホねぇんだ」
「はぁ? まさか、また壊したのか?」
祐太朗はコクりと頷く。数日前のことである。自室に戻った祐太朗は玄関からリビングに向かうまでの間に衣服をひとつずつ脱ぎ捨てて行き、リビングに入った時には完全な全裸になっていた。祐太朗は冷蔵庫からロング缶のビールを取り出すとビニールのソファに横になり、クーラーの電源を入れた。
ビニールのソファに祐太朗の汗が滲む。祐太朗は缶のタブを開いてビールを呷った。と、そんなことをして数十分、詩織が帰って来た。
詩織はただいまといいつつ、まるで死体のように転がった祐太朗の衣服を目にし、リビングへ来る。と、そこには当然全裸の祐太朗がいた。詩織はハッとし、顔を真っ赤にして視線を落とした。祐太朗は、マズイと思ったのかすぐさまとなりの部屋へ衣服を取りに行った。
何故祐太朗がそんな慌てているかといえば、詩織がセックス中毒で、男と見れば親族でも普通に寝てしまうような女だからだった。とはいえ、今は祐太朗によって制されているため、性に奔放な生活をしてはいないのだが、この状況では流石に祐太朗も立場がない。そんなこともあって、祐太朗は服を取りに行ったのだ。
「あ、汗掻いたよね! 服、洗濯しちゃうね!」戸惑った詩織の声。
祐太朗はあくまで冷静を装いながら、洗濯の件を詩織にお願いした。
と、突然に詩織の叫び声が聞こえた。
祐太朗は何かに気づいた様子で慌てて詩織のところへ行った。まさか。祐太朗は訊ねた。
「スマホも一緒に洗濯したのか?」首を横に振る詩織に、祐太朗は首を傾げる。「じゃあ、どうしたんだよ……?」
「お兄ちゃんのスマホ……」
そういって詩織は祐太朗のスマホを掲げた。と、そのスマホは水浸しになっていた。祐太朗は自分のスマホを手に取り操作してみた。が、電源がつかない。
「あ、汗で水没した……」
祐太朗は運動嫌いでろくに運動もしていないにも関わらず無駄に代謝がいい。そのせいで夏場はバカみたいに汗を掻くのだが、問題はその汗の量が尋常じゃないということだ。
皮膚には汗が珠のようになって張り付き、次から次へと流れ出ては滝のようになっている。そして、そんな汗は上はもちろん、下までも衣服全体をずぶ濡れにしてしまうのだ。
それははいているモノがジーンズでもチノパンでも関係ない。気づいた時にはもはやボトムスは汗で濡れに濡れている。そんなこともあって祐太朗は、はいていたのがデニムにも関わらず、汗で尻ポケットに入れていたスマホを水没させてしまったのだった。
「で、水没させてから何日だ?」と弓永。
「二日……」
「おれとの連絡はどうやって取ってた?」
「パソコンで……」
「何でスマホをダメにしてすぐショップに行かねぇんだよ……。新しいの買うなり、修理するなり、選択肢はあるだろ。お前、おれとラーメン食いに行く金はあってスマホ変える金はないとかいわないよなぁ?」
「スマホとラーメン一杯じゃ、相場が全然違ぇだろ!」
「お前なぁ、相場がどうとかいう前に、先を見越してモノ考えろよ。スマホがなかったら仕事にも支障をきたすだろ」
「んなこといってもよぉ、……おれ、保険証持ってねぇのに、どうすればいいんだよ……」
そう。祐太朗は国民健康保険料を支払っていない。もちろん、『恨めし屋』という稼業には社会保険はないので、加入するなら国保となるのだが、表向きは特に働いてもいない兄妹が毎年しっかりと国民健康保険を払っているというのは流石に可笑しいだろうという理由で、祐太朗は保険料を払っていないワケだ。
「お前……、そんなバカな話、あるか?」流石の弓永もこれには困惑するしかない。
「あのちょっと!」女性の声。「静かにして貰えませんか? ここはあなたたちだけの病室ではないんですよ!?」
ふたりが声のしたほうを振り返ると、そこにはひとりの女性看護師が立っている。年の頃は祐太朗、弓永と同じくらいの三十代半ばほど。ショートボブのやや茶色い髪は白衣にはよく映える。身長は大きすぎず、小さすぎもしない。マスクをしていて口許はわからないが、目付きは少しキツめで如何にも気が強そうだ。
「あぁ、悪い」祐太朗が謝る。
「気をつけて下さいね。ここは……」
「あ?」
弓永が声を上げる。と、思いきや看護師のことを目を細めて睨むように見る。これには看護師もいい気はしなかったようで、眉間にシワを寄せて、
「……何ですか?」
と語調を強くしていう。だが、弓永の答えは、祐太朗にも看護師にも思いも掛けないモノだった。弓永はいった。
「お前、もしかして田中恵美理か?」
「……え?」看護師は驚きを隠せない。「……そうですけど、あなたは」
「このバカの名前、見なかったのか?」弓永は祐太朗を指していう。
「バカは余計だ。落ちこぼれ」
「あぁ!」看護師は思わず声を上げる。「もしかして、祐太朗くんに弓永くん!?」
弓永はコクりと頷く。祐太朗は不満そうに、
「何で今のやり取りでわかるんだよ」
「だって、ふたり、いつもそんないい合いしてたじゃん。だから……」
「ちょっと村橋さん?」病室の入り口辺り、年のいった看護師の女性が表情を歪めて立っている。「あなたがうるさくしてどうすんの。ちゃんと注意してくださいよ」
「すみません」
エミリは頭を下げた。かと思いきや、急に頭を上げると目許を思い切り歪ませ、
「何、自分だっていつもペチャクチャしてるクセに! だから結婚出来ないんだぞ、お局!」
「へぇ、結婚したのか」祐太朗は興味深そうに笑っていう。
「……うん。今は村橋エミリ。でも、あなたたちは田中で全然いいよ」
「……わかった」
「にしても、お前も変わらないな」と弓永。
「お互い様ってことかな。にしても、この三人が集まるのっていつぶり? あなたたち、同窓会にも出ないじゃん。なのに今でもふたりはツルんで、何かズルい」
「おれも祐太朗も、同窓会とか興味ないからな。まぁ、でも、ほんと久し振りだな。……あの時以来か、三人になったのは」
「……あぁ、あん時か」
祐太朗は呟く。
【続く】