【丑寅は静かに嗤う~再発】
文字数 2,474文字
「誰だ!?」振り返りざま犬蔵はいう。
が、犬蔵の目に驚愕が浮かぶ。
水晶体に映ったその姿はニタニタしたふたりの侍ともうひとり。ふたりの侍は紛れもない卯乃に因縁をつけていた子供たちだ。そして、もうひとりはーー
猿田源之助だった。
猿田の表情は完全に死んでいる。感情などこれっぽちもなく、まるでボウッと浮かぶ幽霊のように無機的な表情をしている。
「テメェ……!」
犬蔵の驚きももっともだろう。まったく予期もしていないところで猿田が現れたのだから。しかも、卯乃にイジワルをしていた子供を引き連れてなのだから、余計だったろう。
「テメェ、それでもーー」
犬蔵のことばは遮られる。遮ったのはいうまでもない、猿田源之助。犬蔵が話していることなどお構いなしで、瞬時に抜刀し、犬蔵に襲い掛かったのだ。
犬蔵は間一髪のところで刀を鞘から切先三寸のところまで抜き、猿田の真っ向斬りを受け切る。刀の鎬で猿田の真っ向斬りを受けると、攻撃は受け流され、犬蔵の刀の鞘に、猿田の刀の刃が食い込む。
猿田はその場で踏ん張ることなく片足を浮かせ、そのまま犬蔵の腹を蹴り飛ばす。
犬蔵が鈍い呻き声を上げ、うしろに下がり踞る。
「犬蔵さん!」
卯乃は犬蔵に駆け寄ろうとするが、犬蔵は、
「来るな!」卯乃に顔を向けずに、「さっさと逃げろ!」
犬蔵の忠告で卯乃はうしろに下がってノロノロと駆け出すが、すぐ近くの木の元に辿り着くとその木陰から犬蔵の様子を伺う。
にしても、犬蔵もこの状況は苦しかろう、ヤスリのようなザラザラとした微かな呼吸で何とか息を整えようとし、目を細めて阿修羅のような表情をした猿田を見据える。
猿田は犬蔵を蹴り飛ばした勢いでうしろに下がるが、すぐさま体勢を整え、犬蔵に対して更なる一撃ーー再びの真っ向斬りを浴びせ掛ける。
間一髪のところで頭上に刀を掲げ、鎬で猿田の攻撃を受け切る犬蔵ーー屈んだまま片ひざを立て、歯を食い縛って猿田の攻撃を耐え凌ぐ。
今度は猿田は追撃をすることもなく、力で犬蔵を押し切ろうとする。
「テメェ……!」
犬蔵の力の入った硬質なことばの調子が、静かに響く。必死の形相の犬蔵と無機質な表情の猿田ーー対照的なふたり。
「……いいから、そのままでいろ」その声に犬蔵はハッとする。「表情を変えるな。必死でいろ」
そう犬蔵にいったのは紛れもない猿田だったのだ。犬蔵にことばを掛けた時の猿田の表情は、一瞬ではあるが、人間的な熱情のあるモノとなっていた。犬蔵はささやくーー
「ど、どういうことだよ……」
「いいから、おれと殺し合う振りをしろ」
「でも、テメェを信用していいのか……?」
「あの婆さん諸とも死にたきゃ、おれのことばを無視しろ。ふたりして生き残りたければおれのいう通りにしな。わかったか?」
犬蔵は口を真一文字に結び、小さく頷く。猿田は不意に口許を弛ませる。
「なら、おれとは会ったことがない、おれのことなんか知らないと貫くんだ。合間合間で悪態をつけ。いいな?」
犬蔵は顔を歪めて猿田の攻撃を受け切る振りをしつつ、軽く頷いて見せる。猿田は更に続けるーー
「よし。じゃあ、全身でおれを押し退けろ。そしたら、おれは怯みを見せるから、得意の薬丸の太刀でおれを押し切ろうとしな」
犬蔵は首を縦に振る。猿田ーー
「よし、やれーー」
猿田の合図に合わせて、犬蔵は一気に猿田を押し退ける。猿田はうしろに大きく仰け反り、あからさまな隙を見せる。
犬蔵は絶叫しながら一気に猿田に立ち向かう。勢い良く突撃し、猿田に袈裟斬りをお見舞いしようとする。だが、その攻撃は猿田を傷つけんとするように何処か手加減している。
犬蔵は袈裟斬り、逆の袈裟斬りとそのふたつを何度も繰り返す。圧倒される猿田ーー気づけば、その背中は大木の表面につき、追い立てられる。
猿田は鋭く右側を一瞥し、瞬時に犬蔵のほうを見ーー
「木に当たって刀が折れないようにおれの背を木に押し付けろ。良い所でおれがお前を蹴って、峰か何処かでお前を気絶させる」
「もし気絶しなかったら?」
「気絶した振りをして余計な動きは控えろ。わかったか?」
鋭い視線で猿田を見つつ、犬蔵は小さく頷いて見せる。
「……信用してやるよ」
「……悪いな。少し痛くするぜ」
猿田は全体重を背後の木に預け、身体を浮かすようにして左足で犬蔵の股間を蹴り上げる。
「……ッ!」犬蔵が声にならない声を上げる。
犬蔵の目は一気に充血し、涙でいっぱいになる。そのまま猿田から遠ざかり、股間を押さえながら小さくなる。
猿田は背中の木を発射台の要領で一気に飛び出すと、その勢いを利用して半回転する。そして、刀の柄頭を犬蔵の顔面に叩き込む。
犬蔵はその場に大の字になって倒れ込む。その身体はまだ意思があるといわんばかりにピクピクと痙攣している。
猿田が大きく息を吐く。背後に対して残心を取りつつ横に血振るいし瞬時に刀を鞘に納めると、再び大きく息を吐き、深く息を吸う。
「何故殺さない?」
子供のひとりが猿田に問い詰める。だが、猿田は余裕を持った表情で、
「この男は貴殿らを侮辱したのだろう? なら、こんな所で簡単に殺してしまうより、屋敷まで連れ帰ってゆっくりとその贖罪をさせればいい。違うか?」
猿田の提案にふたりの子供はーー
「貴様のいうことも一理あるな。だが、あのババアはどうするというのだ?」
子供ふたりが卯乃に目をやると、卯乃は木陰に隠れてしまう。猿田は卯乃を一瞥もせずに、
「大本の原因はあの老婆なのだろ? 連れ帰って謝罪させればいいんじゃないか?」
猿田の話に納得したふたりの子供は、ふたりを連れ帰る役目を猿田に振り、自分たちは引き返していってしまう。
猿田は大きく息を吐く。それから地面で大の字になっている犬蔵を立たせて背中におぶり、卯乃のいる木のほうを見る。卯乃は木のうしろでひとり恐怖に打ち震えている。猿田は犬蔵をおぶりながら卯乃のいる木陰に近づきーー
「心配するな、おれはアンタに危害を加えようとは思ってない。それよりーー」
卯乃はゆっくりと顔を木陰から出すーー
【続く】
が、犬蔵の目に驚愕が浮かぶ。
水晶体に映ったその姿はニタニタしたふたりの侍ともうひとり。ふたりの侍は紛れもない卯乃に因縁をつけていた子供たちだ。そして、もうひとりはーー
猿田源之助だった。
猿田の表情は完全に死んでいる。感情などこれっぽちもなく、まるでボウッと浮かぶ幽霊のように無機的な表情をしている。
「テメェ……!」
犬蔵の驚きももっともだろう。まったく予期もしていないところで猿田が現れたのだから。しかも、卯乃にイジワルをしていた子供を引き連れてなのだから、余計だったろう。
「テメェ、それでもーー」
犬蔵のことばは遮られる。遮ったのはいうまでもない、猿田源之助。犬蔵が話していることなどお構いなしで、瞬時に抜刀し、犬蔵に襲い掛かったのだ。
犬蔵は間一髪のところで刀を鞘から切先三寸のところまで抜き、猿田の真っ向斬りを受け切る。刀の鎬で猿田の真っ向斬りを受けると、攻撃は受け流され、犬蔵の刀の鞘に、猿田の刀の刃が食い込む。
猿田はその場で踏ん張ることなく片足を浮かせ、そのまま犬蔵の腹を蹴り飛ばす。
犬蔵が鈍い呻き声を上げ、うしろに下がり踞る。
「犬蔵さん!」
卯乃は犬蔵に駆け寄ろうとするが、犬蔵は、
「来るな!」卯乃に顔を向けずに、「さっさと逃げろ!」
犬蔵の忠告で卯乃はうしろに下がってノロノロと駆け出すが、すぐ近くの木の元に辿り着くとその木陰から犬蔵の様子を伺う。
にしても、犬蔵もこの状況は苦しかろう、ヤスリのようなザラザラとした微かな呼吸で何とか息を整えようとし、目を細めて阿修羅のような表情をした猿田を見据える。
猿田は犬蔵を蹴り飛ばした勢いでうしろに下がるが、すぐさま体勢を整え、犬蔵に対して更なる一撃ーー再びの真っ向斬りを浴びせ掛ける。
間一髪のところで頭上に刀を掲げ、鎬で猿田の攻撃を受け切る犬蔵ーー屈んだまま片ひざを立て、歯を食い縛って猿田の攻撃を耐え凌ぐ。
今度は猿田は追撃をすることもなく、力で犬蔵を押し切ろうとする。
「テメェ……!」
犬蔵の力の入った硬質なことばの調子が、静かに響く。必死の形相の犬蔵と無機質な表情の猿田ーー対照的なふたり。
「……いいから、そのままでいろ」その声に犬蔵はハッとする。「表情を変えるな。必死でいろ」
そう犬蔵にいったのは紛れもない猿田だったのだ。犬蔵にことばを掛けた時の猿田の表情は、一瞬ではあるが、人間的な熱情のあるモノとなっていた。犬蔵はささやくーー
「ど、どういうことだよ……」
「いいから、おれと殺し合う振りをしろ」
「でも、テメェを信用していいのか……?」
「あの婆さん諸とも死にたきゃ、おれのことばを無視しろ。ふたりして生き残りたければおれのいう通りにしな。わかったか?」
犬蔵は口を真一文字に結び、小さく頷く。猿田は不意に口許を弛ませる。
「なら、おれとは会ったことがない、おれのことなんか知らないと貫くんだ。合間合間で悪態をつけ。いいな?」
犬蔵は顔を歪めて猿田の攻撃を受け切る振りをしつつ、軽く頷いて見せる。猿田は更に続けるーー
「よし。じゃあ、全身でおれを押し退けろ。そしたら、おれは怯みを見せるから、得意の薬丸の太刀でおれを押し切ろうとしな」
犬蔵は首を縦に振る。猿田ーー
「よし、やれーー」
猿田の合図に合わせて、犬蔵は一気に猿田を押し退ける。猿田はうしろに大きく仰け反り、あからさまな隙を見せる。
犬蔵は絶叫しながら一気に猿田に立ち向かう。勢い良く突撃し、猿田に袈裟斬りをお見舞いしようとする。だが、その攻撃は猿田を傷つけんとするように何処か手加減している。
犬蔵は袈裟斬り、逆の袈裟斬りとそのふたつを何度も繰り返す。圧倒される猿田ーー気づけば、その背中は大木の表面につき、追い立てられる。
猿田は鋭く右側を一瞥し、瞬時に犬蔵のほうを見ーー
「木に当たって刀が折れないようにおれの背を木に押し付けろ。良い所でおれがお前を蹴って、峰か何処かでお前を気絶させる」
「もし気絶しなかったら?」
「気絶した振りをして余計な動きは控えろ。わかったか?」
鋭い視線で猿田を見つつ、犬蔵は小さく頷いて見せる。
「……信用してやるよ」
「……悪いな。少し痛くするぜ」
猿田は全体重を背後の木に預け、身体を浮かすようにして左足で犬蔵の股間を蹴り上げる。
「……ッ!」犬蔵が声にならない声を上げる。
犬蔵の目は一気に充血し、涙でいっぱいになる。そのまま猿田から遠ざかり、股間を押さえながら小さくなる。
猿田は背中の木を発射台の要領で一気に飛び出すと、その勢いを利用して半回転する。そして、刀の柄頭を犬蔵の顔面に叩き込む。
犬蔵はその場に大の字になって倒れ込む。その身体はまだ意思があるといわんばかりにピクピクと痙攣している。
猿田が大きく息を吐く。背後に対して残心を取りつつ横に血振るいし瞬時に刀を鞘に納めると、再び大きく息を吐き、深く息を吸う。
「何故殺さない?」
子供のひとりが猿田に問い詰める。だが、猿田は余裕を持った表情で、
「この男は貴殿らを侮辱したのだろう? なら、こんな所で簡単に殺してしまうより、屋敷まで連れ帰ってゆっくりとその贖罪をさせればいい。違うか?」
猿田の提案にふたりの子供はーー
「貴様のいうことも一理あるな。だが、あのババアはどうするというのだ?」
子供ふたりが卯乃に目をやると、卯乃は木陰に隠れてしまう。猿田は卯乃を一瞥もせずに、
「大本の原因はあの老婆なのだろ? 連れ帰って謝罪させればいいんじゃないか?」
猿田の話に納得したふたりの子供は、ふたりを連れ帰る役目を猿田に振り、自分たちは引き返していってしまう。
猿田は大きく息を吐く。それから地面で大の字になっている犬蔵を立たせて背中におぶり、卯乃のいる木のほうを見る。卯乃は木のうしろでひとり恐怖に打ち震えている。猿田は犬蔵をおぶりながら卯乃のいる木陰に近づきーー
「心配するな、おれはアンタに危害を加えようとは思ってない。それよりーー」
卯乃はゆっくりと顔を木陰から出すーー
【続く】