【藪医者放浪記~睦~】

文字数 3,852文字

 川越街道を下って少ししたところの道の真ん中に人の輪が出来ている。

 街道を下っていた猿田源之助がそんな人の輪に気づかないはずもなく、輪に割って入っていくと、そこには、数人のヤクザらしき男と女がひとり。

 傍観している町民たちは、みな一様にして女を助けようとはしない。猿田は、時間がないと困惑しつつも、それを放っておくワケにもいかず、輪の中に入っていく。

「いやぁ、こんなとこにいたのか。早く帰るよ」と猿田は女の肩を抱きながら街道を下って歩き出す。

「源之助様……!?」女はいう。

 女は松平天馬に仕える女中で、名前を『お羊』といった。お羊は身寄りなく、川越の街の一角でひとり佇んでいるところを天馬に拾われ、住み込みで天馬に仕えるようになった。

 背と胸は小さめ。垂れ気味の優しい目に、穏やかな雰囲気は天馬に仕える侍たちからはとても評判がよく、明るくしっかり者な性格もあって、猿田からも一目を置かれていた。

「しっ……! 黙っていう通りにして」

「何だテメェは!」ヤクザらしき男たちが猿田の背中にイカツイ声を浴びせ掛ける。「おれたちを誰だと思ってる。川越の宿場町を根城にする、銀次の親分の一家のモンだぜ!」

「銀次?」猿田は足を止め振り返る。「知らんね」

 再び歩き出す猿田とお羊。だが、男たちも黙ってはいない。ひとりが猿田とお羊の前に回り込み、ふたりがうしろを取り囲む。猿田とお羊も足を止める。お羊は尚も怯えているが、猿田はつまらなそうに前の男を見、うしろのふたりを見て、再び視線を前の男に戻す。と、前に回り込んだ男が顔を真っ赤にして口を開く。

「やい、てめぇ! おれたちをコケにしてくれるとはやってくれるじゃねぇか! 何処の馬の骨ともわからねぇ野郎が偉そうにしやがって。どうなってもーー」

「見逃してやんなよ」重く低音の利いた声。

 三人のやくざ、お羊、猿田、そして野次馬連中がその声に振り返る。と、そこには茶色の着物に黒の袴をはいたぶしらしき強面の男がいる。ガタイは鬼のように良く、筋骨隆々だ。

「馬乃助殿……ッ!」

 ヤクザのひとりがハッとしていうと、他のふたりの顔もみるみる伐ちに青ざめて行く。馬乃助と呼ばれた男はニヤリとしていう。

「いやぁ、すまねぇなぁ姐さん。こいつらが迷惑掛けちまって。銀次にはおれのほうからよくいっておくよ」

「いえ、大丈夫です……」

 お羊の声は恐怖に震えている。だが、それはお羊だけではなかった。猿田の顔にも緊張が走っている。明らかにこの馬乃助を手練れとしてみている顔だった。

「アンちゃん、川越の人か?」

「あぁ、そうだけど」と猿田。

「そうかい。名前は、猿田、源之助さん、だったかい?」嗤う馬乃助。

「……何で、おれの名を知っている」

「さっき、永島の蔵で聞いたんだよ。じゃ、また会おうぜ」

 そういって、馬乃助は三人のヤクザを伴って、その場を後にしようとする。

「待てよ」と猿田が馬乃助の背中にいう。「アンタも名乗って行きなよ」

 とヤクザ連中と馬乃助は立ち止まり振り返り直す。ヤクザたちは猿田のことばに逆上するが、すぐさま馬乃助がそれを制する。そして、

「牛野馬乃助。以前は『地獄花の牛馬』と呼ばれててね。『牛馬』でいいぜ。まぁ、おれに撮っての地獄花は紫陽花なんだがね。じゃあ、また会おうぜ、源之助さん……」

 そういって牛野馬乃助はヤクザたちと共に去っていった。が、猿田とお羊は四人の姿が人ごみの藻屑と消えるまで、その表情を和らがせることはなかった。四人が消えて、漸く息をつくふたり。野次馬たちも散っていく。と、猿田はお羊の肩に手を掛ける。

「大丈夫か?」

 猿田が問い掛けるとお羊は猿田の胸に頭を預け涙混じりにいう。

「怖かった……」

「そうか、でも、何事もなくて良かったーー」

「いやぁ! 兄貴、すまねぇ! すまねぇ!」

 と、突然聴こえて来た声に、猿田とお羊は互いの身体を離し、猿田は何もなかったかのように装い、お羊は声に背を向けて涙を拭う。と、そこにいたのは、仙波屋に行ったはずの犬吉だった。先程の件もあってか、ふたりの表情には緊張感があったが、それもすぐに解け、猿田もお羊もホッとひと息つく。

「何だ、お前……」と猿田は声を途切らせる。

 安堵はすぐさま驚きに変わる。というのも猿田は肩に何か大きなモノを担いでいたのだ。その担いでいたモノはいうまでもなく、

 大藪順庵に間違われた「茂作」その人だった。

「いやぁ、メチャクチャ手こずったよ。ウワサ通り手強い男だったね」笑う犬吉。「て、あれぇ、お羊ちゃんもいたのかい?」

「えぇ。ちょっとそこで源之助様にお会いして」

「そうかい、そうかい! 賑やかでいいこったいね!」

「それより……」猿田は犬吉に歩み寄りつつ、犬吉が担いでいる男をなめ回すようにじっくりと見る。「これが、順庵先生か?」

「ん、そうだよ?」と犬吉。

「そうなのか……、随分と若く見えるけど……」

「兄貴いってたろ? 藪順は年より若く見えるから気をつけろって」

「藪順?」

「いやぁ、兄貴のいう通り、全然こっちの話を聴いてくれないからさ。力ずくで何とかしたんだよ。女房のほうも無理矢理にでも連れてってくれっていうからさ!」と豪快に笑う犬吉。

「女房もいたのか」

「うん、いたよーー」

 この女房というのは紛れもない茂作の女房である『お涼』である。

 犬吉と茂作のケンカの最中、財布を忘れたと戻ってきたお涼は、その光景を見て驚嘆したのはいうまでもない。髪を振り乱した茂作にバカみたいにガタイのいい犬吉、そして散らかった室内。どう考えても普通の状況ではなかった。

「何してんの……?」とお涼。

「お、お涼か! このデケェのがワケわかんねぇこといっててよ! おめぇからも何とかいってくれねぇか! おれも困っちまって」

「ふぅん、で、どうしたの?」

「いやぁさ、奥さん。おれはね、藪順に治療に来て欲しいだけなんだよ」と犬吉。

「治療?」

「そう! なのに藪順と来たら、全然話を聴いてくれないし、さっきからこの調子で困ってるんだよ。だからさ、奥さんからも何とかいってくれよ。お医者様の奥方さんなんだからさ」

「医者……?」

「そう!」

「……いや、あの、アナタ、何か勘違いしているようだけど」と、突然、お涼は何か悪いことを思いついたかのように悪そうな笑みを浮かべて、「あぁ! そうでしたか! うちの藪順が申しワケありませんね! うちのったら全然仕事しなくって困ったモンなんですよ! さ、そうとわかったらさっさと連れてって下さいな」

 とお涼は笑顔でいう。だが、茂作も黙っているワケがなく、お涼に飛びつかんとする勢いで食って掛かって行くと、

「おめぇ! 何てこというんだ!」

「うるさいよ! 仕事をしないのは事実じゃないか!」

「何だと!? この女、今まで誰が食わしてやってたと思ってるんだ!」

「でも今は違うじゃないか!」

「……テッメェ!」

 茂作とお涼のやり取りに、流石の犬吉も困惑してしまい、ただ漠然とその場のやり取りを眺めるばかりだった。と、それに気づいたお涼は、

「何をなさってるんです! さ、さ、早くこのバカ医者を連れてって!」

「え、いいんですかい?」困惑する犬吉。

「いいっていってるじゃない」

「いいワケねぇだろ!」

 といって、茂作は暴れだす。そう、いいワケがない。だって茂作は大藪順庵ではないのだから。自分が順庵ではないと疑いを晴らすように、茂作は勢い良く立ち上がってお涼に食って掛かる。

「オメェ、何を適当なこといったんだ! 女房なら女房らしく助けたらどうだい!」

「さぁ! このバカを早く!」

 と次の瞬間、鈍い音が聴こえて茂作は気絶した。傍らでは、げんこつを握って満更でもない表情を浮かべた犬吉が立っていたーー

「というワケなんだ」と満足げに犬吉は語る。

「というワケって……」当たり前だが、猿田は困惑を隠しきれない。

「ま、そういうワケだから、天馬さんのところへさっさと戻ろうや。ガハハハハ!」

 そういって犬吉はそのまま川越街道を登って歩き始めてしまった。猿田はそれを止めることも出来ず、ただただ困惑するばかり。

「行きましょうか」

 あっけらかんというお羊に猿田も驚きを隠せず、人通りの激しい街道の真ん中で思わず声を上げてしまう。

「えぇ!?」

 その声があまりに大きかったモノで、通行人も猿田をジロジロと見る。当然、変なモノを見るような目で。そんな回りの様子に気づいたお羊は、猿田の背中を押して川越街道を共に登って歩き出す。猿田も戸惑いを隠しきれない。

「え、いや、あの!……大丈夫かなぁ」

「大丈夫ですよ、絶対! 何かあったらわたしもお手伝いしますから、ね!」

「お手伝い、っていってもなぁ……」

「絶対大丈夫ですって! だって!」お羊は突然にことばを切ったかと思うと、今度は顔を真っ赤に染め上げる。「……だって、源之助様がいらっしゃるんですもの、ダメなワケがないじゃないですか……!」

 それでいいのかという気もするが、猿田は無理矢理自分を納得させるように吐息混じりに頷き、お羊と共に川越街道を登っていった。

「お羊」猿田が問い掛ける。「屋敷までは送るから、先戻っててくれないか?」

「え? それはいいですけど、屋敷まで行くのにまた何処かへ行かれるんですか?」

「まぁ……、ちょっとな……」

 猿田とお羊の足取りは曇天のように重い。

 【続く】
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登場人物紹介

どうも!    五条です!


といっても、作中の登場人物とかではなくて、作者なんですが。


ここでは適当に思ったことや経験したことをダラダラと書いていこうかな、と。


ま、そんな感じですわ。

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