【冷たい墓石で鬼は泣く~参拾睦~】
文字数 1,234文字
見たくはない顔というのは間違いなくある。
それはただ単にキライな相手の顔を見たくないという話ではない。例えていうなら、学問や剣術の成績があまり芳しくない時に父上にお会いしたくないというのと同じだった。
要はその時の状況次第で、どんな相手でも会いづらくなる瞬間も出てくるということだ。わたしが何をいいたいかわかるだろうか。
わたしは障子をゆっくりと引いた。そして、わたしはハッとした。
馬乃助が親分であろう男の傍で静かに酒を喰らっていたのだ。
最悪な状況だった。出来ることなら馬乃助には会いたくなかった。そもそも、馬乃助のフリをして屋敷に入り込んだというのに、肝心の本人がその場にいてはバレバレもいいところだった。終わった。わたしは自分の人生がゆっくりと静かな音を立てながら崩れ落ちていくような感覚に陥った。
これなら奥に引っ込んで帰ってきた三下が呆然とした表情を浮かべていた理由もわかる。馬乃助がやって来たと思ったら、馬乃助は親分と酒を喰らっている。そんな出来事に遭遇したらそんな反応にもなるだろう。
しかし、わたしが馬乃助でないとわかったにも関わらず、わたしをここまで通したのは何故なのだろうか。普通なら門前払いか、何処か知らない場所で殺されるかだろう。まさか、親分直々に始末するのか。それともーー
「本当に似てるなぁ」親分が感嘆した。「アンタ、こっちに来て一緒に飲めよ」
親分は手招きしてわたしに部屋の中へ入るよう促した。わたしは止まっていた。
「入れよ」馬乃助も続けていった。
わたしの横にはわたしを案内した三下の姿。懐に手を入れている様を見る限り、忍ばせた懐刀に手を掛けている可能性は十二分にあった。恐らくこの三下ひとりなら簡単に倒せるだろう。だが、問題は部屋の中にある。親分ではない。その堂々とした風格から見て、それなりの剣術の腕前なのだろうとは思ったが、問題はそこではない。
馬乃助ーー何よりもマズイのはこの男の存在だった。剣術はもちろん、柔術の腕も立つ馬乃助を相手に圧倒的に不利な状況下で勝てるワケなどーーそもそも、わたしだって実の弟を簡単に切れるワケがない。
わたしは囲まれていた。もはやここが生き地獄なのは火を見るより明らかだった。わたしは覚悟して部屋の中に入った。
「座れよ」
親分が目の前にある座布団を差しながらいった。わたしが躊躇っていると、三下がさっきまでの呆然として様子とは打って変わって乱暴にわたしの背中を押して座るようにさせた。だがーー
「客人に手荒なマネすんじゃねぇ!」
親分の怒声が響き渡った。そして沈黙が訪れ、三下の謝罪が飛んだ。
「......手荒なマネして申しワケねえ」親分がわたしを見上げていった。「どうぞお掛けになって下せえ。何か御用なんでしょう?」
わたしはおことばに甘えてゆっくりと座布団を横にどかして正座した。
「......何のおつもりかな?」
低く静かな親分の声がその場に響き渡った。わたしはゴクリと唾を飲んだ。
【続く】
それはただ単にキライな相手の顔を見たくないという話ではない。例えていうなら、学問や剣術の成績があまり芳しくない時に父上にお会いしたくないというのと同じだった。
要はその時の状況次第で、どんな相手でも会いづらくなる瞬間も出てくるということだ。わたしが何をいいたいかわかるだろうか。
わたしは障子をゆっくりと引いた。そして、わたしはハッとした。
馬乃助が親分であろう男の傍で静かに酒を喰らっていたのだ。
最悪な状況だった。出来ることなら馬乃助には会いたくなかった。そもそも、馬乃助のフリをして屋敷に入り込んだというのに、肝心の本人がその場にいてはバレバレもいいところだった。終わった。わたしは自分の人生がゆっくりと静かな音を立てながら崩れ落ちていくような感覚に陥った。
これなら奥に引っ込んで帰ってきた三下が呆然とした表情を浮かべていた理由もわかる。馬乃助がやって来たと思ったら、馬乃助は親分と酒を喰らっている。そんな出来事に遭遇したらそんな反応にもなるだろう。
しかし、わたしが馬乃助でないとわかったにも関わらず、わたしをここまで通したのは何故なのだろうか。普通なら門前払いか、何処か知らない場所で殺されるかだろう。まさか、親分直々に始末するのか。それともーー
「本当に似てるなぁ」親分が感嘆した。「アンタ、こっちに来て一緒に飲めよ」
親分は手招きしてわたしに部屋の中へ入るよう促した。わたしは止まっていた。
「入れよ」馬乃助も続けていった。
わたしの横にはわたしを案内した三下の姿。懐に手を入れている様を見る限り、忍ばせた懐刀に手を掛けている可能性は十二分にあった。恐らくこの三下ひとりなら簡単に倒せるだろう。だが、問題は部屋の中にある。親分ではない。その堂々とした風格から見て、それなりの剣術の腕前なのだろうとは思ったが、問題はそこではない。
馬乃助ーー何よりもマズイのはこの男の存在だった。剣術はもちろん、柔術の腕も立つ馬乃助を相手に圧倒的に不利な状況下で勝てるワケなどーーそもそも、わたしだって実の弟を簡単に切れるワケがない。
わたしは囲まれていた。もはやここが生き地獄なのは火を見るより明らかだった。わたしは覚悟して部屋の中に入った。
「座れよ」
親分が目の前にある座布団を差しながらいった。わたしが躊躇っていると、三下がさっきまでの呆然として様子とは打って変わって乱暴にわたしの背中を押して座るようにさせた。だがーー
「客人に手荒なマネすんじゃねぇ!」
親分の怒声が響き渡った。そして沈黙が訪れ、三下の謝罪が飛んだ。
「......手荒なマネして申しワケねえ」親分がわたしを見上げていった。「どうぞお掛けになって下せえ。何か御用なんでしょう?」
わたしはおことばに甘えてゆっくりと座布団を横にどかして正座した。
「......何のおつもりかな?」
低く静かな親分の声がその場に響き渡った。わたしはゴクリと唾を飲んだ。
【続く】