【苦悩と緊張のモラトリアム】
文字数 2,720文字
半端な時間ほどきついモノはない。
いってしまえば、何をするにしても半端というか、何をすればいいのかわからないような自由時間、いわばモラトリアム的な時間というのは、逆にしんどいだけだと思うのだ。
そう、人間は自由の中にこそ不自由を感じる生き物だ。逆にいえば、不自由の中にこそ自由を感じるということでもある。
このジレンマはある意味、人間というものを象徴していると思う。
空腹を知る者だからこそ、食の絶品さがわかる。時間を制限されるからこそ、高いパフォーマンスを見せることができる。足枷を繋がれたことのある者だからこそ自由のよさがわかる。
そう、人間はある程度縛られていたほうが、高いQOLを保つことができるのだ。
だからこそ、ニートは時間が有り余っているからいいねというのは間違いだったりする。
有り余った時間というのは、単なる不良債権になりかねない。冷蔵庫を埋める豊富な食材も、使いきれなければ腐ってしまう。
つまり、時間がありすぎても、余裕がありすぎてもダメで、だからこそニートというのは逆に生産性が落ちてしまうワケだ。
変な話、ニートは時間があっていいねぇ、というのは隣の芝が青いのと同じでしかない。時間がありすぎると、人間、何をしていいかわからず、結局何もせずに終わるのが殆どなのだ。
おまけに、余剰な時間は人に余計なことを考えさせ、無駄な不安を煽る。結局のところ、人はある程度忙しくしているほうがいいのかもしれないーー贅沢な話だけどな。
ただ、時にはすべてを捨て去るように、当てどもなくさまようのもいいかもしれない。何もしないよりかは、外の景色を見ていたほうが、精神的にはずっといいのだから。
さて、『遠征芝居篇』の第十二回である。あと少しで終わりだな。あらすじーー
「初回の公演が近づいていた。が、森ちゃんは体調最悪で、よっしーとゆうこは気が気でない。そんな中、場違いな余裕を見せていたのは五条氏ただひとりだけだった。五条氏は森ちゃんに不安はないといい聞かせつつ、本番までの時間を待ち続けるのだったーー」
とまぁ、こんな感じか。今回は初回公演と二回目の間のこと。じゃ、やってくーー
初回公演は何とかなった。
まぁ、初っぱなセリフを忘れてマズッたけど、何とかアドリブで繋ぎ、無難に初回公演をまっとうすることができた。
危なかった。唐突なセリフ忘れを思い出し、後になってから吐き気が込み上げてくる。おれは芝居を終えて、客出しを終えると改めて台本を見て、トチったセリフを確認した。
問題ない。多分、次は大丈夫だろうーー多分。
他のメンバーもどこか疲弊しているようだった。みんな、何だかんだトチった部分があったようだ。森ちゃんも緊張で顔が真っ青だったしな。
しかし、次の公演まで四時間ほどある。その間、余裕は十二分にあるワケだが、今さらそんなに時間を与えられたところで、やることはない。むしろ、その猶予は不安と緊張を煽るだけだった。
次はセリフをトチらないようにしなければ。緊張と不安がおれの神経に水滴を垂らす。うっすらとした吐き気が込み上げてくる。
何とかして、気分を紛らわせたかったが、やることはない。空虚なモラトリアム。空白のインターミッション。
そんな中、ウタゲの代表である下留さんが、
「せっかくだし、みんなで外の公園でも散歩しないか?」
と提案してくれた。誰も、この提案に反対する人はいなかった。シンプルにいい思い出にもなるだろうし、緊張を解すにはいい手段だとおれも思った。
みんなで外に出て公園を散歩する。ウタゲやデュオニソスという垣根を越えて、色んなメンバーで会話を交わし、それぞれ談笑する。
芝居の話はしなかった。キャストもスタッフも、みんな各々の緊張をわかっていたのかもしれない。結果として、この時間は自分にとっていいリラックスになった。
散歩の最後に、メンバー全員で記念写真を取り、リラックスの時間は終わりを告げた。
会場に戻って各々昼食を取る。それから一階で、キャスト、スタッフ入り交じって、適当に談笑をする。モラトリアムを共に過ごす仲間がいると、本当にこころ強いモノがある。
そんな感じで気づけば本番一時間前になっていた。おれはひとり二階の待合室に上がると、そこには今回写真の撮影を担当して下さっている『ジョニー』の姿があった。
ジョニーは四〇代半ば程の男性で、ガタイのいい非常に好感の持てる男性だった。
「やぁ、五条くん!」
おれはフランクな調子で挨拶を返した。ジョニーとは前回の顔合わせの時には会っていないのだけど、不思議とウマが合い、合間合間でよく話すようになっていた。
ちなみに、ウタゲの所属ではないのだけど、ゲストとしてはよく出るとのことだった。というか、この地域では、劇団の垣根みたいな柵はあまりないようだ。五村やその周辺は、劇団ごとの柵が多いモンで、羨ましい限りだった。
それからジョニーと今回の公演の話や好きな映画の話をし、時間を潰すと、本番三〇分前となり、ジョニーは撮影機材の準備のために一階へと降りていった。
それから少しひとりで時間を潰していると、今度は森ちゃんがやって来た。相変わらず緊張しているらしい。
「おぅ、大丈夫かい?」おれ訊ねた。
「多分、大丈夫、すかねぇ……」
森ちゃんのいい分からすると、やはり不安と緊張がすごいようだった。まぁ、仕方ない。それからふたり、二階で特にこれといった会話もすることなく、時間を潰した。
別に話さないワケじゃない。緊張感高まって、逆に話さないほうが良かったのだ。
ちなみによっしーとゆうこは一階でオーディエンスのおもてなしをしていて、そのまま芝居に入ることとなっていた。
おれはひとり、二階の窓から外の景色を眺めていた。オレンジとパープルの入り交じった美しい夕空がとても美しかった。
会場には続々とオーディエンスが来場しているようだった。そんな中ーー
「あっ」おれはいった。「たけしさんとさとちんがいたわ」
「あ、本当ですか?」
「うん、でもゆーへーはいねぇな」
たけしさん、さとちん、ゆーへー。この三人に関しては以前説明したから詳しい話は省くけど、早い話が『ブラスト』のメンバーだ。
「もしかしたら、別で来るのかもしれないですね」
それから更に時間が経ち、オープニング前となった。おれと森ちゃんは階段にてスタンバイ。森ちゃんは下を向いたまま黙り込んでいた。その背中は非常に弱々しく小さかった。
おれは森ちゃんの肩に手を掛け、
「心配すんなよ。初回が上手くいったんだ。同じことをやるだけだ。楽しもうぜ」
森ちゃんは静かに頷いた。
召集が掛かった。
開戦ーー
【続く】
いってしまえば、何をするにしても半端というか、何をすればいいのかわからないような自由時間、いわばモラトリアム的な時間というのは、逆にしんどいだけだと思うのだ。
そう、人間は自由の中にこそ不自由を感じる生き物だ。逆にいえば、不自由の中にこそ自由を感じるということでもある。
このジレンマはある意味、人間というものを象徴していると思う。
空腹を知る者だからこそ、食の絶品さがわかる。時間を制限されるからこそ、高いパフォーマンスを見せることができる。足枷を繋がれたことのある者だからこそ自由のよさがわかる。
そう、人間はある程度縛られていたほうが、高いQOLを保つことができるのだ。
だからこそ、ニートは時間が有り余っているからいいねというのは間違いだったりする。
有り余った時間というのは、単なる不良債権になりかねない。冷蔵庫を埋める豊富な食材も、使いきれなければ腐ってしまう。
つまり、時間がありすぎても、余裕がありすぎてもダメで、だからこそニートというのは逆に生産性が落ちてしまうワケだ。
変な話、ニートは時間があっていいねぇ、というのは隣の芝が青いのと同じでしかない。時間がありすぎると、人間、何をしていいかわからず、結局何もせずに終わるのが殆どなのだ。
おまけに、余剰な時間は人に余計なことを考えさせ、無駄な不安を煽る。結局のところ、人はある程度忙しくしているほうがいいのかもしれないーー贅沢な話だけどな。
ただ、時にはすべてを捨て去るように、当てどもなくさまようのもいいかもしれない。何もしないよりかは、外の景色を見ていたほうが、精神的にはずっといいのだから。
さて、『遠征芝居篇』の第十二回である。あと少しで終わりだな。あらすじーー
「初回の公演が近づいていた。が、森ちゃんは体調最悪で、よっしーとゆうこは気が気でない。そんな中、場違いな余裕を見せていたのは五条氏ただひとりだけだった。五条氏は森ちゃんに不安はないといい聞かせつつ、本番までの時間を待ち続けるのだったーー」
とまぁ、こんな感じか。今回は初回公演と二回目の間のこと。じゃ、やってくーー
初回公演は何とかなった。
まぁ、初っぱなセリフを忘れてマズッたけど、何とかアドリブで繋ぎ、無難に初回公演をまっとうすることができた。
危なかった。唐突なセリフ忘れを思い出し、後になってから吐き気が込み上げてくる。おれは芝居を終えて、客出しを終えると改めて台本を見て、トチったセリフを確認した。
問題ない。多分、次は大丈夫だろうーー多分。
他のメンバーもどこか疲弊しているようだった。みんな、何だかんだトチった部分があったようだ。森ちゃんも緊張で顔が真っ青だったしな。
しかし、次の公演まで四時間ほどある。その間、余裕は十二分にあるワケだが、今さらそんなに時間を与えられたところで、やることはない。むしろ、その猶予は不安と緊張を煽るだけだった。
次はセリフをトチらないようにしなければ。緊張と不安がおれの神経に水滴を垂らす。うっすらとした吐き気が込み上げてくる。
何とかして、気分を紛らわせたかったが、やることはない。空虚なモラトリアム。空白のインターミッション。
そんな中、ウタゲの代表である下留さんが、
「せっかくだし、みんなで外の公園でも散歩しないか?」
と提案してくれた。誰も、この提案に反対する人はいなかった。シンプルにいい思い出にもなるだろうし、緊張を解すにはいい手段だとおれも思った。
みんなで外に出て公園を散歩する。ウタゲやデュオニソスという垣根を越えて、色んなメンバーで会話を交わし、それぞれ談笑する。
芝居の話はしなかった。キャストもスタッフも、みんな各々の緊張をわかっていたのかもしれない。結果として、この時間は自分にとっていいリラックスになった。
散歩の最後に、メンバー全員で記念写真を取り、リラックスの時間は終わりを告げた。
会場に戻って各々昼食を取る。それから一階で、キャスト、スタッフ入り交じって、適当に談笑をする。モラトリアムを共に過ごす仲間がいると、本当にこころ強いモノがある。
そんな感じで気づけば本番一時間前になっていた。おれはひとり二階の待合室に上がると、そこには今回写真の撮影を担当して下さっている『ジョニー』の姿があった。
ジョニーは四〇代半ば程の男性で、ガタイのいい非常に好感の持てる男性だった。
「やぁ、五条くん!」
おれはフランクな調子で挨拶を返した。ジョニーとは前回の顔合わせの時には会っていないのだけど、不思議とウマが合い、合間合間でよく話すようになっていた。
ちなみに、ウタゲの所属ではないのだけど、ゲストとしてはよく出るとのことだった。というか、この地域では、劇団の垣根みたいな柵はあまりないようだ。五村やその周辺は、劇団ごとの柵が多いモンで、羨ましい限りだった。
それからジョニーと今回の公演の話や好きな映画の話をし、時間を潰すと、本番三〇分前となり、ジョニーは撮影機材の準備のために一階へと降りていった。
それから少しひとりで時間を潰していると、今度は森ちゃんがやって来た。相変わらず緊張しているらしい。
「おぅ、大丈夫かい?」おれ訊ねた。
「多分、大丈夫、すかねぇ……」
森ちゃんのいい分からすると、やはり不安と緊張がすごいようだった。まぁ、仕方ない。それからふたり、二階で特にこれといった会話もすることなく、時間を潰した。
別に話さないワケじゃない。緊張感高まって、逆に話さないほうが良かったのだ。
ちなみによっしーとゆうこは一階でオーディエンスのおもてなしをしていて、そのまま芝居に入ることとなっていた。
おれはひとり、二階の窓から外の景色を眺めていた。オレンジとパープルの入り交じった美しい夕空がとても美しかった。
会場には続々とオーディエンスが来場しているようだった。そんな中ーー
「あっ」おれはいった。「たけしさんとさとちんがいたわ」
「あ、本当ですか?」
「うん、でもゆーへーはいねぇな」
たけしさん、さとちん、ゆーへー。この三人に関しては以前説明したから詳しい話は省くけど、早い話が『ブラスト』のメンバーだ。
「もしかしたら、別で来るのかもしれないですね」
それから更に時間が経ち、オープニング前となった。おれと森ちゃんは階段にてスタンバイ。森ちゃんは下を向いたまま黙り込んでいた。その背中は非常に弱々しく小さかった。
おれは森ちゃんの肩に手を掛け、
「心配すんなよ。初回が上手くいったんだ。同じことをやるだけだ。楽しもうぜ」
森ちゃんは静かに頷いた。
召集が掛かった。
開戦ーー
【続く】