【丑寅は静かに嗤う~夜戦】
文字数 3,380文字
火の手が上がり、気づけば巨大な炎は真っ暗な夜を昼に変え、辺りは人の毛穴が見えるほどに明るくなっている。
十二鬼面の隠れ家は燃え盛り、そこら中から怒号と悲鳴が聴こえて来る。
ある者は消火活動に勤しみ、ある者はどうしたらいいかわからずに立ちすくみ、その場にてオロオロしている。火事の現場にて見える姿は残された三つの組の下級の盗賊が主で、幹部としては唯一辰巳だけが、
「ちょっとぉッ! 早く消火なさいッ! 早くッ! あーッ! 幹部の部屋に燃え移るぅーッ! 早く早くッ!」
と指示をしつつも、自分が居つける場所への心配を口にして頭を抱えている。その様は幹部という肩書きだけがひとり歩きしているかの如く情けのないモノだった。
「どうしてこんなことになったのよぉ!?」
そう喚く辰巳のその奥で、まるで幽霊のように肩をダランと垂らして立ち尽くしている羊の面の者の姿がある。そんな何もしていない羊の面を、辰巳が見逃さすワケがなく、キリッとした鋭い視線で羊の面を捉えるとーー
「アンタァッ! 何してるのぉッ!」羊の面のほうへと歩み寄る辰巳。「そんなことしてないで、ちょっとはーー」
閃光が走る。走ったように光がきらめく。光は仮面を裂き、衣服を破る。面が斜めに割れ、驚愕に満ちた男の顔が露になる。
地面に落ちるはふたつに割れた辰巳の面ーーバタ臭い顔のつくりに顎回りと口回りには太くて固そうな髭、トゲのような眉毛。如何にもこのゴツい男こそが、辰巳の正体だった。
だが、そこまでだった。辰巳は受け身も取らずにうしろに倒れる。そのまま大の字になり、辰巳は動かなくなる。
倒れた辰巳に、それを見下ろす羊の面ーーその右手には刃がうっすらと血で濡れた刀が握られている。羊の面は履いている黒い袴で血を拭い取る。黒の袴がうっすらと血で染まり、光沢を持って炎に照らされる。
違和感ーー刀身を拭おうとすると刃が袴に引っ掛かる。血を拭い終えると、羊の面は刀を眺める。切先から物打、鎬から三寸ほど、刃こぼれが酷く、完全にくたびれている。
「……あと少しだ」
羊の面は長年連れ添った相棒に労りのことばを掛けるように優しくいうと、静かに刀を鞘に納める。その鞘も、棟の面がごっそり削れて今にも割れてしまいそうだった。
例え狂犬だとも、年老いてしまえばくたびれる。そんな当たり前の話を他所に、羊の面は物陰に隠れて隠れ家の表口を眺め、そして飛び交う悲鳴の中で耳を澄ませる。
表口に立つ見張りはもはや見張りとして機能しておらず、消火を手伝うべきか、そのまま見張りを続けるべきかを迷っているようだった。
それが命取りだった。
どっちつかずで右往左往していた見張りふたりは、突然大きく仰け反り、倒れる。だが、それに気づく者は、物陰にてその様子を眺めている羊の面だけ。大火事がたったふたりの死から目を逸らさせたのだ。そしてーー
表口から駆け入って来るふたり組ーーひとりは牛の面を被った細身の者で、もうひとりは辰の面を被った太っちょ。ふたりの右手にはやはり刀が握られており、表口を襲撃したのはこのふたり、ということを物語っていた。
牛の面の細身と辰の面の太っちょのふたりは、表口から入ると、消火活動に夢中で完全に無防備な他の面の者たちに次々と斬り掛かる。
ひとり、ふたり、三人、四人……次から次へと倒れて行く面を被った盗賊たち。それに合わせて、先ほどまで様子を伺っていた羊の面の者が物陰から飛び出し、混乱の渦中に更なる混沌をもたらした牛の面と辰の面に加勢する。
反旗を翻す三人の面の者たちーーいや、反旗など翻してはいない。隠れ家を襲撃したこの三人は、紛れもない桃川たちなのだから。
羊の面は、いうまでもなく猿田源之助だった。辰の面の者は、その太っちょな体型からわかるように、犬蔵だ。そして、最後、細身の牛の面の正体こそが桃川だった。
三人の襲撃に早くに気づいていた盗賊もいたが、火事により燃え盛る喧騒によって、襲撃を伝える声は微かに忍ぶ闇の中へと飲まれ、結局、盗賊連中全体が三人の襲撃に気づいたのは十人以上の盗賊が屍となって地面に転がってからだった。
だが、そうなってからではもう遅い。刀を抜いたはいいが、突然の出来事に気持ちを切り換えることが出来ずに混乱したまま戦闘体勢になることもなく斬られていく者が多発。
気づけば、敵の軍勢も残り十人程度のところにまで落ち込んでいた。
だが、三人対十人、単純計算で考えてもひとりで三人強の相手をしなければならない。
桃川や猿田のような腕に覚えのある者でも三人を同時に相手しなければならないとなると楽ではなかったし、況してや犬蔵ともなれば三人相手にいっぱいいっぱいになりながら歯を食い縛りつつも必死になって戦っていた。
力任せに刀をブン回す犬蔵。殺しては刀が折れ、その度に死んだ盗賊の刀を拾ってはまた殺し、また刀が折れる。そして、刀を取り換えーーそれを繰り返しながら必死に戦う。
犬蔵の身体に少しずつ刀の斬りキズがついていく。だが犬蔵は歯を食い縛りながら、向かって来る仮面たちを斬り捨てて行く。
桃川と猿田も無傷で何とか凌いでいるが、とはいえ、その戦い振りには疲れが見える。刀の振りが遅くなっている。いくら腰から刀を振っているとはいえ、乱戦の中で疲れが溜まれば、腰も少なからず御座なりになる。
桃川は対三人。腕がいいとはいえ、三人相手では反撃する前に次の一撃が三方向のいずれから来るせいで、凌ぐので精一杯のよう。
桃川でその状況なのだから、一度に四人を相手にしている猿田はもっと苦しい。四方向から来る敵の攻撃を受け、耐え、受け流し、反撃し、また受け、耐え、凌ぎを繰り返す。無限の猛攻。強い一撃を敵から貰い、何とか刀で受けるも、勢いで突き飛ばされる。
背後、上段から猿田を斬りつけようとする盗賊の姿がある。
羊の面に隠れた猿田の顔、面の通し穴から絶望に満ちた猿田の目が見える。
「旦那ァッ!」犬蔵が叫ぶ。
が、次から次へと来る猛攻によって、犬蔵の声はすぐに掻き消される。
死が猿田源之助を捉えようとするーー
その時、上段に構えた盗賊の動きがピタリと止まった。
かと思いきや、そのまま前に倒れ込む。猿田はそのゆったりとした倒れ込みをすぐさまかわし、難を逃れる。
倒れた盗賊、その背中には一本の矢が刺さっている。
ハッとする猿田。他三人の盗賊もワケもわからずといった様子で動きが止まる。
「何、ボーッと突っ立ってんのッ! 敵はまだ残ってるんだよッ!」
女の声。高いところから聴こえる。猿田が見上げる。高くそびえる櫓のひとつ。そこにーー
弓を携えたお雉の姿がある。
「お雉!」猿田。「すまない!」
「謝ってる暇なんかないから! 次が来るよッ!」
猿田は我に返ったように背後を振り返り、次の攻撃を受ける。それを敵の攻撃を受けつつ眺める犬蔵、その顔にはささやかな笑みが浮かぶ。
「……大丈夫、あたしがついてるから」
ふとお雉が囁く。
「え?」
そう答えるのは、お京だ。お京は矢立に納まった矢の束を手に、お雉の横にて屈んでいる。お雉はそんなお京を見て微笑むと、
「……何でもないよ」それから再び下を見下ろし、「矢を頂戴! 戦はこれからだよ!」
「わ、わかっただ!」
お京は矢をお雉に渡す。
ひとり、またひとりをお雉が射ぬいていく。
桃川と犬蔵の相手となる盗賊は、それぞれふたりずつになっている。そして、猿田の相手は気づけばひとりーーふたりはお雉の矢で射ぬかれ、ひとりは猿田に斬られ、そしてもうひとりも、すぐに猿田に斬り捨てられる。
漸く手が空いた猿田は桃川と犬蔵の助太刀に入ろうとふたりのほうへ走ろうとする。だが、
「猿ちゃんは、隠れ家の奥へ向かって! ふたりのことはあたしが助太刀するから!」
お雉のひとことに猿田は立ち止まる。
「任せろよ! おれはもう負け犬じゃねぇんだ!」犬蔵は叫ぶ。
「猿田さん、行って下さい! ここはわたしと犬蔵さん、お雉さんに任せて下さい!」桃川。
三人のことばを聞いた猿田は、
「……わかった! 頼んだぞ!」
そういってうしろを向き、隠れ家の奥へと走り出す。そして、小声でひとことーー
「死ぬなよ……」
と呟いた。
【続く】
十二鬼面の隠れ家は燃え盛り、そこら中から怒号と悲鳴が聴こえて来る。
ある者は消火活動に勤しみ、ある者はどうしたらいいかわからずに立ちすくみ、その場にてオロオロしている。火事の現場にて見える姿は残された三つの組の下級の盗賊が主で、幹部としては唯一辰巳だけが、
「ちょっとぉッ! 早く消火なさいッ! 早くッ! あーッ! 幹部の部屋に燃え移るぅーッ! 早く早くッ!」
と指示をしつつも、自分が居つける場所への心配を口にして頭を抱えている。その様は幹部という肩書きだけがひとり歩きしているかの如く情けのないモノだった。
「どうしてこんなことになったのよぉ!?」
そう喚く辰巳のその奥で、まるで幽霊のように肩をダランと垂らして立ち尽くしている羊の面の者の姿がある。そんな何もしていない羊の面を、辰巳が見逃さすワケがなく、キリッとした鋭い視線で羊の面を捉えるとーー
「アンタァッ! 何してるのぉッ!」羊の面のほうへと歩み寄る辰巳。「そんなことしてないで、ちょっとはーー」
閃光が走る。走ったように光がきらめく。光は仮面を裂き、衣服を破る。面が斜めに割れ、驚愕に満ちた男の顔が露になる。
地面に落ちるはふたつに割れた辰巳の面ーーバタ臭い顔のつくりに顎回りと口回りには太くて固そうな髭、トゲのような眉毛。如何にもこのゴツい男こそが、辰巳の正体だった。
だが、そこまでだった。辰巳は受け身も取らずにうしろに倒れる。そのまま大の字になり、辰巳は動かなくなる。
倒れた辰巳に、それを見下ろす羊の面ーーその右手には刃がうっすらと血で濡れた刀が握られている。羊の面は履いている黒い袴で血を拭い取る。黒の袴がうっすらと血で染まり、光沢を持って炎に照らされる。
違和感ーー刀身を拭おうとすると刃が袴に引っ掛かる。血を拭い終えると、羊の面は刀を眺める。切先から物打、鎬から三寸ほど、刃こぼれが酷く、完全にくたびれている。
「……あと少しだ」
羊の面は長年連れ添った相棒に労りのことばを掛けるように優しくいうと、静かに刀を鞘に納める。その鞘も、棟の面がごっそり削れて今にも割れてしまいそうだった。
例え狂犬だとも、年老いてしまえばくたびれる。そんな当たり前の話を他所に、羊の面は物陰に隠れて隠れ家の表口を眺め、そして飛び交う悲鳴の中で耳を澄ませる。
表口に立つ見張りはもはや見張りとして機能しておらず、消火を手伝うべきか、そのまま見張りを続けるべきかを迷っているようだった。
それが命取りだった。
どっちつかずで右往左往していた見張りふたりは、突然大きく仰け反り、倒れる。だが、それに気づく者は、物陰にてその様子を眺めている羊の面だけ。大火事がたったふたりの死から目を逸らさせたのだ。そしてーー
表口から駆け入って来るふたり組ーーひとりは牛の面を被った細身の者で、もうひとりは辰の面を被った太っちょ。ふたりの右手にはやはり刀が握られており、表口を襲撃したのはこのふたり、ということを物語っていた。
牛の面の細身と辰の面の太っちょのふたりは、表口から入ると、消火活動に夢中で完全に無防備な他の面の者たちに次々と斬り掛かる。
ひとり、ふたり、三人、四人……次から次へと倒れて行く面を被った盗賊たち。それに合わせて、先ほどまで様子を伺っていた羊の面の者が物陰から飛び出し、混乱の渦中に更なる混沌をもたらした牛の面と辰の面に加勢する。
反旗を翻す三人の面の者たちーーいや、反旗など翻してはいない。隠れ家を襲撃したこの三人は、紛れもない桃川たちなのだから。
羊の面は、いうまでもなく猿田源之助だった。辰の面の者は、その太っちょな体型からわかるように、犬蔵だ。そして、最後、細身の牛の面の正体こそが桃川だった。
三人の襲撃に早くに気づいていた盗賊もいたが、火事により燃え盛る喧騒によって、襲撃を伝える声は微かに忍ぶ闇の中へと飲まれ、結局、盗賊連中全体が三人の襲撃に気づいたのは十人以上の盗賊が屍となって地面に転がってからだった。
だが、そうなってからではもう遅い。刀を抜いたはいいが、突然の出来事に気持ちを切り換えることが出来ずに混乱したまま戦闘体勢になることもなく斬られていく者が多発。
気づけば、敵の軍勢も残り十人程度のところにまで落ち込んでいた。
だが、三人対十人、単純計算で考えてもひとりで三人強の相手をしなければならない。
桃川や猿田のような腕に覚えのある者でも三人を同時に相手しなければならないとなると楽ではなかったし、況してや犬蔵ともなれば三人相手にいっぱいいっぱいになりながら歯を食い縛りつつも必死になって戦っていた。
力任せに刀をブン回す犬蔵。殺しては刀が折れ、その度に死んだ盗賊の刀を拾ってはまた殺し、また刀が折れる。そして、刀を取り換えーーそれを繰り返しながら必死に戦う。
犬蔵の身体に少しずつ刀の斬りキズがついていく。だが犬蔵は歯を食い縛りながら、向かって来る仮面たちを斬り捨てて行く。
桃川と猿田も無傷で何とか凌いでいるが、とはいえ、その戦い振りには疲れが見える。刀の振りが遅くなっている。いくら腰から刀を振っているとはいえ、乱戦の中で疲れが溜まれば、腰も少なからず御座なりになる。
桃川は対三人。腕がいいとはいえ、三人相手では反撃する前に次の一撃が三方向のいずれから来るせいで、凌ぐので精一杯のよう。
桃川でその状況なのだから、一度に四人を相手にしている猿田はもっと苦しい。四方向から来る敵の攻撃を受け、耐え、受け流し、反撃し、また受け、耐え、凌ぎを繰り返す。無限の猛攻。強い一撃を敵から貰い、何とか刀で受けるも、勢いで突き飛ばされる。
背後、上段から猿田を斬りつけようとする盗賊の姿がある。
羊の面に隠れた猿田の顔、面の通し穴から絶望に満ちた猿田の目が見える。
「旦那ァッ!」犬蔵が叫ぶ。
が、次から次へと来る猛攻によって、犬蔵の声はすぐに掻き消される。
死が猿田源之助を捉えようとするーー
その時、上段に構えた盗賊の動きがピタリと止まった。
かと思いきや、そのまま前に倒れ込む。猿田はそのゆったりとした倒れ込みをすぐさまかわし、難を逃れる。
倒れた盗賊、その背中には一本の矢が刺さっている。
ハッとする猿田。他三人の盗賊もワケもわからずといった様子で動きが止まる。
「何、ボーッと突っ立ってんのッ! 敵はまだ残ってるんだよッ!」
女の声。高いところから聴こえる。猿田が見上げる。高くそびえる櫓のひとつ。そこにーー
弓を携えたお雉の姿がある。
「お雉!」猿田。「すまない!」
「謝ってる暇なんかないから! 次が来るよッ!」
猿田は我に返ったように背後を振り返り、次の攻撃を受ける。それを敵の攻撃を受けつつ眺める犬蔵、その顔にはささやかな笑みが浮かぶ。
「……大丈夫、あたしがついてるから」
ふとお雉が囁く。
「え?」
そう答えるのは、お京だ。お京は矢立に納まった矢の束を手に、お雉の横にて屈んでいる。お雉はそんなお京を見て微笑むと、
「……何でもないよ」それから再び下を見下ろし、「矢を頂戴! 戦はこれからだよ!」
「わ、わかっただ!」
お京は矢をお雉に渡す。
ひとり、またひとりをお雉が射ぬいていく。
桃川と犬蔵の相手となる盗賊は、それぞれふたりずつになっている。そして、猿田の相手は気づけばひとりーーふたりはお雉の矢で射ぬかれ、ひとりは猿田に斬られ、そしてもうひとりも、すぐに猿田に斬り捨てられる。
漸く手が空いた猿田は桃川と犬蔵の助太刀に入ろうとふたりのほうへ走ろうとする。だが、
「猿ちゃんは、隠れ家の奥へ向かって! ふたりのことはあたしが助太刀するから!」
お雉のひとことに猿田は立ち止まる。
「任せろよ! おれはもう負け犬じゃねぇんだ!」犬蔵は叫ぶ。
「猿田さん、行って下さい! ここはわたしと犬蔵さん、お雉さんに任せて下さい!」桃川。
三人のことばを聞いた猿田は、
「……わかった! 頼んだぞ!」
そういってうしろを向き、隠れ家の奥へと走り出す。そして、小声でひとことーー
「死ぬなよ……」
と呟いた。
【続く】