【冷たい墓石で鬼は泣く~拾弐~】
文字数 2,446文字
空気がなびけば木の葉も落ちる。
とてつもない怒号が響く。それも仕方のない話だった。何故なら、わたしがバカなことをやらかしたのが、何よりもマズかったのだから。
昼間、わたしが思わずおはるちゃんに「好きだ」と叫んでしまったあの一件は、あっという間にウワサとして広がった。当たり前だ。アレだけ人通りの多いところで、あんな大声を出したのだから、まず目立たないワケがない。
おはるちゃんは困惑していた。そもそも身分の違う者にあんなことをいわれれば、まずどうしていいかわからなくなるのは当たり前だろう。結果、おはるちゃんは顔を真っ赤にして店の奥へと引っ込んでしまった。
次に赤面したのは、ひとり取り残されたわたしだった。まるでその場の空気が止まったようだった。町行く通行人の中には足を止めてわたしのほうを見てくる者もいた。
そして、その中にわたしと父上の知人がいたとのことで、その醜態はいっぺんにして父上の耳に入ることとなった。
となれば後はおわかりだろう。そう、わたしは屋敷に帰ってすぐ父上に呼び出され、とてつもなく大きな怒号を浴びせられたということだ。
「貴様は自分の立場がわかっているのか!?」
まるで鬼のように顔を真っ赤にした父上がいう。そんなことはわかっていた。だからこそ想いを忍ばせていたというのに。こんなことになったのは、すべて馬乃助のせいだ。ヤツが変に絡んで来なければ、こんなことには……。
それから父上の説教は一刻ほど続いた。正座して痺れた足は、いつも以上に震えが止まらなかった。バカなことをした。そう思わざるを得なかった。大体、あのような恋ははじめから成立することなどなかったのだ。
結果として、わたしは馬乃助に恥を掻かされてしまったというワケだ。
説教が終わると、わたしは失意の中、父上のいた部屋を後にした。
「随分と絞られたみてぇだな」
何かと思い視線を向けると、そこには柱に身体を預けながら腕を組んで立っている馬乃助がいた。まるでわたしをバカにしている、そんなほくそ笑んだ表情にわたしは怒りを覚えた。
わたしは父上に聴かれてはならないと思い、半ば無理矢理、馬乃助を引っ張って行った。
「おいおい、何すんだよ?」
馬乃助の声は余裕に満ちていた。そもそも馬乃助の腕を掴むという時点でわたしは愚かだった。馬乃助からしたら、武術的に格下のわたしに腕など取られたところで、簡単に返せてしまう。それをしないということは、馬乃助は馬乃助でわたしに用があるということなのだろう。
わたしは自分の部屋まで馬乃助を引っ張って行くと、そのまま馬乃助を部屋の真ん中に座らせ、ピシャリと障子を閉めた。
真っ暗な部屋。そこには馬乃助の姿が影となって見えるだけだった。
「灯りはつけねぇのかよ」と馬乃助。
わたしはうるさいと一蹴した。灯りを点けなかったのは、そんなことよりもまずは馬乃助に用があったこと、そして父上たちの目につきたくなかったことが理由だった。優等な劣等である馬乃助を父上は良く思っていない。だが、その才がホンモノなのはいうまでもなく、父上もどうにも馬乃助を怒りづらかったのだろう。
「夜這いなら別のヤツとやってくれ。おれは男と寝る趣味はねぇんでな」
頭に血が昇る思いだった。だが、ここで騒いではまた父上の耳に届いてしまう。わたしは吐き出そうとしたことばをいったん飲み込み、そしてゆっくりと再び飲み込んだことばを静かにこぼし始めた。
「……何故、あのようなことをした?」
「あ? あのようなことって?」
「とぼけるな……ッ! 茶屋でおはるちゃんに因縁をつけたことについてだ……ッ!」
「あの娘、おはるっていうのか」
「そんなことはどうでもいい……ッ! 何故あのようなことをしたんだと訊いてるんだッ!」
「何故って、別に理由なんかねぇだろ」
「ウソをつくな! わたしに恥を掻かせるためにあんなことをしたのだろう」
「はぁ?」月明かりに浮かび上がる馬乃助の姿、その見えない表情が怒りに歪んだように見えた。「テメェよぉ、何をバカなこといってんだ? テメェがあの娘を好いてんのはマジなんじゃねぇのか。でもよ、今のテメェの話を聴いてると、まるであの娘を好いてることが恥ずべきことみたいじゃねぇか。どうなんだよ?」
馬乃助のいう通りだった。だが、わたしの思いはそんな簡単に済ませられるモノではなかった。わたしは、強がるしかなかった。
「……だとしても、あのようなやり方、彼女に失礼だろう?」
「テメェよぉ……。ひとつ訊きてぇんだけど、テメェは一体、何をしたいんだ?」
わたしは呆気に取られた。わたし自身、何をしたいか。そんなことはそう聴かれるまで、まるで意識していなかった。いや、意識しないようにしていたというのが正しいか。だが、わたしはその問いに対してことばを失った。
「……何って、わたしは牛野家の長男だぞ」
「だから?」
「わたしには長男としての義務がある。次男の貴様とは違うんだよ」
「ハッ! 下らねぇ!」
「下らない……、だとぉ……?」
「下らねぇだろ。テメェはこの屋敷の長男だから、自分を家紋という張り付け台に縛り付けて晒し者にされるがままになるってんだからな」
わたしは怒りを抑えて暗闇に浮かび上がる馬乃助の姿を見据えた。馬乃助は止まらなかった。
「どうなんだよ、……あぁ? テメェは家紋に縛られてまったくどんなヤツかもわからねぇ何処ぞの姫君と婚姻出来ればそれでいいのか?」
そんなことない。そう正直にいえれば、どれほど楽だったろうか。
「テメェは何をやっても中途半端。学問も剣術も、色恋もな。テメェは家紋という重石を背負いながら、何とかその石を都合のいい形で自分のモノだと主張できるような形を保てればいいなと考えているだけだ。突っ込むこともしなければ、退くこともしない。ただ傍観しているだけ。そんなヤツが何かを手にすることなんか出来るワケねぇだろ。あぁ?」
わたしはことばを失った。
【続く】
とてつもない怒号が響く。それも仕方のない話だった。何故なら、わたしがバカなことをやらかしたのが、何よりもマズかったのだから。
昼間、わたしが思わずおはるちゃんに「好きだ」と叫んでしまったあの一件は、あっという間にウワサとして広がった。当たり前だ。アレだけ人通りの多いところで、あんな大声を出したのだから、まず目立たないワケがない。
おはるちゃんは困惑していた。そもそも身分の違う者にあんなことをいわれれば、まずどうしていいかわからなくなるのは当たり前だろう。結果、おはるちゃんは顔を真っ赤にして店の奥へと引っ込んでしまった。
次に赤面したのは、ひとり取り残されたわたしだった。まるでその場の空気が止まったようだった。町行く通行人の中には足を止めてわたしのほうを見てくる者もいた。
そして、その中にわたしと父上の知人がいたとのことで、その醜態はいっぺんにして父上の耳に入ることとなった。
となれば後はおわかりだろう。そう、わたしは屋敷に帰ってすぐ父上に呼び出され、とてつもなく大きな怒号を浴びせられたということだ。
「貴様は自分の立場がわかっているのか!?」
まるで鬼のように顔を真っ赤にした父上がいう。そんなことはわかっていた。だからこそ想いを忍ばせていたというのに。こんなことになったのは、すべて馬乃助のせいだ。ヤツが変に絡んで来なければ、こんなことには……。
それから父上の説教は一刻ほど続いた。正座して痺れた足は、いつも以上に震えが止まらなかった。バカなことをした。そう思わざるを得なかった。大体、あのような恋ははじめから成立することなどなかったのだ。
結果として、わたしは馬乃助に恥を掻かされてしまったというワケだ。
説教が終わると、わたしは失意の中、父上のいた部屋を後にした。
「随分と絞られたみてぇだな」
何かと思い視線を向けると、そこには柱に身体を預けながら腕を組んで立っている馬乃助がいた。まるでわたしをバカにしている、そんなほくそ笑んだ表情にわたしは怒りを覚えた。
わたしは父上に聴かれてはならないと思い、半ば無理矢理、馬乃助を引っ張って行った。
「おいおい、何すんだよ?」
馬乃助の声は余裕に満ちていた。そもそも馬乃助の腕を掴むという時点でわたしは愚かだった。馬乃助からしたら、武術的に格下のわたしに腕など取られたところで、簡単に返せてしまう。それをしないということは、馬乃助は馬乃助でわたしに用があるということなのだろう。
わたしは自分の部屋まで馬乃助を引っ張って行くと、そのまま馬乃助を部屋の真ん中に座らせ、ピシャリと障子を閉めた。
真っ暗な部屋。そこには馬乃助の姿が影となって見えるだけだった。
「灯りはつけねぇのかよ」と馬乃助。
わたしはうるさいと一蹴した。灯りを点けなかったのは、そんなことよりもまずは馬乃助に用があったこと、そして父上たちの目につきたくなかったことが理由だった。優等な劣等である馬乃助を父上は良く思っていない。だが、その才がホンモノなのはいうまでもなく、父上もどうにも馬乃助を怒りづらかったのだろう。
「夜這いなら別のヤツとやってくれ。おれは男と寝る趣味はねぇんでな」
頭に血が昇る思いだった。だが、ここで騒いではまた父上の耳に届いてしまう。わたしは吐き出そうとしたことばをいったん飲み込み、そしてゆっくりと再び飲み込んだことばを静かにこぼし始めた。
「……何故、あのようなことをした?」
「あ? あのようなことって?」
「とぼけるな……ッ! 茶屋でおはるちゃんに因縁をつけたことについてだ……ッ!」
「あの娘、おはるっていうのか」
「そんなことはどうでもいい……ッ! 何故あのようなことをしたんだと訊いてるんだッ!」
「何故って、別に理由なんかねぇだろ」
「ウソをつくな! わたしに恥を掻かせるためにあんなことをしたのだろう」
「はぁ?」月明かりに浮かび上がる馬乃助の姿、その見えない表情が怒りに歪んだように見えた。「テメェよぉ、何をバカなこといってんだ? テメェがあの娘を好いてんのはマジなんじゃねぇのか。でもよ、今のテメェの話を聴いてると、まるであの娘を好いてることが恥ずべきことみたいじゃねぇか。どうなんだよ?」
馬乃助のいう通りだった。だが、わたしの思いはそんな簡単に済ませられるモノではなかった。わたしは、強がるしかなかった。
「……だとしても、あのようなやり方、彼女に失礼だろう?」
「テメェよぉ……。ひとつ訊きてぇんだけど、テメェは一体、何をしたいんだ?」
わたしは呆気に取られた。わたし自身、何をしたいか。そんなことはそう聴かれるまで、まるで意識していなかった。いや、意識しないようにしていたというのが正しいか。だが、わたしはその問いに対してことばを失った。
「……何って、わたしは牛野家の長男だぞ」
「だから?」
「わたしには長男としての義務がある。次男の貴様とは違うんだよ」
「ハッ! 下らねぇ!」
「下らない……、だとぉ……?」
「下らねぇだろ。テメェはこの屋敷の長男だから、自分を家紋という張り付け台に縛り付けて晒し者にされるがままになるってんだからな」
わたしは怒りを抑えて暗闇に浮かび上がる馬乃助の姿を見据えた。馬乃助は止まらなかった。
「どうなんだよ、……あぁ? テメェは家紋に縛られてまったくどんなヤツかもわからねぇ何処ぞの姫君と婚姻出来ればそれでいいのか?」
そんなことない。そう正直にいえれば、どれほど楽だったろうか。
「テメェは何をやっても中途半端。学問も剣術も、色恋もな。テメェは家紋という重石を背負いながら、何とかその石を都合のいい形で自分のモノだと主張できるような形を保てればいいなと考えているだけだ。突っ込むこともしなければ、退くこともしない。ただ傍観しているだけ。そんなヤツが何かを手にすることなんか出来るワケねぇだろ。あぁ?」
わたしはことばを失った。
【続く】