【藪医者放浪記~拾壱~】
文字数 2,257文字
小江戸と呼ばれる川越も街の外れには少しばかり荒廃した場所が存在する。
それは一番街の堺町、その外れにある。いくら将軍家御用達の土地とはいえ、完全に整備されていたかというとそういうことでもなく、江戸の街と同様に、街の中には当然のように善人もいれば悪人もいるというワケだ。
銀次の一家の屋敷があったのはそんな場所だった。一番街は賑やかで明るく平穏な雰囲気があるにも関わらず、その場所は人通りは殆どなく、それどころか歩いているのは見るからにヤクザもんとわかるような強面ばかり。
そこは川越の中でも異端な場所で、人々からは一番街から大きく外れているという理由から『九十九街道』と呼ばれていた。
銀次はそんな九十九街道の中でもまあまあな勢力を持った野武士の集団で、街道の中でも随分と顔の利く立場にいた。
九十九街道の入り口は夏場とは思えないほどに乾いている。やや冷たい風が吹き、砂塵が風に乗って吹き上がったかと思うと、千切れた死人の足を咥えた野良犬が、門前を横切るという、まるで幽霊のようにボウッと佇んでいるような街並みが非常に不気味だった。
そんな九十九街道の入り口に佇む者の姿がある。草鞋を履き、大きな笠を被っている。腰元には長ドスと呼ばれる、刀としては短めだが、短刀と呼ぶには長すぎる得物が落として差してある。背中には風呂敷が巻かれ、風に靡いている。一見して渡世人のような風貌をしたその者は、笠の下で口許を歪める。
「ほんと、いつ来ても酷いところだね、ここは。新河岸のほうがずっとマシだよ」
渡世人らしき者はそういって笠を軽く持ち上げる。と、その顔は、
紛れもないお雉だった。
新河岸というのは、川越の外れ。すなわちお雉が夜鷹として日々糊口を凌いでいる場所である。夜鷹の活動場所ということもあって、その雰囲気は異様で、来る面々も可笑しな連中が多く治安も決して良いとはいえないが、間違いなくこの九十九街道よりかは遥かにマシだった。
『いくら猿ちゃんの頼みとはいえ、ねぇ。化粧もしないで、こんな物騒な場所に乙女を送り込むなんて、どうかしてるわ』
そうこころの中で愚痴りながらも、お雉は九十九街道へと足を踏み入れる。
通りのあちこちには顔を真っ赤にして寝ている者がいたり、死んでいるのか壁に背を預けて座ったまま動かない者、野良犬に服を咥えられ引っ張られる者がいたりと異様な光景が広がっている。お雉はそれに対して嫌悪感を全面に出した表情を浮かべる。
『ここでやっていく自信、なくなって来た』
後悔がお雉の感情をジットリと濡らして行く。だが、これも仕事のひとつ。諦観だけが、お雉に仕事するように促し、慰める。
「よぉ、おめぇさん、何してるんだい?」
突然、お雉は声を掛けられる。目の前には見るからに柄の悪いチンピラが五人も並んでいる。みな、一様に袴ははかず、ヒョロヒョロの者からでっぷりと太った者と色々いる。
「何って、ただ立ち止まってるだけだけど」お雉のことばに、五人の男はバカ笑いする。「あれ、何か可笑しなこといった?」
「可笑しいも何も、ここで立ちんぼするってことは『銭とお命を御献上致します』ってことなんだよ。知らねぇのか?」
五人の中の中心、引き締まった身体に深緑の着物を着た如何にも集団の頭といった様子の男がいう。が、お雉はフッと笑って見せると、
「知らないねぇ。あたし……、あっしゃこんな掃き溜めみたいな街は初めてなんでね」
「何だと、テメェ、こらぁ!」
五人の中でも最も太った男がそういってお雉に突っ掛かろうとするも、深緑の着物の男に止められる。それを見てお雉は、
『あらら、ちょっといい過ぎちゃったか。でも、どうしよう。こんなことしてる場合じゃないし、ひとりで五人に勝てるほど、あたしの剣の腕は優れていないし……』
「おい、テメェ。そんな格好して、本当は銀次の一家の遣いなんじゃねぇのか!?」
五人組の中で一番ほっそりした男がいう。銀次一家の遣い。そのことばに、お雉は、
「違うけど、遣いってどういうこと?」
「とぼけんじゃねぇ! いい加減因縁つけるのも大概にしやがれ!」
とほっそりとした男は刀を抜き、今にもお雉に飛び掛かって来そう。それに同調するように深緑の着物の男以外が刀を抜く。
「止めろ」深緑の着物の男がいう。
だが、そのことばはヒョロヒョロの男には届かなかったらしく、そのままお雉に飛び掛かってしまう。が、次の瞬間にはヒョロヒョロの男は袈裟を切られてそのまま地面に崩れ落ちる。
お雉はいつの間にか抜いていた長ドスを片手に佇んでいる。
「何、あた……、あっしとやるっていうの?いいよ。掛かっておいで」
お雉のことばに後退する三人の刀を抜いた雑魚。が、身を投げるように三人次々とお雉に掛かって行く。が、瞬間の出来事。三人の身体にはそれぞれ二本の切り傷が走り、そのまま屍となって地面に倒れ込んでしまった。残るは深緑の着物を着た男がひとり。
「どう? 仲間は死んじゃったけど、アンタもあた……、あっしとやり合う?」
「オメェ、中々やるじゃねぇか」
深緑の着物を着た男はニヤリと笑う。その顔には怒りはなく、何処か不敵な印象がある。
「……まぁね」
「オメェに折り入って話があるんだ。聴いては貰えねぇだろうか?」
そういって男はその場に膝をつき、お雉を見上げるーー不敵な笑みを浮かべながら。
「……え?」
深緑の男の突然の申し出に、お雉は困惑する。深緑は尚も口許を弛ませてお雉を眺め続けている。男の本心は闇よりも深く見えた。
【続く】
それは一番街の堺町、その外れにある。いくら将軍家御用達の土地とはいえ、完全に整備されていたかというとそういうことでもなく、江戸の街と同様に、街の中には当然のように善人もいれば悪人もいるというワケだ。
銀次の一家の屋敷があったのはそんな場所だった。一番街は賑やかで明るく平穏な雰囲気があるにも関わらず、その場所は人通りは殆どなく、それどころか歩いているのは見るからにヤクザもんとわかるような強面ばかり。
そこは川越の中でも異端な場所で、人々からは一番街から大きく外れているという理由から『九十九街道』と呼ばれていた。
銀次はそんな九十九街道の中でもまあまあな勢力を持った野武士の集団で、街道の中でも随分と顔の利く立場にいた。
九十九街道の入り口は夏場とは思えないほどに乾いている。やや冷たい風が吹き、砂塵が風に乗って吹き上がったかと思うと、千切れた死人の足を咥えた野良犬が、門前を横切るという、まるで幽霊のようにボウッと佇んでいるような街並みが非常に不気味だった。
そんな九十九街道の入り口に佇む者の姿がある。草鞋を履き、大きな笠を被っている。腰元には長ドスと呼ばれる、刀としては短めだが、短刀と呼ぶには長すぎる得物が落として差してある。背中には風呂敷が巻かれ、風に靡いている。一見して渡世人のような風貌をしたその者は、笠の下で口許を歪める。
「ほんと、いつ来ても酷いところだね、ここは。新河岸のほうがずっとマシだよ」
渡世人らしき者はそういって笠を軽く持ち上げる。と、その顔は、
紛れもないお雉だった。
新河岸というのは、川越の外れ。すなわちお雉が夜鷹として日々糊口を凌いでいる場所である。夜鷹の活動場所ということもあって、その雰囲気は異様で、来る面々も可笑しな連中が多く治安も決して良いとはいえないが、間違いなくこの九十九街道よりかは遥かにマシだった。
『いくら猿ちゃんの頼みとはいえ、ねぇ。化粧もしないで、こんな物騒な場所に乙女を送り込むなんて、どうかしてるわ』
そうこころの中で愚痴りながらも、お雉は九十九街道へと足を踏み入れる。
通りのあちこちには顔を真っ赤にして寝ている者がいたり、死んでいるのか壁に背を預けて座ったまま動かない者、野良犬に服を咥えられ引っ張られる者がいたりと異様な光景が広がっている。お雉はそれに対して嫌悪感を全面に出した表情を浮かべる。
『ここでやっていく自信、なくなって来た』
後悔がお雉の感情をジットリと濡らして行く。だが、これも仕事のひとつ。諦観だけが、お雉に仕事するように促し、慰める。
「よぉ、おめぇさん、何してるんだい?」
突然、お雉は声を掛けられる。目の前には見るからに柄の悪いチンピラが五人も並んでいる。みな、一様に袴ははかず、ヒョロヒョロの者からでっぷりと太った者と色々いる。
「何って、ただ立ち止まってるだけだけど」お雉のことばに、五人の男はバカ笑いする。「あれ、何か可笑しなこといった?」
「可笑しいも何も、ここで立ちんぼするってことは『銭とお命を御献上致します』ってことなんだよ。知らねぇのか?」
五人の中の中心、引き締まった身体に深緑の着物を着た如何にも集団の頭といった様子の男がいう。が、お雉はフッと笑って見せると、
「知らないねぇ。あたし……、あっしゃこんな掃き溜めみたいな街は初めてなんでね」
「何だと、テメェ、こらぁ!」
五人の中でも最も太った男がそういってお雉に突っ掛かろうとするも、深緑の着物の男に止められる。それを見てお雉は、
『あらら、ちょっといい過ぎちゃったか。でも、どうしよう。こんなことしてる場合じゃないし、ひとりで五人に勝てるほど、あたしの剣の腕は優れていないし……』
「おい、テメェ。そんな格好して、本当は銀次の一家の遣いなんじゃねぇのか!?」
五人組の中で一番ほっそりした男がいう。銀次一家の遣い。そのことばに、お雉は、
「違うけど、遣いってどういうこと?」
「とぼけんじゃねぇ! いい加減因縁つけるのも大概にしやがれ!」
とほっそりとした男は刀を抜き、今にもお雉に飛び掛かって来そう。それに同調するように深緑の着物の男以外が刀を抜く。
「止めろ」深緑の着物の男がいう。
だが、そのことばはヒョロヒョロの男には届かなかったらしく、そのままお雉に飛び掛かってしまう。が、次の瞬間にはヒョロヒョロの男は袈裟を切られてそのまま地面に崩れ落ちる。
お雉はいつの間にか抜いていた長ドスを片手に佇んでいる。
「何、あた……、あっしとやるっていうの?いいよ。掛かっておいで」
お雉のことばに後退する三人の刀を抜いた雑魚。が、身を投げるように三人次々とお雉に掛かって行く。が、瞬間の出来事。三人の身体にはそれぞれ二本の切り傷が走り、そのまま屍となって地面に倒れ込んでしまった。残るは深緑の着物を着た男がひとり。
「どう? 仲間は死んじゃったけど、アンタもあた……、あっしとやり合う?」
「オメェ、中々やるじゃねぇか」
深緑の着物を着た男はニヤリと笑う。その顔には怒りはなく、何処か不敵な印象がある。
「……まぁね」
「オメェに折り入って話があるんだ。聴いては貰えねぇだろうか?」
そういって男はその場に膝をつき、お雉を見上げるーー不敵な笑みを浮かべながら。
「……え?」
深緑の男の突然の申し出に、お雉は困惑する。深緑は尚も口許を弛ませてお雉を眺め続けている。男の本心は闇よりも深く見えた。
【続く】