【帝王霊~死拾~】
文字数 2,322文字
外夢の夜は湿っぽく何処か暗い。
夜なのだから暗いのは当たり前とはいえ、それでも工業都市としての独特の雰囲気というか、デカダンさというか、薄汚れて錆び付いたようなどんよりとした空気に覆われていることもあってか、やたらと夜の幕が重かった。
外夢の運動公園は比較的標高の高い場所に位置しており、その景観は抜群によく、外夢に広がる田舎街を静かに眺めることが出来るようになっている。
「何度来ても酷い街……」メグミはいう。「よくこんな街に住んでられるね」
「まぁ、地元だからな」和雅がいう。「何つうか、もう慣れちまったよ」
「……そっか」メグミは闇に浮かぶ街のネオンを一望する。「汚れた光。でも、それも都内ほどじゃない。でも、確実に煤けた感じがある。……ここでキミは生まれ、育ったんだね」
「何ポエムみたいなこといってんだよ、キメェな」そういったのは、丸栗チエだ。
丸栗チエーーかつて成松蓮斗の秘書をしていた女。生前、彼女はこの外夢市の市議会議員選挙にパスし、一度は外夢の市議となった。
だが、住まいの電気や水道といったライフラインの利用状況からみて『居住実態なし』とみなされ、彼女の市議当選は取り消しとなった。その後、この当選無効に異議を唱え、裁判所にも提訴したが、結果はいわずも通り。彼女は裁判に負け、外夢から姿を消した。
その後の彼女は成松により「除籍」され、この世を去った。遺体は表には出ていない。世間では未だに彼女は「行方不明」という扱いになっているが、彼女の肉体はもはや家畜のクソとなってしまって洗い流されてしまった。
死後、チエはこの世に強い未練を残し、浮遊霊として留まることとなった。そして、それは自分にとっての因縁の場所ーーすなわち『居住実態なし』とされた外夢市内のアパートが、その場所となった。
皮肉なことに、チエは死後になって漸く、このアパートに居住実態を残すこととなってしまった。そして、今は和雅の身体に取り憑き、外の世界へと出ている。
「相変わらず口が悪いね」ニヤッとしてメグミはいう。「そんなんじゃモテないよ?」
「はぁ? モテるも何も、もう死んでるんですけど。そんなんで恋愛なんか出来るワケないでしょ、バカじゃないの?」
「ふふ、そうかもね。でも、良かったじゃん。和雅くんの身体で外に出れて」
「……まぁ、彼でなかったら取り憑く気にもならなかったかもしれない」
チエのひとことに和雅は驚きを隠せない。「えっ?」と声を上げて右に左に、視線を振る。和雅は確かにチエに取り憑かれてはいるが、彼女の声が聴こえるだけで、彼女がいま何処にいるのかまではわからないでいる。
「何、そんな驚いてんの?」
「あ、いやぁ……」和雅は照れを隠すように顔を伏せ気味にして続ける。「幽霊に憑かれるのに、人を選ぶことってあるんだな、って」
「当たり前じゃん。デブでブサイクでハゲなヤツより、イケメンに憑いたほうがいいでしょ」
チエの容赦ないひとことに、和雅は幾分辟易とする。そんなこと、と否定したい気もするかもしれないが、何処かその気持ちがわかっているかのような反応を見せる。チエはいう。
「……まぁ、それは冗談、といいたいところだけど、あながちウソではないんだよね。アンタみたいにタフで鍛えられた身体を持ってる人に憑くと、憑いてる自分も身体が軽くなったような気になるし、何よりエネルギーに満ちてくるんだよ。だから、まぁ、何ていうか……」
チエは突然ことばを切った。
「……どうした?」
「いや、何でもないんだ」
何事もなかったかのようにチエがいうと、メグミが突然笑い出す。
「どうしたの?」和雅が訊ねる。
「ううん、いい掛けたけど、やっぱそれをいうのが恥ずかしいんだろうなって」
「余計なこというなよ!」
チエの声には何処か緊張が宿っているよう。だが、メグミはヘラヘラと笑って、
「いっちゃえばいいじゃん。好みの相手に取り憑くと気持ちがいいんだって」
笑い出すメグミ。和雅は耳を赤くして、その場でどう反応すればいいのかに困っている。と、突然、和雅の拳が振り上げられ、メグミのほうへと向けられる。
「あ、何だぁ?」
和雅はまるで自分の拳が振り上げられているのが、自分の意思によるものではないといわんばかりにそういう。和雅が疑問に思うのも無理はなかった。そもそも、この行為自体、和雅が自分でしようとしているのではないのだから。
そう、これは和雅が自分でそうしようとしているのではなく、チエが和雅の身体を使ってメグミを殴り付けようとしたのだった。
「ねぇ、ちゃんと動いてくれる?」
自らの動きを制そうとする和雅に、チエは文句を垂れる。だが、和雅は和雅でメグミを殴ろうなんて気はないのだから、それに従おうとはしない。と、そんな時ーー
「こら! 何してる!?」
突然に張り詰めた強い声が聴こえる。メグミと和雅が声のしたほうへ目を向けると、そこにはひとりの警察官の姿がある。
「うわぁ、マジかよ……」和雅がいう。「ちょっと、手を下ろしてくれんかね」
和雅がいうと、振り上げられていた和雅の腕はストンと下に落ちる。だが、チエは何もいわない。その場の状況がマズイのはわかっていたに違いない。だが、それに対して何の反応もないのは、何処か非情な趣があった。
「面倒くさいな……、どうするか……」
「和雅くん」メグミの声が緊張している。「気をつけて」
「気をつけるも何も、今ので傷害未遂だし、こんなことしてる時点で職質は確定……」
「そうじゃなくて……!」
メグミの様子に、和雅は表情で疑問を呈する。と、その疑問に答えたのはメグミではなくて、チエのほうだった。
「あの警官、ヤバい霊が取り憑いてる……」
【続く】
夜なのだから暗いのは当たり前とはいえ、それでも工業都市としての独特の雰囲気というか、デカダンさというか、薄汚れて錆び付いたようなどんよりとした空気に覆われていることもあってか、やたらと夜の幕が重かった。
外夢の運動公園は比較的標高の高い場所に位置しており、その景観は抜群によく、外夢に広がる田舎街を静かに眺めることが出来るようになっている。
「何度来ても酷い街……」メグミはいう。「よくこんな街に住んでられるね」
「まぁ、地元だからな」和雅がいう。「何つうか、もう慣れちまったよ」
「……そっか」メグミは闇に浮かぶ街のネオンを一望する。「汚れた光。でも、それも都内ほどじゃない。でも、確実に煤けた感じがある。……ここでキミは生まれ、育ったんだね」
「何ポエムみたいなこといってんだよ、キメェな」そういったのは、丸栗チエだ。
丸栗チエーーかつて成松蓮斗の秘書をしていた女。生前、彼女はこの外夢市の市議会議員選挙にパスし、一度は外夢の市議となった。
だが、住まいの電気や水道といったライフラインの利用状況からみて『居住実態なし』とみなされ、彼女の市議当選は取り消しとなった。その後、この当選無効に異議を唱え、裁判所にも提訴したが、結果はいわずも通り。彼女は裁判に負け、外夢から姿を消した。
その後の彼女は成松により「除籍」され、この世を去った。遺体は表には出ていない。世間では未だに彼女は「行方不明」という扱いになっているが、彼女の肉体はもはや家畜のクソとなってしまって洗い流されてしまった。
死後、チエはこの世に強い未練を残し、浮遊霊として留まることとなった。そして、それは自分にとっての因縁の場所ーーすなわち『居住実態なし』とされた外夢市内のアパートが、その場所となった。
皮肉なことに、チエは死後になって漸く、このアパートに居住実態を残すこととなってしまった。そして、今は和雅の身体に取り憑き、外の世界へと出ている。
「相変わらず口が悪いね」ニヤッとしてメグミはいう。「そんなんじゃモテないよ?」
「はぁ? モテるも何も、もう死んでるんですけど。そんなんで恋愛なんか出来るワケないでしょ、バカじゃないの?」
「ふふ、そうかもね。でも、良かったじゃん。和雅くんの身体で外に出れて」
「……まぁ、彼でなかったら取り憑く気にもならなかったかもしれない」
チエのひとことに和雅は驚きを隠せない。「えっ?」と声を上げて右に左に、視線を振る。和雅は確かにチエに取り憑かれてはいるが、彼女の声が聴こえるだけで、彼女がいま何処にいるのかまではわからないでいる。
「何、そんな驚いてんの?」
「あ、いやぁ……」和雅は照れを隠すように顔を伏せ気味にして続ける。「幽霊に憑かれるのに、人を選ぶことってあるんだな、って」
「当たり前じゃん。デブでブサイクでハゲなヤツより、イケメンに憑いたほうがいいでしょ」
チエの容赦ないひとことに、和雅は幾分辟易とする。そんなこと、と否定したい気もするかもしれないが、何処かその気持ちがわかっているかのような反応を見せる。チエはいう。
「……まぁ、それは冗談、といいたいところだけど、あながちウソではないんだよね。アンタみたいにタフで鍛えられた身体を持ってる人に憑くと、憑いてる自分も身体が軽くなったような気になるし、何よりエネルギーに満ちてくるんだよ。だから、まぁ、何ていうか……」
チエは突然ことばを切った。
「……どうした?」
「いや、何でもないんだ」
何事もなかったかのようにチエがいうと、メグミが突然笑い出す。
「どうしたの?」和雅が訊ねる。
「ううん、いい掛けたけど、やっぱそれをいうのが恥ずかしいんだろうなって」
「余計なこというなよ!」
チエの声には何処か緊張が宿っているよう。だが、メグミはヘラヘラと笑って、
「いっちゃえばいいじゃん。好みの相手に取り憑くと気持ちがいいんだって」
笑い出すメグミ。和雅は耳を赤くして、その場でどう反応すればいいのかに困っている。と、突然、和雅の拳が振り上げられ、メグミのほうへと向けられる。
「あ、何だぁ?」
和雅はまるで自分の拳が振り上げられているのが、自分の意思によるものではないといわんばかりにそういう。和雅が疑問に思うのも無理はなかった。そもそも、この行為自体、和雅が自分でしようとしているのではないのだから。
そう、これは和雅が自分でそうしようとしているのではなく、チエが和雅の身体を使ってメグミを殴り付けようとしたのだった。
「ねぇ、ちゃんと動いてくれる?」
自らの動きを制そうとする和雅に、チエは文句を垂れる。だが、和雅は和雅でメグミを殴ろうなんて気はないのだから、それに従おうとはしない。と、そんな時ーー
「こら! 何してる!?」
突然に張り詰めた強い声が聴こえる。メグミと和雅が声のしたほうへ目を向けると、そこにはひとりの警察官の姿がある。
「うわぁ、マジかよ……」和雅がいう。「ちょっと、手を下ろしてくれんかね」
和雅がいうと、振り上げられていた和雅の腕はストンと下に落ちる。だが、チエは何もいわない。その場の状況がマズイのはわかっていたに違いない。だが、それに対して何の反応もないのは、何処か非情な趣があった。
「面倒くさいな……、どうするか……」
「和雅くん」メグミの声が緊張している。「気をつけて」
「気をつけるも何も、今ので傷害未遂だし、こんなことしてる時点で職質は確定……」
「そうじゃなくて……!」
メグミの様子に、和雅は表情で疑問を呈する。と、その疑問に答えたのはメグミではなくて、チエのほうだった。
「あの警官、ヤバい霊が取り憑いてる……」
【続く】